9.歩みのはじめ
宮本に連れられて、人形を封印するために喫茶ドールへ帰ると、石動やドールに出迎えられた。二人とも何事もなかったかのように接してくれた。
邪神を祓ってもその実体は消えることはないが、今回は人形に宿っていた念を祓ったので、黒い粒子となって消えたらしい。念が消えた人形はもう動くことはなかった。
「宿ってた念が消えても、この人形が絶対に大丈夫ってわけじゃないからね。一応封印しておこう」
「封印してどこに置くんだ?」
「ここの地下保管庫」
(怖いわ! ここ、喫茶店だろ!? そんなモンの上で穏やかにほうじ茶飲んでたのか、俺!)
......ただのおしゃれ喫茶であってほしかった。切実に。
彼らの話によると、喫茶ドールはマスターのドールを中心に祓い屋が集まった小さな組織で、異世界漫画でいうところの冒険者ギルドのようなものだそうだ。どこの地域でも同じような組織はあるらしいが、ここは割と危険な行為もしているために公安に目をつけられているらしい。怖い。
「それでこんな路地の奥にあるのか?」
「はい。公安の連中に見つかっては少々面倒ですから」
ドールは穏やかな顔と声をしているが、かなり腹の中が真っ黒なのかもしれない。もはや闇だ。怖い。
カウンターの横に一つ扉があり、そこを開けると店の内装とは一転して無機質なコンクリートの廊下が広がっていた。奥にある階段を降りるとまたしても廊下があった。左右の壁にはいくつかドアがあり、一番手前の扉のプレートには『保管庫』と書かれている。どこかの企業の地下保管庫もこういう薄暗い雰囲気なのだろうか。
中に入ってまず見えたのは棚。次に見えたのも棚。無機質な空間に、無機質な棚があり、無機質な箱や引き出しが収まっている。そこには今までの記録や封印されたもの、武器など様々なものがしまわれているという。
「先輩。どの封印を施しますか」
封印方法は多々あるらしい。城ケ崎は何一つとして知らないが。
「連名血界かな。俺と龍也、礼伊の3人もいれば十分でしょ。人形が起き出したりしたら面倒だし」
わけのわからない業界用語を素人の前で言わないでいただきたい。さっぱりだ。
「城ケ崎は知らなかったな。連名血界とは、封印する側の人間の名前を記し、対象に張り付けて封印する方法だ。名前は多ければ多いほど、より強固な檻となって対象を縛ることができる」
「ほーん?」
「さて、始めるよ」
そこからは圧巻の一言に尽きる。
宮本はどこからか持ってきていた半紙のようなものに、これまたどこからか持ってきていた筆と墨で、お札でよく見かける文字や模様をスラスラと書き上げていく。慣れた筆さばきは職人を思わせ、紡がれる文字は流麗であった。書道家になったほうがいいと思う。
書き終えたのか、筆をおいた彼はおもむろに後ろを振り向き、ちょうど彼の膝ほどの高さにある引き出しを開けて小刀を3つと小瓶を取り出した。
そして机にそれらを置くと、小刀でシュッと手の甲を切ってしまった。
「何してんだお前!」
傷口からボタボタと流れ落ちる鮮やかな赤はつい先ほども見かけた。人形の口の中のを。今日はよく見るな。
「何って、封印の準備だよ。血液ないとできないからさ」
やはりこのお方はどこかズレていると言わざるを得ない。クレイジーだ。
縦に2本、横に1本、最後に斜めに1本。
これが普通で、当たり前なのだろうか。
彼は小瓶に自分の血液を流し込むと、小刀の赤をふき取りながら、城ケ崎たちにも要求してきた。石動も躊躇なく切り、血を流す。彼らにとっては、ただの流れ作業なのだ。戸惑いなどない。やはりこれがこの業界での普通なのだろう。
手を切り落とすわけではないのだからと小刀を差し出され、仕方なしに切る。紙で切っただけでも痛いのだ。小刀で切った痛みをなめてはいけない。
思ったよりも深く切ってしまい、血がとめどなく溢れてくる。素人なのだから仕方がないだろう。溜息をつかないでくれ、石動よ。
渡されたガーゼで手を包み、血が垂れてこないように注意する。
宮本が小瓶に入れた3人の血液に墨を加えてかき混ぜる。そうしてできた液体にどっぷり筆をつけ、紙に名前を書いていく。石動と城ケ崎も続き、円形になるよう書き記す。人数はだいぶ少ないが、さながら傘連判状だ。
出来上がった紙を人形の上に置いてしまえば、あら不思議。たちまち文字や模様が浮かび上がって人形を縛っていく。四肢を這い、顔を伝い、髪に絡んで、全身を黒く覆う。あとは墨が消えてまっさらになった紙で人形をくるみ、棚の一角の箱に放り込むだけ。
「はい、おしまい!」
「上へあがりましょう」
「そうしようか」
城ケ崎の生まれて初めての封印作業はこうして終わった。
***
「礼伊はいわゆるホイホイなんだよ」
カウンター席について早々、宮本から不愉快な言葉を告げられる。
ホイホイとはどういうことか。
(俺がいつゴキブリをキャッチしたよ?)
「わかります。城ケ崎といると昼間でも邪神に遭遇する」
「でしょ?」
自分のせいだなんて冗談じゃない。東京という大都会だからいたんだろうに、 なぜかうなずく石動にイラっとする。
「そこでだ」
彼はつくづく場の掌握術にたけていると思う。彼の言葉に皆左右される。今もそうだ。真剣な声を出せばドールも石動も、城ケ崎でさえ黙って聞く姿勢になる。まあ、ドールはのんびりお茶を飲んでいるだけかもしれないが。
「君、祓い屋にならない?」
不敵な笑み。
こちらをうかがう彼の瞳を、今度はしっかり見据える。もう逃げない。
当然、俺の答えは、
「やる」
彼がくれるというのならば、よろこんで受け入れようと思う。きっと苦難は待ち受けているだろうが、それも一興。
楽しく闊歩してやろうではないか。
ここが俺の居場所だ。