2.邂逅
ここは桐ノ谷地区と呼ばれる地域。面積のおよそ4割を自然が占め、残る6割は関東を代表する大都会だ。そんな場所で、良い子はすでに寝静まったころ、暗い路地裏を歩く2人の人影があった。あたりには空のコンビニ弁当やスナック菓子の容器が目立ち、小さなネズミがコンクリートの壁の隙間を走り抜ける。
「先輩、ここじゃないようですよ」
「だねぇ。うーん、困った困った」
「......やる気あるのか? この人」
一人は不機嫌な表情を隠そうともしない少年。
一人は上着のフードを目深にかぶった背の高い少年。
黒い続服に黒い手袋。
「真面目に探してください」
「俺の案件じゃないんだけどなぁ」
「......スミマセン」
闇に溶け込む彼らの探し物は......とある人形である。
***
この世界には古くから神が存在する。
神といっても祈れば無償で救ってくれるような甘いものではなく、人間を襲い、喰らうおぞましい怪物―――『邪神』である。それらは人々に恐れられるあまり、安全区域線なる境界線が敷かれ、人間の住まう内側から外側へと追いやられた。この区域線策によって、今日では人間側が邪神と関わることはなくなった。
のだが。
「なんっで追いかけてくんの!? つーか、なんで区域内にバケモンがいんだよ!?」
とある少年、絶賛逃走中。時刻は夜中の1時。散歩がてら飲み物を買おうと自動販売機に行ったら、怪物に遭遇しました。
彼にとって人生初の対面であるため、奴が本物かどうかはわからなかったが、おそらく邪神であろう。人型のおどろおどろしい見た目で、体長およそ3メートル、横幅は自販機1つ分、空中に浮遊している。少年のおよそ2倍弱といったところか。
必死に走ること30分。もうそろそろ大丈夫かと思い振り向いてみるも、ソレは口らしき部位から涎を流しながら彼を喰おうと走ってついてきていた。
「ヤダァ!! 死にたくない!!」
道端の石やゴミを投げて必死の抵抗を試みるが、ヤツは痛くもかゆくもないという様子でニタニタと笑っている。窮鼠は猫を噛めても、少年には難しかった。
「ぎぃやぁぁぁ!!!」
近所迷惑など知るものか。今の彼に、そんなことに構っている暇はないのだ。
途中、足がもつれて転げそうになりながら、なんとか最寄りの公園に逃げ込むことに成功した。わき目もふらず、駆けたかいがあったというものだ。急いで公衆トイレのそばの茂みに身を隠す。後からやってきた化け物も少年を見失ったようできょろきょろとあたりを見渡している。
こんなとき、そのまま帰ってくれと願っても相手には通じないもの。あるのはウィッシュで、ホープなどありはしないのだ。少年の呼吸が乱れる。彼はその音がヤツの耳に届くのではないかと不安になり、息を整えようとするが、緊張でなかなかうまくいかない。少しずつ焦りが募り、見つからないように、もっと奥に隠れようと足を動かす。
ポキッ
ずいぶん子気味いい音である。
彼は地面を見ずとも悟った。小枝を踏んでしまったことを。
こういう状況でのお約束である。こころなしか邪神の動き回っていた音が消えた気がする。
(どうか気のせいであってください! 後生だから!)
少年がおそるおそる上を見上げると先ほどまで忙しなく動かしていたはずの目が、小動物のように震える彼をロックオンしていた。
ソレの瞳に映る自分。
全身が粟立つ。万事休すか。
(まずい。殺られる!)
「あらよっと」
突然、軽い掛け声を発しながら怪物に重い踵落としをキめる男が少年の視界に飛び込んできた。怪物は大きな目玉が飛び出し、あたり一面に赤と黒と紫をまき散らして倒れた。それらの詳細についてはご想像にお任せしよう。
どうやらこの化け物から助けてくれたらしい。何者かはわからないがありがたい。少年はホッと一息ついた。
(マジ危なかったぜ)
フードを目深にかぶった男はどこか楽しそうな雰囲気で化け物をいたぶっている。正直そんな彼のほうが化け物に見えるが、助けてくれた手前そんなことは言えない。少年は引き気味に男を眺めることにした。
「大丈夫? 痛いとことか、ない? 指曲がっちゃったとか、心のほうが瀕死ですとか」
「いや、大丈夫。俺よりソイツのほうが瀕死だけど、その、大丈夫なのか?」
「君、コレの心配してるの?」
『変わってるー』とキャラキャラ笑っている男が立っているのは化け物の上。邪神であろう化け物を足蹴にして祟りとか大丈夫なのかという質問だったのだが、伝わらなかったようだ。
(まあいっか)
触らぬ神に祟りなし、である。
「ところで君、面白いもの持ってるね」
男は先ほどとは打って変わって、真剣みを帯びた口調でそんなことを言い出す。どくりと心臓が跳ね、背中に冷たい汗が流れる。
「...面白いもの? 今持ってんのはコーラと財布くらいだけど」
「あは そうだよね。今はそれでいいよ」
黒い手袋をした右手を顎にあてて不敵に笑う男。勝手に納得してくれてよかった。少年は慌てていることを表に出さないように細心の注意を払い、男の次の言葉に警戒する。
「ここの近くが安全区域外だから邪神がいたんだろうね」
「は?」
何を言われるかと思えば。
唐突に話が逸れて、呆気にとられる。そしてその内容も理解ができないものだ。少年は困惑を顔に出した。
(ここが安全区域内だから邪神はいないんじゃないのか?)
「うん? ああ、君一般人か。そりゃ知らないよね」
うんうんとうなずくその男は、よくわからないことを言う。少年が何かを持っていることを察していたくせに、彼が一般人であることに今更気づくとは、鋭いのか鈍いのか。
「あのね、一般人には秘匿されてるんだけど、安全区域内って安全じゃないんだよ」
(......もっとわからなくなったんだけど)
戸惑う少年を前に、フードをかぶっていても見える男の弧を描いた口元がさらに深くなる。きっと彼をからかって楽しんでいるのだろう。目元は見えないが、そう確信できる。腹立つな。
少年の顔に苛立ちが出ていたのか、男が弁解を始める。
「からかってるんじゃないよ。本当のこと。確かに邪神は安全区域外にいるものだ。だけどここ数年、内側に邪神が侵入してくるケースが頻発してるんだよね。その多くは内と外との区域線付近で発見されてる」
「ここ、近いのか?」
「近いね。あっちの方。かつて今のところとまとめて新宿と呼ばれていた土地だよ」
指をさして方向を示される。今の新宿は昔よりだいぶ縮小されているということか。自分が知らないだけで命の危機はすぐ近くにあるのだと気付かされる。
「ていうか、君、区域線近くって知らずにここにいるの?」
「不審者に情報を与えるなって学校で習ったんで、ノーコメント」
「安全区域線の場所はよく把握しておきましょうって、義務教育で習うはずなんだけど」
ニヤニヤと笑う男の腹に回し蹴りを入れたくなった少年だったが、さらりと止められる未来が見え、諦める。あんな鮮やかな踵落としを見せられたら何をしても無意味に思えてくるというものだ。
「先輩! どこへ行っていたんですか? 探しました」
同い年くらいの少年が駆け寄ってくる。かなり走り回ったらしく、額には汗が浮かんでいる。
(今4月の半ばだからそんなに暑くないはずなんだけど)
......先輩と呼ばれた隣の男の自由さが垣間見えた気がした。
「ちょっと気になるものが見えたからここに来てみたら、あらびっくり! 少年が襲われてるじゃん! てことで救助してた」
「はぁ、それなら連絡ぐらいしてください。いきなり『見えた!』とかなんとか言って消えたものだから、ついに厨二病でも発症したものかと思いました」
汗を袖で拭いながらこちらを向く彼は、無愛想で随分機嫌が悪いようだ。
「怪我ないか? 一応病院とかも紹介するが」
「いやこの人が助けてくれたから怪我はない。大丈夫」
「そうか。一般人なのに邪神に遭遇なんて災難だったな。もっと区域線の警備を厳しくできればいいんだがな」
彼の口ぶりから察するに、普通はあまり邪神に出会わないもののようだ。少年は自分がどうも不幸に愛されているようで、なんとなく不愉快になる。気分が悪くなった。
『体に異常を感じたら病院に行ってね』と告げられ、彼らと別れる。邪神に深く関わっているらしい2人。おかしな奴らだった。
「長い散歩だったな」
できれば二度と関わりたくない。寿命が縮みそうだ。
そんなことを思いながら、少年は帰路を急いだ。
設定
フィクションです。
舞台は日本。時代は現代日本と同じくらいか? 歴史も大体同じ。
私の好きなものをぶち込んでいるせいで、身分制とか時代無視みたいになっていろいろ違うところが出てくるかもですがフィクションなので。
いたるところに安全区域線が敷かれており、その内と外で世界がわかれています。区域線って言ったり境界線って言ったり。区域線は一応結界で、警備の者がいたりしますが割と杜撰。
安全区域内外の広さや場所は変更されることがあります。例えば、今回出てきた新宿区や港区の一部、目黒区はもともと安全区域内だったところだが、邪神と祓い屋の激しい戦いによって滅び、今では邪神の巣窟となっています。こういう場所が全国各地にあります。この設定だと現代日本よりちょっと進んだ世界かもしれない。...だけど私は近未来が苦手なので現代ってことにしておきましょう。
一般人は邪神やその眷属のことを深くは知りません。表面の情報だけ知ってる。そんでたまに現れる邪神たちに恐怖してる。
そういう仕事に就く人(後に出てきます)や古くからの家柄(神社とか寺とか)の人だけがよく理解しています。
邪神については教科書にも載っています。安全区域線にはこんな歴史がありますよー的な。
社会科の教科書ですかね。
小学生のときに習います。
桐ノ谷地区という架空の地域を舞台に話が進んでいきます。