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04 少女と判決

 瞼を開くと、沼地の底のように湿った牢獄にも、朝日が差し込んでいた。

「こんな時にも、人って眠れるんだ。」

 自虐的に笑いながらも、ノアの施してくれた治癒魔法に、睡眠へと誘う催眠魔法が施されていた事は、薄々ハルも感じていた。

 ノアという四賢聖は、どこまでも優しいらしい。

 ぼんやりと、上部の隙間から覗く、真っ青の空を眺める。

 このあとの判決でハルに極刑が下されれば、人生で見ることのできる、最後の空だ。そして、もし永久投獄であったとすれば、これが一生見ることになる景色なのだろう。

 死にたくはない。だけど、死ぬべきなのかもしれない。

 暗澹とした思考は、袋小路のままだった。

 しばらくそうしてぼんやりとしていると、牢のある塔に、堅い靴音が響き渡った。

「ハル=リースリング、時間だ。」

 現れたのは、緑髪の麗君にしてグラソンの守護神、オーネット。

 看守はいないらしい。これも、自分が咎人だからなのだろうか。

 オーネットが錠前で手をかざすと、重い金属音とともに、鍵が外れた。

 この時が来た。覚悟は決めていたはずなのに、足が震えて、立ち上がれない。まるで体が、この先の未来を拒絶しているようだった。

 だけど、みっともない所は、見せたくない。

 ハルは歯を食いしばると、地面に手をついて、気力で立ち上がる。そして、オーネットの後ろに続いて、歩き出した。

 少しでも気を抜けば、何とかしてこの場所から逃げ出せないかと。そんなことばかり、考えそうになる。

 だから、なるべく無心で。目の前で揺れる、束ねられた艶やかな深碧の髪を眺めていた。

「分かっているだろうが、お前に個人的な恨みはない。」

 オーネットに話しかけられるとは、思ってもいなかった。牢を出て、螺旋状に続く石の階段を下りる。

「お前にも守りたいものがある様に、私にも守りたいもの、守らなくてはならないものがある。」

 直感だったが、ハルはオーネットの言う『守りたいもの』が、秩序やルールなどではなく、その先にある何かを指しているような気がした。

「だから私はこれまでも、ここから先も。お前に一切の容赦はしない。恨みたくば恨め。」

「…………恨みません。オーネット様が優しい人だというのは、分かってますから。」

 自分でもなぜ、その様な事を言ったのか、分からなかった。

 しかし、どこかオーネットには、心のずっと奥底、誰も触れられない場所へ、自分の意思を押し殺し、理屈で何重にも防備している様な印象があった。

 それが、たった数枚のハリボテの様なものであれば、ハルはオーネットに泣いて縋り付き、心の隙を突こうとしただろう。

 しかし、あまりにもその壁は重厚で、祟高だった。そして、仮にその壁を無理矢理にでもこじ開けてしまえば、きっとこのオーネット=ロンドという、雄鹿の様に気高い人間は、その事実を受け入れられず、壊れてしまう――――そんな風な、一種の繊細さを感じたのであった。

「なるほど。悪魔はそのように誑かすのだな。」

 オーネットが、驚いたような表情をしたかに見えた。だが、それは見間違いを疑うほど、ほんの一瞬だった。

「着いたぞ。」

 連れてこられたのは、牢獄がある建物と地下で繋がった、何の変哲もない部屋の前。

 ここが、私の運命が決まる場所。

 一見すると、ただの部屋の様にも感じるが、扉の向こうから漂う禍々しい気配が、ここが自分の訪れる最後の地になる事を告げていた。

 いざ前にすると、心と体が全く別物であるかの様に、足がすくんで、前へ進めない。

 嫌だ。怖い。逃げ出したい。

 ドアノブを握ろうと腕を持ち上げても、ただ手汗が出るばかりで、指一本動かす事すらできなくなっていた。

「入れ。」

 ハル以外の罪人も、同様なのだろうか。オーネットは特に意に介す事もなく、ドアノブをひねると、ハルの背中を部屋の中へ押し入れた。

 ヨロヨロと数歩踏み込み、顔をあげる。

 部屋の中は、外からは想像がつかない程広い空間だった。きっと、魔法で作られた空間なのだろう。床は一面大理石が敷かれており、中央には黒い円柱の様な台座が置かれている。そしてそれを囲む様に置かれた、四つの簡素な椅子。そのうちの三つには、既に人の姿があった。

「あ!やっと来た。さぁ、さっさと殺そう。」

 厳粛な空気を一蹴する様に、眠そうに目を擦る人。それは銀色の兎の様な少女、クロエであった。

 そしてその隣には、昨夜ハルの傷を癒してくれたノアが、「来てしまったの」と、悲しそうな目でハルを振り返る。

 ノアの向かいに座るセシリアは、相変わらずの無表情で。脚を組んだまま、部屋に入ったハルには一瞥もくれなかった。

「進め。」

 オーネットの言葉に、ハルは刑場、四賢聖のいる元へ向かって足を踏み出そうとする。だが、なかなか足が言う事を聞かない。

 異質なのだ。この部屋を満たす空気が。例えるならば、目に見えない火薬で詰められた部屋を、松明を持って進むような。一歩でも間違えれば、死ぬ。間違えなくても、運が悪ければ死ぬ。まるでそれは、100発中99発に爆薬が詰められた、ロシアンルーレットのようだった。

 私は、ここで死ぬ。命が、終わる。それはこの数日で感じた中でも、最も実感のある『死』だった。

 心臓が、逃げろと告げる。だが背後にも、目の前にも、四賢聖がいる。逃げられるわけがない。

 怯えたように震えて、立ちすくむ。

 そんなハルを楽しそうに見ていたクロエは、ニヤリと口角を上げると、人差し指を招く様に動かした。

「クロエっ!!!」

 気づいたオーネットが、それを止めようと腕を伸ばすが、ほんの数秒早く、床から伸びた太い鎖が、たちまちハルを縛り上げ、中央の円柱の台座上に拘束する。

 吊るされたハルの両腕は左右に無理やり引き上げられ、ぶら下がるように、全体重が両腕にかかった。

「うっ…………」

 この鎖は、裁判の時と同じもの。だとすれば、これがクロエという四賢聖の魔法なのだろうか。

 だが、分析する時間は与えられなかった。背後で何か、重いものが風を切る様な音が聞こえた。次いで、破裂するような音が、部屋いっぱいに響き渡る。

 同時に背中に訪れる、引き裂かれた様に鋭く、激しい痛み。

「ぎあぁッ!?」

 背中が、焼ける様に熱くて痛い。恐らく、皮膚が裂けている。歯を食いしばらなければ、意識を飛ばしそうな痛みだった。

 もう1発。ヒュッと、再び何かが風を切るような音を立てたところで、背後から金属と金属がぶつかる、甲高い音が鳴り響く。

「クロエ、そこまでだ。」

 あたりに、切断された重い鎖がじゃらじゃらと散らばった。恐らくそれが、私の背中を打ちつけたものの正体なのだろう。

「まだハル=リースリングの正式な判決は決まっていない。私刑は違反行為だ。」

 オーネットが剣を鞘にしまいながら、クロエを睨んだ。

「違反行為ねぇ。でも、知らないって言ってるんでしょ?だったらどうせ拷問して死刑じゃん。今殺しても変わらないって。」

 クロエが、背中から血を流して苦悶の表情を浮かべるハルを、つまらなそうな表情で見る。

「クロエさん、台座が血液で汚れてしまいます。」

 ノアが嗜める様に諭すと、クロエは興味を失ったらしい。「しょうがないなぁ」と、片腕を振ってハルを縛り上げた鎖を消した。支えを失った体が台座の上に打ち付けられ、ハルは思わず苦悶の声を上げた。

「クロエさん!……ハルさん、大丈夫ですか?」

 ノアの鳥のような形をした回復魔法が、ハルの背中の傷を塞ぐ。その隣にオーネットも着席すると、四賢聖がハルを囲むように座った。

 漸く、セシリアが口を開く。

「これより、ハル=リースリングに判決を言い渡します。」

 背中の痛みは、未だ完全には引いていない。正直まだ、立っているのがやっとな程だ。だがそれでも、自分の運命が、一方的に決定される。

 ハルはゆっくりと顔をあげると、目の前で佇むセシリアの目を、真っ直ぐ見つめた。

 死罪であれば、その場で処刑。無期限の投獄であっても、両親に別れの挨拶をする事と引き換えに「何でも話す」と約束をしてしまった以上、何も身に覚えがないハルには、死よりも苦しい拷問が待ち受けている。

 どちらになっても、地獄の道だ。喉が、カラカラに乾く。もう、祈るような神もいなかった。

 セシリアは、ハルの目は一切見ないまま、手元の書類を読むように言い渡した。

「ハル=リースリングは、咎人である事を隠匿し、グラソン魔法学園に侵入。禁忌を犯した上で、無差別に周囲の人間を危険に晒した。よって教会法違反、王国法違反、魔法条項違反により、あなたを無期限の投獄の刑に処します。」

「……………………っ」

 言い渡された判決。実質的な、死刑。本来ならすぐに極刑となる所を、まだ悪魔との契約内容や、協力者等の存在が一切明かされていない事から、ただ死なすには惜しいという理由だけの判決だった。

 そしてそれは即ち、ハルが本当に何も知らないという事が分かれば、即座に死刑になるという事。

 疑われても拷問の末、殺される。疑われなくとも、殺される。そんな絶望しかない未来が今、大口を開けて、ハルを飲み込もうとしていた。

 手足を切り落とされるのだろうか。全身の爪を剥がされ、火に炙られるのだろうか。次から次へと、頭の中に恐ろしい想像が浮かぶ。ハルの心は、完全に恐怖に囚われていた。 

 しかし、終わったと思われた判決に、セシリアが更に口を開く。

「但し、以下の条件を満たし続ける限りは、その限りではないとする。」

 思わぬセシリアの発言に、ハルだけでなく、オーネットをはじめとする四賢聖達が、一斉にセシリアを見た。

「一つ、ハル=リースリングは、その能力をグラソン王国の魔法発展の為だけに捧げる事。二つ、それに伴い、一日一回以上の魔力譲渡を、セシリア=セントリンゼルトに行う事。三つ、上記の二つを厳守すべく、セシリア=セントリンゼルトの許可なく行動しない事。四つ、上記三つに背いた場合には、判決を待たず、その場で死罪とする事。以上。」

 思いがけない判決。言い渡されたハル自身も、何を言われているのか、さっぱり分からなくなっていた。

 予想外の事態に、最初に声をあげたのは、オーネッだった。

「セシリア!そんな判決、毛頭賛成しかねるぞ!咎人は死罪。口を割らない場合には、投獄して拷問。それが同盟国間の取り決め!そんな生温い処罰など、言語道断だろ!」

 語気を強めて迫るオーネット。だがセシリアは、顔色を変えなかった。

「咎人を死罪とするのは当然。でも、ハル=リースリングには多少のリスクを負っても、それを大きく上回る利用価値がある。」

「利用価値。それが、魔力を捧げるという事?」

「そうよ、ノア。順を追って説明するわ。」

 オーネットの反発も、セシリアの想定通りだったのだろう。その声は淡々としていた。

「クロエは知らないかもしれないけど、昨日私とハル=リースリングは、ドラゴンに襲われた。それも、普通のドラゴンじゃない。上空警備の目を掻い潜り、私も直前まで接近に気付かない程の、上位個体。」

 ノアは顎に手を当てて、考え込む様にセシリアの話を聞く。

「盟約を守るためには、中程度の威力の魔法を、任意の距離まで飛ばせるだけの魔力が必要だった。でも、私の魔力でも、遥か上空まで中威力の魔法は飛ばせない。抵抗が大きすぎるし、威力をあげれば、盟約を破る事になる。」

 盟約の存在は、四賢聖の中では、当たり前の存在らしい。クロエでさえも、退屈そうな顔をしているものの、黙ってセシリアの話を聞いていた。

「そこで、考えた。ハル=リースリングはなぜ、他者にしか回復魔法が使えないのか。なぜオーネットの攻撃を防いだ時、反撃する事ができなかったのか。なぜ魔力の気配を一切感じないにも関わらず、装置では430もの数字が出たのか。そして、なぜそれだけの魔力を持っていて、草花に水を与える魔法しか使えないのか。」

 オーネットは眉間に寄せ、「そんな事あるはずがない」と狼狽えた。クロエは反対に「面白い事になった」と口角を上げる。

「そこで私は、仮説を立てた。おそらくこの咎人、ハル=リースリングが悪魔の契約で得た力は、”人に魔力を与える力”。そして、その代償は”それ以外の力、全てを失う事”だと。」

「そんなのはあくまで仮説だろう!」

「それなら私にも、思い当たる節があるわ。」

 オーネットの疑問に答えたのは、意外にもノアだった。

「何度かハルさんの事を治療しているけど、不思議に思う事があるの。ハルさんには魔力が無いのではなくって、魔力の出口が無いのだと思う。そのせいで、魔力を流し込む必要のある痛み止めの魔法や催眠系の魔法は、すごくやりづらい。きっと、もっと複雑な身体強化の魔法なんて、ハルさんにかけるのは無理なんじゃないかしら。」

「そんなの、体質かもしれないだろう。」

「いいえ。膨大な魔力量を持つ人は、魔力量に相対して、魔力の出入り口も大きくなる。でないと、体を巡り続ける魔力が燻って、すぐにパンクしてしまうわ。だけれど、ハルさんは違う。不自然に出口だけが小さいし、それに小さいと言うより、塞がれたって表現の方が、適切な感じがする。」

「塞がれた……契約によって……?」

 オーネットとノアが、じっとハルを見つめる。ハルは自身の話をされている事は理解しているものの、魔法に感する知識が疎いせいで、全く内容についていけずにいた。

 すると、ここまで黙って傍観していたクロエが口を挟む。

「その話が事実なら、ハルを生かしておくの、賛成かにゃーん。魔力の授受は、魔法学の永遠の謎。不老不死とも並ぶ究極の命題。それを紐解く鍵になるのなら、確かに殺すのは惜しいよね!」

 クロエは立ち上がると、ゆっくりとハルに近づく。そして指の腹で遊ぶように、ハルの唇をなぞった。

「でもさぁ」

 ニヤリと、クロエの口が湾曲する。それは明らかに、セシリアを挑発する笑み。

「その条件、セシリアばっかり良い思いしすぎじゃない?魔力を渡すだけなら、薬漬けにして、手足を捥いで、牢屋に縛りつけて置けば良いじゃん。どうせ魔力の受け渡し方は同衾なんだよねぇ?」

「ドウキン…………?」

 聞き慣れない言葉に、ハルはクロエとセシリアの顔を、交互に見る。その様子に、クロエは一瞬キョトンとした後、くつくつと沸騰した鍋のように、笑いが込み上げた。

「あは、あはははは!まさか何も知らないの?かわいそー♪」

 突然、ハルの口の中へクロエの人差し指が押し込まれる。

「あにふるんえふか!?」

「同衾って言うのはね、つまり性行為って事だよ、ワンちゃん。」

「!?」

 性行為って。まさか。

 クロエはハルの反応を楽しむように、差し込んだ人差し指で、奥歯の歯列に触れる。吐き出したいのに、何かしらの魔法のせいか、体が固まったように動かない。

 そのまま、クロエの指が上顎の裏を撫でた。気持ち悪さとくすぐったさの中間の様な感覚。思わず顔が歪む。

「わざわざ自由にさせなくても、穴さえあればいいんだからさ。」

 ここで言う穴が何を指しているのか。流石のハルにも、推測できた。

「牢に繋いで、魔力が欲しくなったら誰でも自由に襲える様にした方が、効率的じゃない?一度に三人くらいなら頑張れるよね、ワンちゃん。」

「クロエ、言葉を慎め。」

 クロエの歯にもの着せぬ物言いに、オーネットが釘を刺す。

 すると、黙って聞いていたセシリアが、口を開いた。

「魔力を渡すだけなのであれば、確かにクロエの言う通り。だけど、ハル=リースリングの利用価値は、それだけでは無い。」

 セシリアは、軽く握った自分の左手を見ながら、言葉を続ける。

「ドラゴンと戦った際、確かにクロエの言うとおり、私は接吻を通じて、ハル=リースリングから魔力を貰い受けた。そして、私の魔力量は爆発的に上昇し、ドラゴンを退けることに成功した。だけど当然、その力は恒久的なものではない。もって一日だろう……最初は、そう思っていた。」

「まさか、そうではなかったのか……?」

「確かに、与えられた力の大半は、半刻程で消え去った。だけど、ハル=リースリングに与えられた魔力のごく一部が、私の中の魔力と同化して、今も微量ながら存在しているのを感じる。」

 オーネットは、考え込むように俯す。しかし、それでも納得いかないと、クロエがセシリアへ詰め寄る。

「計画的に使いたいってのは分かったよ。でもさ、セシリアが独占していいって理由には、ならないんじゃない?」

 クロエがハルの首に嵌められた魔法の首輪を持ち上げ、無理矢理セシリアの方に、ハルの顔を上げさせる。

「セシリアの独占欲に、はいそうですかぁーなんて、従うわけないよね。」

 独占欲。その言葉に、セシリアが不快そうに眉を寄せる。

「独占欲では無いわ。ハル=リースリングの持つ可能性は、グラソン王国の魔力量増強の一助になる。そして、それを最も効率的に他国へ示すには、この王国随一の魔力を持つ私が相応しい。将来、この力が公になる可能性を想定すれば、彼女を他の権力から守る力が必要になる。」

「うわぁ。自分で王国随一とか自分で言っちゃうんだ。ドン引きー。」

 プライドが高いのは顔だけにしてくれよ、とクロエは尚もセシリアを挑発すると、ハルを正面から見据える。

 台座の上で膝をつき、首輪を持ち上げられた姿勢で拘束されているハルは、低身長のクロエが正面に立つと、目線が全く同じ高さになった。

 クロエが、ハルの頬を片手で撫でる。子どものような容姿には似つかない、冷たい手のひらだった。

「まあいいよ。だけど、セシリア以外の四賢聖との接触は、特に定められていないよね。だったら私は、私の好きにするから。セシリアはちゃんとその力で、大事な魔道具を守って見せな。」

 クロエは一瞬でセシリアの隣に移動すると、意地悪な笑みを浮かべ、囁いた。

「私、一度気に入ったものは、壊れるまで遊ぶ主義だから。」

 そう言い残すと、クロエは甲高い笑い声を残して、姿を消した。

 一人、状況について行けないまま、ただ戸惑うハル。

 混沌とした空気に、咳払いをして切り込んだのはオーネットだった。

「セシリアやノアの話は、未だ仮説の域を出ない。仮説を理由に、法や禁忌に背いた咎人を裁かない事は、認められない。だから私からも、一つだけ条件を設けたい。」

 オーネットの言う「条件」という言葉に、ハルは唾を飲み込む。

「条件は、半年だ。半年後の測定で、セシリアの魔力量が明らかに上昇している事。上昇していなかった場合は、利用価値は認めない。法に則り、ハル=リースリングを死罪とする。」

 セシリアはもう、普段の無表情に戻っていた。

「異論はないわ。ノアは何かある?」

「…………私は、みんなの取り決めに従うわ。」

 ノアの答えを聞くと、セシリアは目を閉じた。

「では、閉廷します。ノア、クロエにこの部屋を閉じておくよう、言っておいて貰えるかしら。」

 セシリアが宙に手を翳すと、手の平から放たれた光が輝き、やがて細やかな繊維で織られた、真っ白な布となった。その上を、金色の炎が燃えるように走り、判決文を刻み込んでいく。

「これは誓いの番布。先ほど取り決めた内容が記されている。万が一でも決まりを破れば、貴方を地獄の底まで追いかける。」

 そういう魔道具なのだろうか。判決を記し終えると、布はハルに挨拶するように体を折り曲げ、細かい糸となって霧散してしまった。同時に、ハルの体を拘束していた魔法が消え去る。

「生き永らえたければ、役に立て。」

 オーネットはそれだけ言うと、部屋を後にした。思いもよらない判決に、思うところがあったのだろう。

 ハルは、未だに状況を飲み込めないまま。その場にへたり込む。すると背後から飛びつくように、柔らかく暖かい感触に包まれた。

「よかったぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!」

 腰に回された、細い腕。ハルに抱きついたのは、ノアであった。

 ハルが呆気にとられていると、羽のように柔らかなノアの頬が、すりすりと擦り付けられる。

「もう大丈夫だよ。」

 藍色の瞳が、陽の日差しのように柔らかく、細められる。天使のような眼差し。それは、固く凍りつき、絶望の淵にあったハルの心を優しく溶かした。

 ようやく、張り詰めていたハルの緊張の糸が切れる。

「わたしっ…………」

 ハルの頬を、大粒の涙が滑り落ちた。

「わだじっ、うぐっ、ひぐっ…………」

「よしよし。大丈夫。もう大丈夫よ。」

 安堵に啜り泣くハルを、ノアは自らの制服が涙と鼻水で濡れることも惜しまず、抱き寄せる。そして、ハルが落ち着くまで、まるで本当の姉の様に背中をさすった。

「あとは、セシリアさんにお任せするわね。あんまり意地悪したらだめですよ?」

 ノアはセシリアの方を振り返って「めっ」と、一本指を立てると、音もなく姿を消した。

「意地悪なんて、していないのだけど。」

 残されたのは、不服そうに呟くセシリアと、台座の上で座り込んだままの、ハル。

 じっと流れる、沈黙の時間。時間の経過と共に、気まずさが増す。

 しかしセシリアは物思いに耽っているのか、ハルの事など構うことなく、腕を組んだまま。何かを思案しているようであった。

 えっと、何か話題を出さないと。そういえば、私が自由に生活するためには、いくつか条件があるという話だった。確か、クロエという人が言っていた――。

「ドウキン?」 

 しまった。ハルは口に出してから、一瞬で後悔した。同衾とは、即ち性行為。そう、クロエは言っていたではないか。

「や、えっと、今のは言葉のあやというか!その、違くて!」

 慌てて取り繕うが、ハルの言葉に視線をあげたセシリアは、じっとハルの目を見たまま。

「あの、そう!条件がどうって、色々言ってたから!あの、これから私、どうしたらいいのかなって、思ってただけで……!」

 必死に誤魔化すハル。セシリアは、そんなハルの様子に構う事なく立ち上がると、ハルの目の前に立った。

 ハルの頭は、混乱していた。自分がセシリアに対して、どんな感情を抱けばいいのか、分からないためだった。

 セシリアと出会わなければ、こんな目に遭うこともなかった。一方で、セシリアがいなければ、今頃ハルは処刑されていたかもしれない。そこに、同衾による魔力譲渡という、得体の知れない条件が加わったのだ。混乱するのも、無理はなかった。

 セシリアの接近に、ぎゅっと目を瞑るハル。だがセシリアは、何も言うことなく部屋の出口へと向かった。

「何しているの?さっさと行くわよ。」

「へ……?は、はいっ!」

 セシリアの言動に、一瞬キョトンとしたハル。すぐにその言葉の意味を理解すると、慌ててセシリアの後を、自由になった両足で追いかけるのだった。



* * *



「今日から貴方には、この部屋を使って貰う。すぐに荷物をこの部屋に移動させて、私の執務室に来なさい。」

「広い……!」

 セシリアに連れてこられた部屋は、入寮時に指定されていた本来の部屋の、四倍は広さがあった。簡素ながらも質の良い調度品が置かれ、中央に置かれたベッドには、丁寧にベッドメイキングされた形跡がある。

 それだけ見れば、一生徒が利用するには、勿体無いほど贅沢な部屋。しかし、普通の部屋とは異なる点が、二箇所だけあった。

 一つは、窓。

 部屋の東側には、開放的な大きな窓が据え付けられていた。朝になれば、溢れんばかりの陽光が部屋に差し込むのだろう。

 だがその窓には、魔法で作られたと思われる格子が薄く引かれている。

 見た目は目立たないけれど、触れたら最後。ただでは済まない事になる。それは、魔法への知識が足りないハルでも分かった。

 そして、もう一つ。グラソン学園の寮の部屋では、ベッドはシングルサイズが基本だ。だがこの部屋の中央には、純白のシーツで覆われた、キングサイズはありそうなベッドが置かれている。

「彼女は、オリビア=ガルシア。あなたの世話は、彼女が行うわ。」

 セシリアの言葉に、オリビアと呼ばれた女性が、洗練された所作で、ハルへお辞儀をする。

「よ、よろしくお願いします!でも世話なんて、そんな…………。」

 畏まったオリビアの態度に、使用人などとは無縁の庶民の世界で生きてきたハルは、完全に恐縮しきっていた。

 これではまるで、罪人どころかお姫様のような扱いだ。

「オリビアは、長らく私に仕えていた使用人。並大抵の兵士でも敵わない実力者だから、変な気を起こすことはおすすめしないわ。」

 つまり、ハルが逃げ出さないように監視するための人という事だ。

 当たり前だった。決して私は、無罪放免となった訳ではないのだから。そう簡単に、通常の学園生活に戻れる筈もない。

「どんな事情があろうとも、私は本日よりハル=リースリング様の使用人です。何なりとお申し付けください。」

 オリビアは、鉄壁の営業スマイルを浮かべてた。身長こそ、セシリアよりは僅かに低いものの、すらっとしたスタイルと、使用人らしくきっちり分けられたグレーの髪。切れ長の細い目も合間って、微笑んではいても、容赦のない厳格な雰囲気を醸し出していた。

 この人が、今日から私を監視する人。

 怖そう。

 それがオリビアへの、ハルの第一印象だった。



* * *

 


 オリビアとの挨拶を終えた頃には、昼を過ぎていた。

 荷物を取るため、ハルが寮の廊下を一人歩いていると、見知った顔の人物が、壁にもたれ、外の天気に見合わない表情で俯いているのが見える。

「――――――――リア!?」

 ハルはその顔を認識するや否や、友人の名を叫んだ。

「ハル………………?」

 ハルの声に、勢いよく顔を上げたリア。そして、ハルの方を振り向き、幽霊でも見たかのような顔で、座り込んでしまった。

 最後に出会った時から、リアはかなりやつれた様に見える。その小さな体を抱き締めると、ようやくハルの存在を現実のものとして理解したのか、リアはボロボロと涙を流して、ハルにしがみついた。

「ハルぅ〜!ハルだ〜!生きてるよね?幽霊じゃないよね?」

 リアの素直な反応に、ハルもこの三日間の、嵐の様な出来事。そして、今こうして親友を腕に抱きしめていられている奇跡に、釣られたように涙が溢れる。

「私だよ。ハルだよ。リア、ずっと会いたかった。心配かけてごめんねっ……!」

「私、ハルが死罪になるかもって聞いて……ぐすっ、あの時、なんで助けに入らなかったんだろうって、ずっと後悔して……うわぁぁぁんっ」

 泣き出したらリアの体を、ぎゅっと抱き寄せる。釣られたように、ハルも大声をあげて泣いた。

 またこうしてリアと話せることが、どれだけ奇跡的なことか。身に染みているからこそ、ハルは涙が止まらなかった。

「もう大丈夫なの?学園生活に戻れるの?それに、その左目の色…………。」

 リアが手の甲で涙を拭いながら、心配そうにハルに尋ねる。

 リアの質問に、ハルは「うーん」と考え込んだ。

 私の力の事や、裁判で決まった事は、他人に話してはならない事なのだろう。何より、これ以上リアに心配はかけたくない。

「完全に元通りって訳じゃないみたいなんだよね。まだどうなるのか、私自身もよくわかってなくって……あははぁ。」

 苦笑いしながら頭をかくハルに、リアは一層心配そうな顔を浮かべた。

「元に戻れないって、大丈夫なの!?今回の件って完全にハルの冤罪じゃん!疑いが晴れた訳じゃないの?」

「ええっと、まだあんまり多くは話せなくって……ごめん!解決したら、ちゃんと全部リアに話すから!」

 リアは納得がいかなそうな顔だったが、「わかった」とだけ言って、もう一度、ハルを強く抱きしめた。

「もし今度困った事があったら、絶対に話してね。ハルは私の、大切な友達なんだから。」

 ハルは黙って頷いた。こんなにも、普段の日常や友人の存在がが幸せなものだとは知らなかった。無くなってわかる大切さというやつなのだろうか。だからと言って、あんな事があって良かったとは、到底思えない三日間だったが。

 それでもと、もう一度、リアを強く抱きしめる。

 この場所に、帰ってきたんだ。

 旧友との涙の再開は、穏やかなまま終わった。



* * *



「うーん、私の荷物ってこれだけ?意外と少ないなぁ。」

 部屋に戻ったハルは、荷解きを終えて呟いた。すると、部屋の掃き掃除をしていたオリビアが、ハルに声をかける。

「ハル様。そろそろセシリア様とのお約束の時間です。」

「え、もう!?」

 壁にかけられた時計と見ると、セシリアとの約束の時間、ぴったりを指している。

「セシリア様の執務室は、書庫を挟んだ三つ左隣のお部屋。残りの荷物は、私の方で整理させていただきますので、向かった方がよろしいかと。」

「ありがとうございます!だけど、荷物はそのままで大丈夫ですから!行ってきます!」

 部屋を出て左に曲がる。オリビアさんは、三つ隣だと言っていた。こういう時って、ノックをした方がいいのだろうか。

 取り敢えず二回、扉を叩く。

「ハル=リースリングです。」

「入りなさい。」

 恐る恐る、ドアノブを捻る。扉を開くと、そこには教室一つ分はありそうな部屋だった。

 壁際には、無数の書類が魔法によって宙を舞い、棚に並んだいくつもの引き出しに吸い込まれていく。反対側の壁には書庫かと思う程、所狭しと書物や書類が並べられていた。そして、中央に置かれた重たそうな机とソファ。更にその奥には、青い髪を一つにくくったセシリアが、いつも通りの無表情で書類に目を通していた。

「あなた達は夕食まで下がって。」

「畏まりました。」

 セシリアは、側に仕えていた二人の使用人に声をかけると、再び書類に目を落とす。

「時間を過ぎているようだけど。」

「す、すみません…………。」

 遅刻と言っても、ほんの僅か。そこまで咎める事だろうか。確かに、時間を守ることは大事だけど。

 言葉に詰まるハルに、漸くセシリアが顔を上げた。

「あなたは条件付きで投獄を免れている身。今度また少しでも私の命令を破れば、例えそれが数秒の遅刻だったとしても、投獄か、その場で殺すから。」

「っ!?」

 死因が「遅刻」だなんて、聞いた事がない。

 しかし当然、セシリアが冗談を言っているはずもなく、ハルに頷く以外の選択肢は無かった。

「…………申し訳ございません、セシリア様。」

「次は無いわ。」

 セシリアはそれだけ言うと、書類を束ね、机の隅の方へと寄せる。

「一度しか話さないから、全部覚えなさい。」

「め、メモだけでもっ」

「まず、さっきも話した通り、貴方は私の命令全てに従って貰う。日中は通常通りの学園生活、それ以外の時間は私の許可がない限り、先程の部屋で過ごして貰う。」

 真っ先に浮かんだのは、学園生活に戻れるという事と、先程寮で再会したリアの顔だった。

「…………そして、学園生活を送る上で、四賢聖とリア=ロペス以外との会話は禁じる。」

 セシリアの口から突然出てきた、まさに今頭の中で思い浮かべていた人物の名前に、ハルは思わず聞き返す。

「なぜリアが出てくるの?」

「あなたが捕まっている間、彼女が何度も貴方を返せと、私の元に直談判しに来たわ。セモール村に向かう直前だったかな。」

 私のために、リアはそこまでしてくれていたのか。あんなに、四賢聖を恐れていたリアが。

「貴方の同胞かと思って調べたけど、一般的な中流家庭の生まれ。革命軍や新興宗教との繋がりは一切なかった。それに、貴方と出会ったのも入寮日が初めてのようだったし。」

「でも、どうして……。」

 なぜそれが、リアをわざわざハルの元に置いておいてくれる理由に繋がるのか。

 まさか、セシリアの優しさなのだろうか。いや、セシリアのことだ。そんなはずはない。そんなハルの疑問が、顔に出ていたのだろう。セシリアが先に答えた。

「はっきり言っておく。貴方は今、自分が最も恐れていた極刑から免れた、そう思っている様ね。でもすぐにわかる事だけれど、貴方はこの先、この学園、そして私から、”利用価値のある道具”としての扱いを受ける。」

 道具。セシリアの言葉が、楔のようにハルの心を深く、冷たく、打ちつける。

「投獄の方がマシだったと思えるくらいの、地獄かもしれない。そんな苦しみで、私たちの貴重な道具が壊れない様に、貴方の大切な彼女を、貴方のそばに置く事にした。それだけの事よ。」

 楽観的に捉えていたつもりは、毛頭無かった。それでも、目の前に立ちこめる、不穏な暗雲。

 自分の利用価値とは、そして投獄の方がマシだったと思えるような事とは、一体何なのか。ハルは、セシリアに問い詰めようとした。

 だが、ハルの疑問は、セシリアへの訪問者によって遮られた。

「セシリア様。郊外実習の件でお話させていただきたく参りました。」

「少しだけそこで待っていて頂戴。」

 セシリアは、もう用は済んだとばかりに、ハルに告げる。

「夕食はオリビアが準備するから、部屋で済ませなさい。その後は入浴し、布団に入る様に。」

 セシリアの執務室にやってきた、講師と思われる人と入れ替わるように、ハルは部屋を後にする。

 まだ、多くの疑問が残ったままだった。それは単純に、セシリアの目的が分からないこともそうであったが、一番は、今のハルの生活が、セシリアの言う"投獄の方がマシなほどの地獄"とは、遠いもののように感じていたためだった。

 まだ、何かある。きっと私は、何かを見落としている。

 言葉にできない不安が押し寄せる。だがそれでも、今のハルに出来ること等はなく。ただ、オリビアの待つ部屋へと帰るのだった。

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