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COIN―裏街道と交錯する道々―  作者: 五番
第1章 始揺
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7.城ケ崎礼伊

 

 昔から人には好かれなかった。

家の近所でも学校でも、聞こえてくるのはいつも俺を貶す言葉。

 

 俺は四国の田舎で生まれた。母も父も元は関東の人間だから訛ってはいなかった。田舎の人間がおせっかいやきというのはあながち間違いとは言えないが、俺の周りはそうでもなかった。大人も子どもも、みんなの敵は俺だった。


「礼伊君なんか! 大嫌い!」

「失せろよ!」


 教師も一緒になって行われるイジメ。もはやイジメと呼べるのかわからないくらい、ひどいものだった。残酷な子どもたちが考えるアソビは、俺を蝕んだ。


 ライターであぶられた教科書はバケツに浸けられ、担任はそれを見て一言、『片づけなさい』と俺に言った。授業が始まって、クラスメイトがノートを取る後ろでみっともなく泣きながら捨てた。校舎裏で飲み込んだ虫は苦かった。汚い液体が舌をなで、不快感が体中を駆け巡った。白い花が落書きされた机の上で揺れていた。葬式ゲームだから、俺は死体だから、だからみんなに無視されなければならなかった。縛り付けられて何度も殴られた。蹴られた。カッターやバットやジャックナイフや、それらの刃物で切り刻まれた。今でもその傷跡は残っている。


 俺は何もしていないのに、彼らにとっての悪は俺だけで、自分たちは絶対的正義と考えているらしかった。



 家の中でも、それは同じだった。

 父親による母親や自分への暴力と暴言の数々。ストレス発散のために熱い湯をかぶせられ火傷し、無理やりおかしな色の液体を飲まされる。常に責め立てるような物言いで重箱の隅までつつきまくった後に、箸までつついて粉砕するイカレた父親。ノイローゼを患ってしまった母親をかばいながら父親から隠れる毎日。


「お前のような愚図、生ゴミとしてそのうち必ず捨ててやる」


俺を捨てる前に、さっさと家中に散らかっているゴミを片付けろよ。


目の前をまっすぐ見たくなくて、逃げるみたいに何度も願った。


「あんたなんて生まれてこなければよかったのに」


虚ろな目をした母親からそう言われても何も思わなかった。



そのはずだった。





 仲のいい幼馴染がいた。

 田内たのうちけん。俺がいじめられていても、親に遊ぶことを禁止されても、俺と一緒にいてくれた。俺との他愛ない会話を楽しんでくれた。あいつはいいやつだった。何度も感謝した。心の拠り所のような安心感があって、憲といられる間は笑顔になれた。


 中2になって少ししてから、憲がいじめを受けはじめた。物が隠されるなどの嫌がらせからひどい暴力まで、そいつらが思いつくかぎりの暴行をあいつは受けた。俺は何もできなかった。体を張って庇うことも、そいつらを止めることもできなかった。


 あいつと言葉を交わすことも少なくなっていった。もう一度二人で馬鹿みたいにくだらない会話がしたい。そう思って、担任に話してみた。ため息をつきながら、担任は一応話を聞いてくれた。俺なりに踏み出した一歩だった。


でもそれは後ろ向きの一歩だった。


「お前なんか、大嫌いだ! ずっと恨み続けてやる! ずっと! ずっと......僕の前から、消えて、くれよ......」


憎悪。

憲の目には流している涙といっしょに俺という悪を打ち滅ぼすという信念が激しく燃え盛っていた。自分の意見をはっきり言えないくせに、あのときばかりは、そんなこと関係ないといわんばかりに俺をきつく睨みつけて大きな声で怒鳴った。


俺は裏切った。大事な友達を。


それでも何も感じなかった。



そのはずだった。





 学校に行くのも家に帰るのもめんどうになって一日中公園でサボっていたことがあった。ベンチに座って眺めていると、平凡な日常が見えてくる。砂場で幼児が泣きじゃくると飛んでくる母親。ブランコに乗る子供を後ろから優しく押す父親。穏やかに散歩する老夫婦。学校帰りのにぎやかに笑いあう少年少女。


それは、何も感じなかったはずの俺の目には羨ましいと思うには十分なほど、平凡で幸福な日常だった。





 いつからか、俺の部屋に人形が置かれるようになった。父親も母親もそんなものを置いた覚えはないという。俺だってなかった。


 それはいつも俺の部屋にあった。あったというより、いた。自分で動けるようで、夜中に目を覚ますといなくなっていることもあった。でも次に目を覚ますころには赤く汚れた状態で帰ってきた。


 何度捨てても、両親が死んで今の家に引っ越した後も、ずっと人形は俺のそばにいた。


気味が悪かった。


気味が悪かったけど、だんだん安堵を覚えるようになった。その人形が誰かを傷つけても、目をそらし続けていればいい。俺が負い目を感じても、それだけだ。


それだけを我慢すれば、人形が寂しさも怖さも払拭してくれる。願い続けてきた、自分に向けられる愛情をくれる存在なんだ。



気づいていた。


自分を守る術を持たないのに、たった一人で立ち向かわなくてはならない恐怖も。


憲や他の誰かが傷ついても知らぬふりをし続けた罪悪感も。


寂しいと嘆いても誰も手を差し伸べてはくれない孤独も。



 ああそうさ。本当はわかっていた。何にも感じなくなったなんて嘘だ。願いだったものを奥深くに閉じ込めて蓋をして。穴が開いても絆創膏を貼って。その下がかぶれても気づかないふりをして。


そうして自分を守ってきた。




 おまえらは俺から離れていく。消えていなくなってしまえば良いなんて、思っちゃいない。そばにいてほしいだけだ。冷たい目を向けないでくれ。独りぼっちにしないでくれ。頼むから。



人形は消えても勝手に俺の元へ戻ってくる。おまえたちの代わりに。


人形は何の感情も見えない。豊かな感情を持つおまえらと違って。


人形は違うのに。おまえらの代わりになんてなれるはずがないのに。おまえらがいいのに。


寂しくても悲しくても誰もいない。


 柴田を見て苛立ったのは昔の怯えていた自分そっくりだったから。そういう環境に柴田がいることが腹立たしかったから。人が集まる宮本に怒りが沸いたのは自分にはありえないことだったから。わけも分からず避けられる自分と違って、関わりの薄い他人が好意的に見ていたから。子どもと戯れる宮本を見て胸が痛んだのは、自分が人にその優しさを向けられたことがなかったから。渇望して仕方なかったものを、手を伸ばして諦めたものを、あの子どもたちは向けられていて、羨ましかった。





だから人形に寄りかかることにした。








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