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09 少女と不穏な影

 魔獣討伐の行方は、オリビアから聞いた。

 調査の結果、ハル達の対峙した魔獣は、やはり超級の魔獣クラーケンだったらしい。その瘴気に当てられ、辺りの海域に生息するセイレーンをはじめとした低級〜中級の魔獣が獰猛化、周辺の村や船に被害を出していたことがわかった。

 また、セシリアの言っていた「全速力で駆けつけた」というのは、あながち嘘では無かったらしい。

 血まみれの状態のハルを抱きかかえ、部屋に帰ってきたセシリア。

「命に関わる傷は治した。朝には目を覚ます。」

 そう言ったセシリアの表情は、珍しく少し疲れたていたらしい。

「セシリア様にも疲労って概念あるんですね……」

「普段は有事に備えて、力を温存していますから。」

 ハルの身を心配してくれていたのだろうか。あの冷酷無比の悪魔であるセシリアが。

 利用価値のある道具として心配だったのか。それともその奥に、何か別の理由があったのかは分からない。例えば、ハルに対して道具以上の何か特別な感情を抱いているとか。

 それはないか……。

 セシリアの事で頭を悩ませれば悩ませるほど、それがセシリアを喜ばせているような気がして、「考えないでおこう」と紅茶を飲む。

 そんなハルの様子に、オリビアが切れ長の目をほんの少し細めた。

「そうですね。特に夜、ハル様といらっしゃる時は“疲労”の概念はなさそうですね。」

「ブフッ」

 思わず、ハルは紅茶を吹き出す。

 冗談などとは無縁そうなオリビアの、それもかなりデリケートな部分を突くひと言。

「ゲホゲホッ……!オリビアさん、なんか最近雰囲気変わりましたね……。」

 ハルは涙目でオリビアを見やるが、オリビアはただニッコリとほほ笑んで、ハルに応えるのだった。



* * *



 オリビアは当初、自身がハルの給仕をする事に、反対していた。

 それは自分が担当したくないという訳では決してなく、何か罪を犯した人間に対して、セシリアの貴重な戦力であると自覚している自分をわざわざ割り当てる事が、どうしても賢明な判断とは思えなかったのである。

「セシリア様のご命令に異を唱えるつもりは毛頭ございません。ですが、私ではない方でも良いのではないでしょうか。私の対処していた交渉事や諜報業務が疎かになってしまいます。」

 深く頭を下げたままのオリビアに、セシリアは椅子に腰掛けたまま答える。

「ハル=リースリングは将来、王国の命運を分ける重要な戦力になる。今はまだその存在が公になってはいないけれど、きっとそれも時間の問題。」

「彼女を巡る争奪戦が起きる、という事でしょうか?」

 ハルという少女に、なぜセシリアはそこまで執着するのだろうか。そんな疑問が、オリビアの中にはずっとあった。道具として手中に収めるのであれば、地下にでも監禁しておけばよいのに、とも思っていた。

「この王国も一枚岩ではないわ。先日咎人を処刑し、王国内の警備体制も四院主導で厳しくなっている。にも関わらず、暗殺や不審死は増える一方。もし革命軍でもない何かが、この王国に魔の手を伸ばしているのだとすれば、敵は必ず彼女、ハル=リースリングの前にやってくる。」

「囮にする、という事ですか?」

「…………まあ、そうね。」

 一瞬の、不自然の間があった。だが、相変わらずセシリアの表情には、何の感情も浮かんではいない。

「彼女の魔力譲渡は絶対に死守する必要がある。あなたの今日からの役割は、ハル=リースリングの逃亡防止と警護。人として彼女を扱わなくても構わない。ただ、命に代えても彼女を守りなさい。」

「承知いたしました。」

 オリビアはセシリアにお辞儀をすると、黙って部屋を出る。

 人として彼女を扱わなくても構わない。それは、プロの使用人であるオリビアに、そのような扱いができないと知っていて、セシリアは命令したのだろう。

 世間ではセシリアを、目の前に現れたら最後、何も残さず周囲を凍てつかせる、絶零の魔女。そんな呼び方をする。だがセシリアを幼い頃からずっと見てきたオリビアには、全くそんな風には見えなかった。

 セシリアに、あのハルという少女を道具の様に扱う事が、本当にできるのだろうか。

 そんなオリビアの疑問は、翌朝ベッドの上でぐったりと眠るハルの姿を見て、確信に変わった。

 乱れてはいるが、きちんと服は着替えさせられ、体は綺麗に拭われた姿。涙の痕はあるが、傷はどこにも付けられていない。

「人間を道具のように扱うのが苦手なのは、貴方様も同じではないですか。」

 オリビアのそんな声は、悪夢に魘されるハルへ届く事はなかった。

「セシリア様のためにも、あなたのことは命を懸けてもお護りします。ハル=リースリング様。」

 眠りつづけるハルを優しく見つめながら、オリビアは自身のきっちりと纏められたグレーの前髪をそっと撫でた。



 * * *


 

 講義が終わると、ハルは自室ではなく、その反対。丁寧に手入れされた花畑や庭園の先にある、ノアの執務室に向かって歩いていた。もちろん私用ではなく、クラーケンによって負わされた傷跡の回復が目的である。

「楽しみだな」

 理由は簡単。ノアは「グラソンの良心」と呼ばれる程底なしに慈悲深く、心優しい人なのである。そして何より、見た目がとにかく可愛い。妖精のように、微かにほほ笑む表情。小柄な体。儚げな印象の涙ボクロ。ノアの外見に魅了された学生は、校内校外問わず少なく無かった。隣国の大臣から見初められ、求婚されたという噂すらあるほどだ。

 そして、ハル=リースリングもまた、そんな彼女の聖母の様な美しさに魅了されたうちの一人であった。

 外見だけではない。四賢聖による裁判では、唯一のハルの味方となり、ハルの治療にあたってくれた人格者でもあった。そんな所も含め、ハルはノアに並々ならない恩や、尊敬の念を感じていた。

 あの時の御礼もできたらいいな。

 階段を上って、ノアの執務室の扉の前に立つ。ドアノブに、手をかけようとしたときだった。

 ドアの向こうから聞こえる声。

「そんな勝手な事、許されませんよ!」

 それははじめて聞くノアの怒鳴り声であった。答えるように、もう一人。

「許さない?誰が許さないんだ?セシリアか?」

「そういうことではないでしょ!」

「この学園のやり方は甘すぎる!あの咎人、ハル=リースリングに対する扱いだってそうだ!」

 突然飛び出した自分の名前に、ハルの心拍数が一気に高まった。

「オーネット、最近少し変ですよ!?」

 ノアと言い争いをしているのは、四賢聖の中で最も厳格な人物。グラソンの守護神にして剣神の、オーネット=ロンドであった。

「私の事をわかった様な口聞くな!」

 オーネットはそう怒鳴ると、部屋を出るのか、ドアノブが回る。

 まずい。

 しかし、ハルが気が付いた時には、既に遅く。

 狼狽えている間にドアが乱暴に開かれ、緑の麗君がハルの前に姿を現す。

「貴様……盗み聴きとはいい身分だな。」

「これはあの、偶然で……セシリア様に言われまして……」

 オーネットは鋭い瞳でハルを睨むと、制服の胸ぐらを掴んで後方のノアの部屋へと、ハルの体を片手で投げ飛ばした。

「うわっ!?」

 軽々と投げ飛ばされたハルは、見事に棚へと命中。降り注ぐ分厚い本の山に埋もれる。

「私は貴様が嫌いだ……ノア、客人だぞ。」

 音を立てて、扉が閉まる。それでも尚、部屋にはオーネットの纏う強力な魔力が、残滓のように漂っていた。

「ハルさん大丈夫っ?オーネットがごめんなさい!」

「大丈夫です、最近よく吹っ飛ばされるので……。」

 ノアの執務室は、セシリアのそれとは全く作りが異なっている。部屋のあちこちには、薬草にするためか、大小様々な植物が置かれており、温室のように温かい。ガラス張りの天井からは、遠くの空に一番星が瞬いていた。

 恐らく、朝は燦燦と陽光が差し込み、一層幻想的な空間になるのだろう。

「散らかっててごめんね。」

「えっ、いや、全然!落ち着きます、ノア様の部屋。」

 ノアが、薄い青色をしたハーブティーを差し出す。

「……見苦しい所を見せちゃったね。」

 ノアの表情は、少し寂しそうだった。

「オーネットはね、私と幼馴染なの。昔はあんなに強情じゃなかったんだけど……色々あってね。いつの間にか、グラソンの守護神なんて呼ばれるようになっちゃって。ちっちゃい頃は、私の後ろに隠れてばっかりだったのに。」

「オーネット様の、幼い頃……」

 全く、想像がつかなかった。幼い頃から武人のように振舞っていそうなものだが、昔はそうでなかったのか。

「根は悪い人じゃ無いの。ただ……ハルさんには信じて貰えないかもしれないけれど、自分が全部守らなきゃって。必死なだけなの。頑固すぎるんだけどね。」

 「でも」と、ノアのトーンが下がる。その表情は曇っていた。

「最近のオーネットは様子が変。ここ二週間は、法や規則のためじゃなくって、自分の中のルールのためだけに動いている気がするの。」

 オーネットは確かに頑固で、命より規範を重んじるイメージがある。それを、ハルはその身をもって知っていた。しかし先程のオーネットは、ハルに対して「嫌い」だと言った。それはただの感情だ。それにオーネットは判決の直前に言葉を交わした際、「個人的な恨みがあるわけでは無い」と言っていた。ノアが言うとおり、この数週間の間に、オーネットの中のハルに対する印象が変わったのか。それとも――。

「洗脳とか心理操作みたいな魔法がかけられてるって可能性は無いんですか?」

「そうねぇ……四賢聖にそんな高度な魔法をかける事は難しいわ。セシリアさんくらいの魔法士なら可能かもしれないけど、その可能性はないし。後は、周囲の物に魔法をかけて、徐々に対象者を侵食させるか……。」

「周囲の物、ですか?」

「ええ。肌身離さず持ち歩くものに魔法をかければ、少しの心理操作魔法であれば、かけられる。でも、物にかける魔法は、どちらかというと呪術に近い。魔法をかけるだけで、三日か四日くらいはかかる。」

 常に持ち歩く物に魔法をかけるには、まずは対象物を盗む必要がある。そんな大切なものを数日も盗めば、あのオーネットが気付かない筈がない。

「そもそも、例え魔法をかけられたとしても、対象物自体に不自然な魔力が宿るから、私でもすぐに気づくと思う。」

「うーん…………」

 あと一歩で何か掴めそうなのだが、その何かが分からない。

「そんな事より、ハルさんの治療をしないと。」

 ノアはそう言って微笑んでいるが、ハルが帰ってからもきっと調べるつもりなのだろう。

 別に、ハルの中でそこまでオーネットへ思い入れがあるわけではない。むしろ、自らを殺そうとした敵に近い存在である。だが、先程すれ違ったときの、ハルを蔑むような濁った瞳。悪意が濃縮されたような、魔力の感じ。

 放置しておけば、ハルの身にも災いが起こるほどの大事になる。そして何より、ノアを悲しませていることが、ハルは許せなかった。

「何か気づいたことがあったら、私もお伝えしますね。」

 自分でも、調べてみよう。ノアの回復魔法を受けながら、ハルはそう決心するのだった。


* * *



「セシリア様。」

「何?」

「オーネット様ってどんな…………いだっ!?」

 ベッドの上。先ほどの温室のような執務室で見た天使とは対照的な、冷たい悪魔セシリアに、ハルはオーネットの様子を訪ねようとした。だがその声は、噛み付かれた鎖骨の痛みで遮られる。

「人に脱がされながら質問なんて、随分と図太くなったのね。」

「ノア様が、最近のオーネット様の様子がおかしいって、悩んでらっしゃって……」

「ふうん。」

 セシリアはそれだけ言うと、全く興味がなさそうな表情で、ハルの脚を広げた。

「ちょっと待って下さい!人の話聴いてます!?」

「聞いてない。」

 当然セシリアはハルの静止などでは一切止まらない。

「自分のことくらい、自分でなんとかするわ。」

 首を突っ込むな。セシリアはそう言いたいのだろう。だが、本当にそうなのだろうか。

 誰もが、セシリアのように強い精神を持っているわけではない。最も頑強に見える部分が脆かったり、脆そうに見えても、屈強だったり。人の心には、歪さがあるものだろう。

 あのグラソンの守護神と謳われるオーネットは、本当に……。

「私に集中しなさい。」

「う、ぐぅっ…………!」

 明日、リア達に相談してみよう。

 今夜も始まる、慣れることのない課業。蠢きだす指の感触に、ハルは静かに目を瞑った。

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