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06 少女と魔獣討伐授業


「あっ、ぐっ」

 真っ白なベッドの上、陶器の様に真っ白な少女が、切り揃えられた黒髪を振り乱す。

 月明かりが、揺れた。

 か細い手足が、広いベッドの上を泳ぐ様にシーツを引っ掻く。必死なその姿は、見る人の劣情をそそるもので。

「も、むりだからっ……休ませ、ぐうっ……!」

 少女の哀願など、まるで聞こえていないかの様に。

 指は機械的な動きを休めることなく、少女を執拗にゆする。

「魔力量が上がっているわね。」

 少女は悲鳴とともに、背中を折れそうなほど仰け反らせた。そして、ぐったりとした身体を、ベッドに沈める。

 先程までの妖美な艶やかさが嘘のように、あどけない表情で眠る少女。意識を失った事を確認すると、覆い被さっていた青藍色の少女は、静かにベッドから降りる。そして、寝息を立てる少女の柔らかな頬を、人差し指で撫でた。

 静まり返った部屋に、佇む人。

 その表情からは、どんな高等魔法士すら、一切の感情も読み取ることができなかった。


 

* * *



「うへぇ、座学ばっかで死にそう……」

「そんな事言ってると、また補習になっちゃうよ?」

 気怠そうに机に突っ伏すリアを、「今日最後の授業だよ!」と、なんとか励ます。

 ハルの悪魔の契約を取り巻く一件は、無期限の投獄と、それを免れる為のいくつかの条件をハルに課すことで、幕を閉じた。

 条件付きとはいえ、死罪から免れた事に、涙を流して喜んだハル。しかし、その条件――セシリアへの魔力の譲渡――の本当の意味を知ってからは、現在の自身の置かれている状況は、決して手放しで喜べる様な物ではなかった。

「……ハル、大丈夫?」

 以前とは、変わらない表情を浮かべているつもりだった。

 特にリアには、これ以上心配をかけたくなかったし、ハルの魔力譲渡の能力を知ったら、一体どんな風に思われてしまうのか、少しだけ怖い気持ちがあった。この魔力譲渡の力は、悪魔の力なのだから。

 だが、誰も見ていない時に浮かべる、ハルの苦しげな表情。ずっと側にいるリアが、気が付かないはずも無かった。

「やっぱりまだ、どこか悪いの?」

「最近ちょっと、夜更かししすぎで……。」

「そっか。ちゃんと寝ないと、また実技試験中に倒れちゃうよ!」

 寝不足なのは、嘘ではない。それでも、真実をリアから遠ざけている事に、ハルの良心が痛む。

 しかし、リアはそれ以上踏み込んでこない。

 それは、ハルの事を心配していないという訳ではなく、むしろ、その逆である。

 そもそも、突然の部屋の移動。決して一緒には摂らない夕食。時折見せる、辛そうな表情。その身に、リアの知らない何か特別な事情があることは、明白だった。それが、今もハルを悩ませ続けていることも。

 常に危うげなハルを、本当の妹の様に大切に思っていたリア。そんなリアにとっては、出来るのならハルの肩をゆすってでも、何があったのか問いただしたい程だ。

 だが、誰よりも優しいハルのことだ。本当の事を隠しているのは、リアの為なのだろう。根拠はないが、リアはそう確信していた。なので、ハルが自ら助けを求めるまでは、深く追求しない。ハルと同様に優しすぎる友人は、そう決めていた。

 ハルは、教壇上で火の魔法の構築理論を解説する講師を、ぼんやりと眺める。そして、心配そうなリアの視線に気が付かないまま、ため息を漏らした。

 ハルの頭の中に過るのはやはり、あの氷の悪魔の事であった。



* * *



 初めての情事。それも、一方的な蹂躙に近い行為が行われた翌日。講義が終わるや否や、ハルはセシリアの執務室に押しかけた。理由は勿論、自らに課せられた条件を問い質し、回避方法を模索する為である。

 緊張した面持ちで訪れた、セシリアの執務室。セシリアは、まるで昨夜の凶猛な行為など無かったかのように、変わらずの無表情で積み重ねられた書類に目を落としている。

 明らかに、何も気にしていないという態度。そして、今もハルを襲う、気怠さや下腹部の違和感。ハルは沸々と湧き上がる苛立ちを感じていた。

「お話があるのですが。」

「私から話す事は何もないわ。夕食後、入浴を済ませたらベッドに入りなさい。」

 ――ベッドに入りなさい。

 その言葉はつまり、今日も魔力譲渡を行うということ。それこそが、自分が死罪を免れた条件なのだから、当然の返答だった。だが、一般的な恋人同士のそれとは全く異なる、一方的な行為。それを連日行う事は、人より我慢強い自信のあるハルであっても、体力的にも、精神的にも、とてもではないが、耐えられるものでは無かった。

「昨夜のような事を、毎日するんですか!?」

「わかった事が二つある。一つは、快楽の度合いと、渡される魔力量は比例するという事。もう一つは、魔力をどんなに譲渡しても、貴方の魔力はすぐに回復する。つまり、渡せる魔力の総量に、ほとんど上限は無い。」

 セシリアの言葉に、昨夜の光景がフラッシュバックして、思わず目を逸らす。そんなハルの様子に構うことなく、セシリアは話を続けた。

「条件通り、貴方には毎日私に魔力を供給して貰うわ。もしそれが出来ないと言うのなら、次の測定会で私の魔力量は上昇せず、使用用途のなくなった貴方は、咎人として死罪。心配しないで。昨日の夜のように、どんなに貴方が泣き喚こうが、私が勝手にやるから。」

「セシリア様は、それでいいんですか!?私みたいな、何の取り柄もない田舎娘と、あんなことっ……」

 陳腐な言葉で、セシリアの理性を揺さぶる。だが当然、セシリアは動じない。

「何の取り柄もないというのは、否定させて貰う。あなたには、魔力を譲渡するという、世界で唯一の力がある。その利用価値は計り知れない。」

 追い打ちをかけるように、セシリアの冷たい瞳が、ハルの心を覗いた。

「昨夜の事で振り回されている貴方には申し訳ないけれど、私にとって、これはただの業務。貴方はただの、利用価値のある道具。道具を最大限利用する事に、愛や情は存在しない。」

 相手は、グラソン魔法学園の、絶零の魔女なのである。世間一般の倫理観など、持ち合わせているはずも無かった。

 話は終わり。そう言うように、ハルはセシリアの魔法によって、執務室の外へと押し出された。バタンと、扉の閉まる音が静かな廊下に響く。窓から差し込む日差しは、オレンジ色に染まり、影を伸ばしていた。

「ハル様。夕食のお時間です。」

 振り向くと、使用人兼、ハルの監視を担当しているオリビアが音もなく立っていた。

 もうすぐ、またあの夜がやってくる。

 ハルの心に、複雑な痛みが走った。



* * *



「魔獣討伐訓練きたああああ!!!」

 ハルの回想は、突然のリアの叫び声によって遮られる。

 見ると、壇上の黒板には『5/18 魔獣討伐訓練』と書かれていた。初めての実践訓練が行われるらしい。他の生徒もリア同様、顔を輝かせている。

「魔獣討伐の実践訓練では、例年大怪我をする生徒もいます。自分の力を過信し過ぎず、しっかりと準備して望んで下さい。」

 隣のリアには、そんな講師の言葉など耳に入っていない様子だった。「やっと自分の出番が来た!」と歓喜の声をあげて、拳を握っている。瞳には、メラメラと炎が宿りそうなくらいだ。ハル自身も、久しぶりの郊外での活動に、期待に胸を高鳴らせていた。

「このクラスが討伐するのは、セイレーンです。セイレーンについて知っている人はいますか?」

 講師の問いに、何人かの生徒が手を挙げた。

「はい!セイレーンは中級クラスの危険度に分類される魔獣です。」

「歌声を主とした幻術を使う、非常に知能の高い水棲魔獣で、集団で行動します!」

「皆さん正解です。」

 講師が魔法を唱えると、壇上にグラソン王国の地図が現れる。

「セイレーンは、グラソン王国南部、アイレオ海に頻繁に出没する事が確認されています。今年は特に、その活動が顕著です。今月に入ってから、すでに数名の漁師をはじめ、十数人を乗せた客船も、被害にあっています。」

 なるほど。実践訓練というだけあって、実際に人命に被害を与えている魔獣を討伐するらしい。

「今回は、アイレオ海に囲まれたテルテラ海岸にて、セイレーン十体を討伐する事がミッションです。セイレーンは攻撃力の低い魔獣ですが、歌声を聞いた人間に幻覚を見せる、魔獣の中でも特に高い知能を持っています。状況によって、討伐難易度が大幅に変化しますので、生徒は必ず二人ずつペアを組み、討伐に当たって下さい。」

 セイレーン。山に近い村で育ったハルは、実際に見たことはない魔獣である。だが、その名前はよく耳にする。一体、どんな姿をしているのだろうか。初めての実践訓練に心躍るハルであったが、喜ぶ前に一つだけ、ハルにはやるべきことがあった。

 ハルはリアの方を振り向くと、両手を握る。

「リア、私とペアになってくれる……?」

「もっちろん!当たり前じゃん!」

 リアの溢れんばかりの笑顔に、ハルは胸を撫で下ろした。

 ハルがリア以外の生徒と会話をする事は、四賢聖によって禁止されている。その為、もしリアが他の生徒と組みたいと言った場合には、ハルは魔獣討伐授業への参加を辞退するか、他の生徒と一言も会話をせずに取り組むかしか、選択肢が無くなってしまう。そして後者は、不可能に近い。授業に四賢聖でも連れて行ければ話は別だが、それでは実践訓練にならないだろう。

「リアの足を引っ張らない様に、実習までにもっと魔法練習するね!」

「まあまあ頑張りたまえ、リースリング君。」

 リアはそう言って、胸を張る。座学中はいつも寝ているリアだが、魔力量は8.8%程と高く、全校生徒の中でも上位に入る。そんなリアがペアであれば、非常に心強い。

 授業とはいえ、ドラゴン以来の魔獣討伐。あの時はアクシデントだったとはいえ、手も足も出なかった。だけど次こそは、必ず。

 ――私も力をつけて、いつか絶対にセシリアを倒して、自由を手に入れてみせる!

 不可能に近い事は、重々承知であった。しかしそれでも、現在の状況から脱出する、唯一の方法だ。

 そう意気込んでいると、同じクラスの生徒三人組に声をかけられた。恐らく、一度も話したことのない生徒たちだった。

「あら、ハル=リースリングさんも魔獣討伐に参加されるの?」

「まさかそんな。どっちが魔獣だか、分からなくなってしまうもの。」

「間違って攻撃してしまったらごめんなさいね?あなた、咎人なんじゃないかって、噂されてますもの。」

 そこで、ハルは思い出す。リアとばかりいるせいで忘れていたが、測定会での一件があってから、学園の生徒たちには物凄く嫌われているのだ。

 ハルへの敵意を隠そうともしない、三人組の物言い。それでも、わざわざ話しかけてくれているのだ。なんとかこの機会に、少しでも溝を埋めたい。しかし、ハルが会話する事を許されているのは、リアだけ。

 言葉を交わすことができず、ただ黙り込むハルの態度に、三人組は更に腹を立てた。

「無視するなんて、いい度胸ね!」

「だいたい、オーネット様に串刺しにされるなんて、羨ましすぎるのよ!」

「ちょっと魔力量が多いからって、調子に乗らないで!」

 二人目の発言は、聞かなかった事にした。

 しかし三人組の難癖は、ハルが黙り込めば黙り込むほど、どんどんとヒートアップしていく。

 「悪魔の眷属かどうか、その左目を抉って確かめる事もできるのよ!」

 ついに一人が、風魔法の刃でハルの左目を切りつけようと、身を乗り出した。

「ちょ、ちょっと待ちなよ!」

 簡易な防御魔法を展開するリアと、教室での魔法の行使は流石にまずいと思ったのか、他のメンバーも止めに入る。しかし、それでも静止を振り切って、片手から炎のように吹き上がった風の刃が、ハルの左目めがけて放たれた。

 高速で回転する刃のように、鋭く研ぎ澄まされた魔法が、リアの防御魔法を打ち破る。そして、一直線にハルの瞳へと迫った。

 鮮血を散らしながら、ハルの片目を抉り取る。

 その場にいた誰もが、そう思った。

 だが、ハルに触れる直前。凝縮された風の刃は、跡形もなく姿を消す。

 その場にいる人間の吐く息が白くなる。それほどに漂う、突然の冷気。

「何をしているの。」

「セシリア、様……?」

 三人組は、背後に立つその顔を確認するや否や、顔を青ざめさせた。走る緊張。特にハルは、セシリアの眉間に寄せたられた皺を見た瞬間に、より一層表情を強張らせる。

 それは、ハルが知っている中でも、最も激怒しているときのセシリアであった。ハルは一度だけ、今と同じような表情のセシリアを見たことがある。それは、襲われてる最中に、なんとかベッドから逃げ出そうと奇をてらい、セシリアの胸を触った時だった。

 そこから先の記憶は…………いや、とにかく!この三人組は、このままでは間違いなくセシリアに殺されてしまう。

 ハルは咄嗟に三人組を庇った。

「ち、違うんです!ちょっとみんなで、その、魔法の練習をしていて……!」

 三人組はハルの発言に驚きつつも、コクコクと震えるように首をふる。セシリアは黙ったまま、ハルの目の前に立った。そして、恐ろしいほどに冷たい瞳を、怪訝そうに細める。

「何をしているのって聞いたのは、貴方によ。ハル=リースリング。今が何時か、わかっているのかしら。」

「え……ひっ!?」

 壁の時計を見る。針はまさしく、オリビアが夕食を用意する時間を、三分も過ぎている。

「弁明、楽しみしているわね。」

 瞬時に理解した、自分の大きな過失。そして、冷たい視線のまま、ニッコリと笑う青い悪魔。恐怖の根源のような感情が湧き出して、背筋を駆け上がった。ハルは大慌てで自分の荷物をまとめると、リアへの挨拶をする余裕もなく、自室へと猛ダッシュで走り出す。

 取り残され、呆然と立ち尽くす三人組とリア。セシリアは再び、いつもの無表情に戻った。

「貴方達、教室での魔法行使は禁止されているはずよ。ハル=リースリングに感謝することね……それと、リア=ロペス。」

「は、はいっ!」

「ハル=リースリングの事をよろしく。」

「は………………へ?」

 セシリアはそれだけ言うと、教室を出て行ってしまった。

 再び取り残される、三人組とリア。

「ハル……本当に、何をしたんだ?」

 しかし、驚きで唖然としたリアの声は、廊下を全速力で駆けるハルの耳には、届かないのであった。

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