6.心の奥底で
「大変でしたね。ほうじ茶です。どうぞ」
「え、あ、ウス。アザッス」
「いやぁほんと災難だったねえ。君、トラブルメーカーなんじゃない?」
「アンタが巻き込んだんだろうが」
邪神を倒したあと、城ケ崎は石動に案内されてとある喫茶店に来ていた。そこは複雑に入り組んだ路地の奥のさらに奥にあった。客なんて来ないだろうに、なぜこんなところに造ったのだろうか。来たとしてもあまりいいとは言えない連中ばかりだろう。
店はこじんまりとしているが、机や椅子、床などかなり質のいいものを使っているようだ。資金は結構あるのかもしれない。別に城ケ崎は目利きではないからよくわかってはいないが。上品な洋よりの喫茶で、落ち着いた雰囲気が印象的だ。
さて、皆さん。ただ今の彼はというと、英国紳士(日本版)にお茶と和菓子をもらってウサギのようにモソモソ食っています。そして、カウンター席の疲れた顔の石動と、笑いをこらえようとして噴き出す宮本を眺めています。
(なんでこうなったんだっけ? てかこのオジサマ誰?)
「こちらはドールさん。この『喫茶ドール』のマスターだ」
「城ケ崎礼伊っス。ども」
石動に紳士を紹介され、軽く頭を下げながら名乗る。
「よろしくお願いします。ドールでもマスターでも好きに呼んでください」
フォーマルベストとサロンエプロンを身に着けた白髪の初老の男性。穏やかに、そして丁寧に話すその姿から、この柔らかでありながらどこか厳かな喫茶のマスターであることに納得させられる。なんとなく、らしい感がある。
ドールという名前はいささかどうかとは思うが。
(つーか最近、俺の周りに『人形』て多くない?)
「マスター! 俺もほうじ茶飲みたい!」
「わかりました」
立ってるものは親でも使えを地で行く宮本には呆れるばかりだ。ドールは喫茶のマスターなのだから当たり前だろうと言われたらそれまでなのだが、ほうじ茶の入った急須は彼の目の前にある。もっと言うなら湯呑だって手元にある。城ケ崎は『自分で入れろよ!』と、内心憤慨していた。
(石動の目を見てみろ! 雪見えるぞ! やわらかい雪玉の雪合戦なんかできねぇぞ! 石を詰めまくった凶器合戦してるって!)
寒気がする元を見ないように顔をそらした。
そもそもの話、洋よりの喫茶でほうじ茶はいかがなものか。
「ところで、城ケ崎礼伊君」
冷たい声が城ケ崎の背中を通る。さっきまでのあたたかい様相は見る影もない。子どもたちと接していた宮本とはまた違う人物だ。静かで淡白、そしてどこか仄暗い。
声を発したのは、宮本だった。カウンターを背にこちらに向いて足を組んでいる。先ほどまで石動をからかって馬鹿笑いしていたはずなのに、今はいつものキラキラした笑顔が消え失せ、口元に微かな笑みを浮かべているだけだ。真剣な眼差しでこちらを暴かんとする彼は、獲物を捕らえようとする獰猛な獣そのものだ。
石動の目もまっすぐ、射貫くように城ケ崎を見つめてくる。ドールはカウンターの向こう側で、物音ひとつ立てず食器を拭いている。彼の視界に入っていない2人が恨めしい。
「城ケ崎礼伊君。単刀直入に聞くよ。君は」
ああ、嫌な予感がする。背中をムカデが這っているようだ。
気持ち悪い。
嫌だ。
「持っているね? 邪神殺しの人形を」
(なんで、俺ばっかり)
***
少年、城ケ崎礼伊は逃げた。それはもう彼史上かつてないほどの速度で。
その心にあるのは恐怖だった。さっきまでニコニコ笑ってた人が急に静かになってフルネームで呼んでくるのだ。悪寒がするというものだろう。
そんなわけで、喫茶ドールから入り組んだ迷路を何とか抜け出した彼は、愛しのマイホームへ帰ってきた。といってもマンション前の広場にたどり着いただけであるが。植木が規則正しく整備された敷地には掃除の行き届いた建物があり、部屋数も多く、他人が見てもいいマンションであることがうかがえる。結構広い部屋でくつろぐことができ、ご近所さんも優しいため、特に日常生活に支障の出ないここを、城ケ崎は割と気に入っている。
「新しくて綺麗だねぇ」
「だろ?」
(は?)
逃げ切れた安心感に包まれ、しばらくぼーっとマンションを見上げていた城ケ崎は聞き覚えのありすぎる声で我に返る。ヌルッと城ケ崎の思考に入ってくる彼と普通に会話をしてしまった。
隣を見やれば宮本が数秒前の城ケ崎と同じようにマンションを見上げている。冷酷なカオはどこかで投げ捨てたのか、いつもの陽気な笑顔だった。少しホッとする。
しかしそれも束の間。城ケ崎は宮本が自分のマンションの前にいるという事実に困惑した。
(なんでここにいるんだよ? まさか尾行してきたのか? 気配も何も感じなかったぞ? 気持ち悪!)
さんざんな言われようだ。宮本よ、かわいそうに。
「人をストーカーを見る目で見ないでよ」
ストーカー以外にこの男の行為を表す言葉があるだろうか、いやない。反語。
「じゃ、どうやってここに?」
思わず胡乱な目を向ける。目を細めて微笑む彼が不気味に見える。
「ん? 簡単なことだよ。学校で秘匿管理されてる生徒情報を見たの」
「......どういう方法で?」
「ハッキング」
「犯罪じゃねぇか!!」
(いやぁ俺くらいになるとチョチョイのチョイだよねぇ、じゃねぇんだよ! 怖いわ! なにのほほんと言ってんだ!)
城ケ崎の心は意外な才能を持った宮本を素直にすごいと思う気持ちが2割、自宅を特定された恐ろしさが7割を占めていた。
ん? 残り1割?
少しの興味とハッキングされた嬉しさである。城ケ崎礼伊はズレていた。
「そんな怒んないでよ。君が逃げるからこうなったんでしょ?」
「......お前がアレを取り上げようとしなかったら逃げなかったよ」
「そうかな」
(逃げなかったさ)
宮本の穏やかな声は城ケ崎に届いた。しゃべるつもりのなかった言葉が次から次へと溢れてくる。
「......絶対取られたくねぇんだ」
「どうして」
どうしてか。アレさえいれば、何も考えなくていいからだよ。
アレは願いを叶えてくれる。
怖いと怯える必要なんてなくなる。
(平和ボケしたお前らは知らねぇだろ?)
自分を守る術を持たない子どもが、たった一人で立ち向かわなくちゃならない恐怖を。
誰かが傷ついても知らぬふりをし続けねばならない罪悪感を。
寂しいと嘆いても誰も手を差し伸べてはくれない孤独を。
「俺の願いを叶えてくれるんだよ」
「......」
「叶わなかった。叶えてもらえなかった。おまえたちは俺のことを考えちゃくれなかった」
ひとつひとつ口に出して言葉にする。そうしているうちにまざまざと少し前までの日常がよみがえってくる。
母親の白髪
視線
消えた上履き
教室の机の上の花
昔見たヒーローの夢
ゴミ屋敷と化した我が家
ボロボロの教科書
煙草の吸い殻
担任のため息
校舎裏
湯につけると沁みる傷
父親の怒声
正気を保つ薬
鏡に映る病的な顔
思い出して、叫ばずにはいられなかった。
「おまえらみんな! 消えていなくなってしまえば良かったのに!」
長い間隠して押し込んできた感情が爆発する。それは思っていたよりも、ずっと大きく、禍々しかった。声までもが大きく、のどが痛い。
宮本は、ちょっと驚いているようなそうでもないような、曖昧な表情で、城ケ崎の言葉を待っている。
「人形は消えても俺の元へ戻ってきてくれる。独りぼっちじゃねぇって思わせてくれる。でもお前らは俺を見捨てるだろ? 平気で深い谷底に突き落とすだろ?」
人形は違う。何の感情も見えない。お前らと違ってさ。
柴田を見て苛立ったのは昔の怯えていた自分そっくりだったから。人が集まる宮本に怒りが沸いたのは自分にはありえないことだったから。子どもと戯れる宮本を見て胸が痛んだのは、自分が人にその優しさを向けられたことがなかったから。
「俺から奪うなよ!」
大事なんだ。寄りかかっていたいんだよ。
そうだよ。取られたくないから逃げたんだ。
【フフ。ダイスキよ、レイ。アイシテル】
ああ、今日もまた、人形が帰ってきた。