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14 少女と喪失の記憶



「オーネット。経緯をすべて話して貰えるかしら」

 セシリアの言葉に、オーネットは窓の向こうを見つめたまま。しっかりとした言葉で答えた。

「…………知っている事は、すべて話そう」

 オーネットへの事情聴取という名目のもと、ハルがオーネットと直接会う事になったのは、事件から1週間後の事だった。

「一週間も待たせてすまなかった」

「もう心理操作魔法は完全に解けたの?」

 セシリアの問いかけに、ノアが頷いた。

「オーネットは、かなり長い間、心理操作魔法の影響下に置かれていたようです。無意識下でそれに抗い続けて多量の魔力を消費していたのでしょう。魔力の回復に一週間かかってしまいましたが、心理操作の影響はもうありません」

 その言葉に、ハルは胸を撫で下ろした。

 散々な目にはあったが、これで本来の四賢聖の姿に戻るのだ。

 だが、ほっとするハルを見下ろすオーネットの視線は、複雑そのものだった。

 気まずさに、ハルが視線を下げる。

 ――私、やっぱりこの場にいない方が良かったのかな。

 オーネットの事情聴取へハルも参加するべきだと主張したのは、ノアだった。当初、ノアの申し出にセシリアは反対していた。

 理由は単純で「ハルがいるメリットが何もない」という一点だった。だが、意外にももう一人の四賢聖――クロエ=ウェストコリンが、ノアの意見に賛同したのである。

「ハルも同席させて見ようよー。オーネットが魔法にかけられている間、一番接触してたのこの子なんだし、何か分かるかもよ? ふふん……それともセシリア、オーネットがハルの体を触ったから、嫉妬で会わせたくないとか?」

 クロエの言葉に、セシリアは心底嫌そうな顔を向けながらも、渋々と了承したのである。

 ――セシリア様って、ああ見えて意外と単純? クロエ様との相性、最悪そうだな。

 まるで他人事のように、不遜極まりない事を考えていたハルは、夜にはしっかりとセシリアのストレスのはけ口にされるのであった。


 気まずさに、つい目の前のオーネットから、視線を背けるハル。だが、オーネットは静かに瞳を閉じると、凛とした表情のまま。一直線にハルを見た。

「真相究明のためならば、この身を隅々まで調べて貰って構わない。だが、その前に――」

 オーネットの鋭い瞳が、ハルを捉える。

 ――これ、絶対何故お前がいるんだってブチ切れられるやつだ……!

 体をこわばらせるハル。だがオーネットはハルの予想に反して、深々と頭を下げた。

「ハル=リースリング。申し訳ない事をした。操られている身とは言え、私は私の魔法を解こうとした貴公を傷つけ、悪戯に弄んだ。当然相手が咎人であろうとも、許される行為ではない。許せないと言うのであれば、進んでこの首を差し出そう」

「へ……首……?」

「いいじゃんハル! 折角だし差し出して貰おうよー! いぇいいぇい〜」

 突然のオーネットの全力謝罪に戸惑うハルと、横から茶化すクロエ。

 そんなクロエの頭にそっと手を置く、どす黒いオーラを放った人物がひとり――いや、その手は置いていると言うより、今にもその林檎のように軽そうなクロエの頭を握りつぶさんとばかりに、真っ白な手に血管を浮かせていた。

「クロエちゃん? 今、何か言いました?」

 普段は天使の様な笑み浮かべているノラは、悪魔の様にも見える。

「いや、冗談だって、もうノアったら〜……うわ目がマジじゃん」

 クロエはまさに脱兎のごとく、ハルの傍へと逃げ帰った。どうやら四賢聖の四人にはじゃんけんのように、相性のようなものがあるらしい。

「オーネット、あなたは四賢聖。その首を容易に差し出す事は認めないわ」

「セシリア……だが四賢聖といえ、私は人の道を踏み外したのだ。立場に甘んじることは道理に反する」

「それでもよ。私たちがすべきことは、貴方に心理魔法をかけた黒幕の正体を明らかにすること」

 セシリアの言葉に、オーネットは渋々頭を上げると、席についた。

 ――気のせいかな。セシリア様、なんか機嫌悪そう……?

 だが、ハルに思い当たる節はないので、気のせいということにする。

「わかった。経緯を話そう……だが、まずは私、そしてノアのある過去の話をさせて欲しい……構わないか? ノア」

 ノアが頷くのを見ると、オーネットは語り出した。

 それは、オーネット。そしてノアの二人の心に刻まれた、まだ十歳にも満たない子供達の、悲しい冒険の話。




 ――今から遡ること、九年前。

 グラソン王国の首都イスタニカにあるボスティアは、交通の要所として栄え、軍人と商人を中心とした一大経済圏として、その機能を発達させていた。

 そんな街の片隅。小さな訓練場に、二人の少女がいた。

「取ったぁ!」

 一人は、藍色の短い髪に汗を滴らせ、軽快に身を翻して飛び回る、蝶の様な少女。

「甘いよ、ノア」

 そしてもう一人。金髪の長い髪を頭の高い位置に結び、悠然と剣を構えてその攻撃を受け流す少女。

 金髪の少女はゆっくりと、吸い込む様に攻撃を交わすと、振り返りざまに、脇腹へ重い一撃を放つ。

「ぐぇっ」

 衝撃に、何メートルも先へと吹き飛ばされるノア。

 地面へと倒れたノアに、緑色のロングヘアの少女が慌てて駆け寄った。

「ノア!? だだ、大丈夫!?」

「いててー……大丈夫だよ、オーネット」

 悔しがりながら立ち上がるノアを、オーネットが心配そうな表情で支えた。

「オーネットもやる? 相手してあげるよ」

「ええっ!? いいよ私は、痛いの怖いし……」

 そう言ってノアの後ろに隠れるオーネットに、ノアが金髪の少女を指差して言う。

「オーネットは弱いからいいの! そんな事よりローラ、私ともう一戦だよっ!」

 そしてノアはまた、ローラと呼ばれた金髪の少女に向かって、駆け出すのだった。





「もーまた負けたー!」


 訓練場を出た三人は、ノアの屋敷に来ていた。泥だらけになったノアを見て家政婦が「このまま家にあげてもいいかしら」と困り果てていると、ノアの母親が呆れた様に笑う。

「ノア、またローラちゃんと勝負したの? いつもうちの子がごめんね、ローラちゃん。怪我はない?」

「はい!一回も当たらなかったから大丈夫です!」

「あらあら、それじゃあこれで百連勝じゃない? すごいわねぇ、ローラちゃん」

「ムムム……」

 三人はテーブルに着くと、家政婦が用意したスパイスたっぷりの揚げ肉にガツガツとかぶりつく。そんな子供達を見て、ノアの母親は穏やかに微笑んだ。

「ローラちゃんは本当に強いわね。将来はグルゴ・パランに入れるんじゃない?」

「私、入れるならグラソン魔法学園に入りたいです!」

「グラソン? ローラちゃんは魔法が好きなの?」

「はい! 魔法も使えて剣も強い、そんな騎士になってノアを守ります!」

「あらあら、お熱いわねえ」

 そんな母親の態度に、ノアがぷくっと頬を膨らます。同い年なのに、ローラの言う"グラソン"や"グルゴ"といった学園も、ノアにとっては馴染みが無い。

 話について行けていない事が、まるで大人の会話に入れていないようで、悔しかったのだ。

「だったらノアもグラソン? に行くー!」

「え!? じゃ、じゃあ私も……!」

 そんなローラ、ノア、そしてオーネットの様子に、ノアの母親は「あらまあ三角関係ねえ」と言って、また微笑むのだった。



 ノアの家からの帰り道は、それぞれの家へと続く別れ道まで、三人並んで歩くのが恒例になっていた。

 夕暮れになり、日がほとんど落ちた道を他愛ない話をしながら歩く。

 しかし、今日はいつにもなくノアが不貞腐れていた。

「ママはああ言ってたけど、ローラなんてすぐに追い越してやるんだから!」

「ふふふ、楽しみにしてる」

「むうー!」

「二人とも、喧嘩しないで……っ!」

 負けて不機嫌なノアを、ローラが慰め、そんな二人が本当に喧嘩してしまうのではないかと、オーネットがそわそわする。そんな光景は、日常茶飯事だった。

 だが、今日のノアはいつもの少しだけ違った。

 ――後から思えば、きっとこの時、少しでもノアの機嫌を取る事ができれば。あるいはノアが、ほんの少し大人びていれば。最悪の未来は防げたのかもしれない。

「そうだ!」

 ノアが名案が浮かんだとばかりに、二人の前に駆け出す。

「ねえ知ってる? この街の北の方に、人が近付かない森があるでしょ? その中の祠に、本当はものすごーく強い武器が置いてあるんだって!」

「えっ、でもそこって禁忌の森だよね……? た、確か近づいちゃダメって……」

「ふふん。私、お父さんが話してるの聞いちゃったの。本当はとっても強い武器を隠してるから、誰も近寄らない様にって言ってるだけなんだって」

「武器……剣かな?」

 武器が隠されている、という話をノアが聞いたのは本当だった。

 ノアの両親は有名な医者と薬師であり、様々な貿易商や要人などとも、頻繁に食事や社交の機会があるのだ。

 そして、自宅の客間でグラソン有数の商人と話をしているのを、ノアは盗み聞きしたのである。

「わかんないけど、隠すくらいなんだから、きっとすごい武器なんだよ!」

「で、でもみんなが盗まないって事は、あ、危ないんじゃない……?」

 得意気なノアに、オーネットがオロオロと答える。そして「お願いだから行かないで」と言うように、ノアの服の裾を、ギュッとつまんだ。

「確かに。何か罠が仕掛けられてるかもしれないね」

「ううう〜」

 ノアの考えている事はこうだった。

 ローラをなんとか祠がある森へ向かわせ、帰った後にこっそりとノアの母親に、ローラが禁忌の森へ入ったことを告げ口する。そうすればノアの母親は、手放しでローラを褒める事は減るだろう。そう考えていた。

 ――それは嫉妬心から生まれた、ほんの悪戯だったのだ。

「じゃあ、ちょっとでも危なそうだったら引き返すってのはどう? ボスティアには結界があるから、魔獣は出ないはずだし! ね、いいでしょ?」

 ノアの提案に、ローラは腕を組んだ。

 ――ローラの言う、隠されている武器という話が本当なのであれば、確かにどんな物なのか、一目見たい。

「うーん……まあ、それならいいかな」

 ローラが頷く。その表情には、まだ見ぬお宝に期待するような気持ちが見え隠れしていた。

「やったー決まりね! 明日の正午にいつもの場所で待ち合わせ!」

「ええっ!? 本当に行くの!?」

 飛び跳ねて喜ぶノアに、オーネットが泣きそうな顔で縋り付く。

「何よ。嫌ならオーネットは付いてこなくてもいいのよ?」

「へっ!?」

「その代わり、来なかったらオーネットが練習サボってる事、オーネットのお父様に言いつけるから!」

「そんなぁ……」

 こうして少女たちは、ただちょっとした友達への嫉妬心から、ボスティアの内部。北に位置する禁忌の森への冒険を決めたのだった。


 森の中は思いのほか日が差し込み、穏やかな陽気に包まれていた。

 所々花が咲き、気分は冒険というよりもピクニックに近い。

 自分から言い出したものの、万が一の事があったらと若干怯えていたノアは、その和やかな空気に安堵した。

 先頭を歩くローラが振り返る。

「思っていたよりも普通の森だね」

「意外と大した事なさそうね。つまんないのぉ」

 ローラの後をノアが続き、オーネットがノアの服の裾をつまみながら、更に後ろを歩く。

「ねぇ、武器がもし一つしかなかったらどうする?」

「えーそれは困るなあ」

「わ、わたしらノアにあげるよ……!」

 ローラの質問にそれぞれが答えるが、ローラはそっと空を見上げて言った。

「もし一つだったらさ、剣をお金に替えない? それだったら三人で均等に分けられる」

「えーお金ー? つまんなーい」

 ブーブーと文句を言うノアに、ローラは困った様な、優しげな表情を浮かべた。

「それなら私が使おうかな。二人のうちどっちかが私に勝てたら、剣を譲るとかさ」

「それも絶対反対ー!」

 更に声をあげるノアに、ローラがケタケタと笑う。

「二人には、剣なんていらないよ。私が守るもん」

「むぐぐ、私だってもっと強くなるもん!オーネットも何か言い返しなさいよ!」

「えっ!? わ、私は……べつに、みんなで一緒にいられたら……それで……」

 その時、森の小道を進む三人の真正面。百メートル程先に、何か動くものが映った。

「止まって!」

 目ざとく気づいたローラが、すぐに二人に静止を促す。

「何!?」

「静かに」

 前方に突然音もなく現れた、大きな物体。それは木々の隙間から一身に陽光を浴びて輝き、真っ白とも茶色ともつかない色で、微かに動いている。

 この距離からもかなりの存在感を放っている事から、恐らく実際には高さは数メートルはあるのだろう。

 ――野生の動物か。

 その物体はゆっくり動いている、否、違う――振り向こうとしている様に見えた。

「逃げて!」

 ローラが叫ぶが、ノアもオーネットも足がすくんで動けない。

 ローラは腰に差した木刀を抜くと、グッと構えた。しかしその構えはいつもの様な優美なものではなく、緊張の走った硬い構えである。

「何、あれ……うそ……」

 ノアが、震えた声で呟く。

 その視線の先。白茶けた物体はゆっくり体を動かすと、ついにこちらに振り向いた。

 大鷲のような大きな二枚の羽、肉食獣の様に筋肉の隆起した後ろ足――それは、巨大かつ上級の危険度に分類される魔獣、グリフォンであった。

 グリフォンは銀色の鋭い鉤爪を輝かせて前脚を高々とあげると、甲高い鳴き声をあげて猛スピードでこっちへと向かってくる。

「逃げよう!」

 先に動き出したのはオーネットだった。ぐいっと隣で動けなくなっているノアの腕を掴み、走り出す。

「オーネット!? でもローラが!」

「ローラならどうにか出来るかもしれない! それに、私たちがいても足手まといになるだけだよ!」

「…………っ」

 オーネットが、後ろを振り返るノアを、半ば引きずるように走る。しかし――。

「あああっ!」

 後ろを見ていたノアの叫び声に、思わずオーネットも振り返った。

「あ、あ…………そんな、ローラ……」

 視線の先では、グリフォンと戦うローラの姿。ローラはグリフォンの鉤爪をギリギリで交わすと、確かに木刀の刃でグリフォン首を斬りつけた。だが、その硬く剛強な皮に傷をつける事もできず、ローラの木刀は根元から折れていた。

 武器を失ったローラを、グリフォンが後ろ足で蹴り飛ばす。鉤爪に切りつけられ、鮮血が赤く、舞い散った。

「ローラぁぁぁぁ!」

 ノアが必死に駆け寄ろうとする。だが、オーネットはその腕を離さなかった。

「ローラぁ! 嫌っ、オーネット離してっ! ローラがッ!」

「行っちゃダメ! 死んじゃうよ!」

 泣きじゃくり、ローラの元へと駆け寄ろうとするノアを、オーネットが必死に止める。

 ――死んじゃう、ノアも死んじゃう。

 だがノアは、思い切りオーネットの腕を引き剥がすと、ローラへと一目散に走り出した。

「待って、行かないでッ! ノア!」

 だが、ノアが駆け出した直後――グリフォンは雄叫びを上げると、鋭い鉤爪でローラの体を引き裂いた。

「ローラぁぁぁッ……!」

 ノアの向こうで、腹部を切り裂かれるローラ。血飛沫と共に、ノアの目の前で。ローラの下半身を失った上体が、宙を舞っていた。

 ――うそだうそだうそだ。

 ばくばくと拍動する心臓が、逃げろと指令する。だが、オーネットは一歩も動けなかった。

 ――逃げないと。ノアを連れて、早くこの場から。

「ああ……あああ……! ノア、逃げよ! 早く…あああ…!」

 さっきまで普通に会話をしていた幼馴染が、目の前で真っ二つにされる地獄の様な光景。オーネットは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、半狂乱になって叫んだ。

「ノア、早くッ……!」

 しかし、足を止めていたノアは、俯いたまま。オーネットを振り返ることもなく、静かに告げた。

「――オーネットは、逃げて」

 そして、ローラの下半身を貪るグリフィンへと、ノアは木刀を携えて駆け出した。

「うおおおお!!!」

「だて、ノアッ! 行かないでよぉッ――!」

 ノアへと必死に手を伸ばすオーネット。だが、すくんだ足では、ノアとの距離は離れていくばかりで。

 ――私のせいだ。

 そんな思いが、オーネットの胸に真っ黒な闇を下ろす。

 ローラが「逃げろ」と言ったとき、オーネットは真っ先にノアを連れて逃げようとした。

 それは当然、ローラならあの化け物に勝てるかもしれないという気持ちもあった。だが、心のどこかで「これでノアと二人っきりになれる」という、うす汚れた感情が、僅かに渦巻いていた。

 ―― 私が、ローラなんていなくなっちゃえって。そんなことを思ったから。だから、ローラもノアも。

 日頃から、オーネットはノアを一番近くで見ていたのだ。ノアがローラへ喧嘩を売りつつも憧れ以上の感情を抱いており、ローラもそれに応えようと、ノアを守るために練習に励んでいるのは明白だった。

 ――全部、私のせいだ。

 騎士の一家の生まれたにも関わらず、剣を握ると、その重みだけで息切れしてしまうオーネットは、ローラの様に強い剣士になる事も、ノアの様に努力を続ける事も、出来なかった――否、努力をすれば近付けたのかもしれない。だが、常に自分に言い訳をして、現実から逃げ続けていたのだ。

 そしてここ数年は騎士である事に誇りを持つ家族からも見放され。ただただ隣で輝く友人二人を、毎日嫉ましく思うだけの日々だった。

 自らの怠惰から目を背け、人を欺こうとした報いは、皆平等に訪れる。

 オーネットの伸ばした腕は、ノアに届くことはなく。逃げてしか来なかった足は、怯えて微動だにしない。

 ――私が死ねばよかったんだ。

 ただ、涙が頬を伝う。

 そうしている間にも、ノアとグリフォンの距離はどんどんと近くなり、ノアが拙い剣技でグリフォンの背中を切りつけた。

 だが当然、ノアの腕ではグリフォンに傷ひとつつける事は出来ず。乱暴に後ろ足で払われ、ノアの体が吹っ飛んでいく。

「あ、あ……ああああ……」

 ノアは地面に叩きつけられた衝撃で意識を失ったのか、ピクリとも動かない。

「私が……助けなきゃ……私が…………」

 グリフォンがゆっくりとノアに近づく。そして、けたたましい鳴き声とともに、上体を仰け反らせた。

 鉤爪が、ノアに振り下ろさんと真っ直ぐに迫る。

「あああああああああああ――ッ!」

 瞬間、オーネットは地面を蹴り抜き、真っ直ぐに走り出した。

 オーネットの叫び声に、グリフォンが警戒して上体を下ろす。そして上空へと飛び上がり、オーネット目掛けて滑空した。

 鋭い眼光と、近付いて分かる強大さ。木刀など容易く折れるほどの強固な肉体に、思わず脚がすくみそうになる。だが、オーネットは自らを鼓舞する様に叫び続けた。

「うおおおおッ!」

 そしてグリフォンの至近距離まで近づくと、振り下ろされる鉤爪を掻い潜り、木刀が折れぬ様にその鉤爪の力を受け流した。

 ――ずっと見てきた。

 オーネットを薙ぎ払う様にして繰り出されたもう一方の鉤爪を、宙へと飛び上がって回避する。

 ――あのしなやかな体捌きも、蝶の様に軽やかな攻撃も。私が二人を、ずっと見てきた。

 そして、空中で体を180度捻ると、オーネットはグリフォンの頭部、その右目に木刀を思い切り突き刺した。

 ――見てしか来なかったから、守れなかった。

「死ねえええええええええッ――!」

 繰り出されたのは正しく、ローラとノアの剣技であった。

 オーネットの木刀がグリフォンの右目に直撃すると、グリフォンは雄叫びをあげて暴れ出し、猛スピードで上空へと飛び去って行った。

「…………追い払、った……」

 オーネットは足腰の力が抜け、放心した様にその場に崩れ落ちる。

 ――手にも足にも、力が入らない。

 遅れてやってきた恐怖に、奥歯がガチガチと音を立てる。

「ああ……そうだ、ノアは……」

 這いずる様にして進み、倒れるノアのもとへと近寄る。

 ノアは意識を失っているが、呼吸はしている様だ。

 その様子に胸をなでおろしていると、背後から、微かに消え入りそうな声が聞こえた。

「オオ、………………ット」

 オーネットが声のした方を振り返ると、そこには上半身だけどなり、腹部から今も大量に血溜まりを広げるローラが倒れていた。

「ローラッ――!」

 オーネットが、ローラの元へと這いずって進む。

 そして、ローラの真っ白で冷たくなった手を握り、必死に声をかけた。

「ローラ! ローラ! しっかりして!」

「オーネット……? あ、あ……もう、何も、聞こえない……見えないけど、そこに、いるんだね……」

 オーネットはボロボロと涙を流し、青白くなったローラを見つめる。

「ローラ、私がっ、私が弱かったから……」

「オーネット……もう、お別れ、だね……」

「そんな事言わないで! 私、私、つよくなるからッ……ふたりのこと、ちゃんと守るからっ! だから、ローラっ……」

 ローラは、閉じていた目をうっすらと開いた。血に染まった金の髪の下で、青い瞳が流れる雲を映した。

「これ、受け取って……オーネットは、強くなる……だから、私の代わりに……ノアを……」

 ローラの震える手のひらにあったのは、ローラが大切にしていたネックレス。それは、ノアとお揃いのものだった。

「ローラ、だめだよっ……死んじゃやだッ……」

「約束、だよ……」

 そうだけ言うと、薄く開いていた碧眼の瞳はゆっくりと閉じた。

「ローラ……ローラ……うあ、あああああッ!」

 静まり返った森の中、オーネットの絶叫だけが響き渡る。

 私は友達ひとりを守ることもできない。

 弱くて、最低の人間だ。

 私は、私は――。

 

 ローラが、森にあるという武器を売ることで病気の母親を助けようとしていた事は、ローラの葬儀で知った。

「お前が追い払ったんだってな? 大した奴だ、見直したぞ、オーネット」

 久しぶりに両親から向けられた、称賛の言葉。だがその言葉は、一層にオーネットの心を削った。

 ――違う。全部、私のせいなんだ。私が弱かったから。私が、逃げてばかりいたから。

 ――私は、もっと強くならなくちゃいけない。ローラの分も、ノアを守るために。

 例えそれ以外の、全てを失ったとしても。

 

 それは、あまりにも凄惨な記憶。そして、すべてのはじまりとなった、とある少女たちの冒険の結末だった。



 

「――その後私はローラとの約束を守る為に剣士となり、グラソン魔法学園へと入学した」

 オーネットの過去に、ノアは黙って俯いた。普段は無表情のセシリアでさえも、怪訝そうに眉間に皺を寄せる。

「ひと月前、グルゴ・パラン御用達の鍛冶屋が、話を持ちかけてきた。イスタニカの北のイリジオンに、強大な力を持つ魔剣があると。そしてその魔剣は持ち主の魔力を食べる代わりに、死者を蘇らせる力を生む」

「そんなっ!?」

 ――そんなの明らかに嘘じゃん?!

 口にはしないものの、ハルですら嘘であると気づけるほどの話だ。

 だが、オーネットの口ぶりは真剣だった。

「当然、私も嘘だろうと思った。だが同時に、嘘でもいいとも思った。私の魔力量は人より多い。ローラを生き返らせる為なら、いくらでも魔力なんてくれてやる」

「どうしてそこまで……」

 ハルの問いに、オーネットは遠くを見るように、哀しげな視線を窓の外に向けた。

「……ここにいるのはただ、どうしようもなく臆病で、自分勝手で、逃げる事しかできない、空っぽの人間なんだ。私はただ、憧れた他人を詰め込んだだけのハリボテ。ノアを守ると言っておきながら、いつかローラに罵られ、その手で殺される事をずっと望んでいる……私がこの手で、ローラを殺したようなものなのだからな」

 ――それは、どんなに償っても償いきれない罪。

 オーネットは「なぜあの時助けに行かなかったのか」と、何年も自分を責め続けて生きてきたのだろう。

 自らを卑下するオーネットは、とても緑の麗君やグラソンの守護神とは思えないほど儚く。強く触れれば、粉々に砕けてしまいそうにすら見えた。

 そんな静粛を、ノアの声が突き破る。

「――ふざけないでよっ!」

 同時に、弾けるような破裂音が響いた。ノアがオーネットの頬を叩いたのだ。

「今のオーネットが偽物だって言うなら、血反吐吐くまで鍛えて、倒れるまでずっと剣を振り続けたあなたは誰よ!? ローラを失った悲しみで折れかけた私を支えたのは、あなたでしょう!?」

 ノアが、今度はグーで思いっきりオーネットを殴る。だがそれでも、ノアの怒りは止まらかった。

「何が殺されるのを望んでいたよ! あなたがいなくなった後の私の事を、少しでも考えた事ある!? ローラが私の隣にいれば、それで私が笑顔でいるとでも思ったの!? そんな事を望んで、ローラはあなたに強くなれって言ったって、本当に思ってるの!?」

 俯くオーネットを、何度も殴るノア。そんなノアの目からは、とめどなく大粒の涙が流れていた。

「毎日変わっていくあなたが、どんなに怖かったか! あなたを失う事を、どんなに私が怖いと思っているか……! 大体、あなたが本当は弱虫で臆病で根暗で、本当は剣術よりも読書や編み物が好きな事、私が気付いてないとでも思った!? 一回守るって言ったからには、最後まで責任持って守り抜きなさいよ、馬鹿ッ――!」

 あまりのノアの激昂と、そろそろオーネットが心配になるノアの殴りっぷりに、グラソンの平常心、セシリアが止めに入った。

「ノア、そろそろ止めないと、いくら頑丈なオーネットでも死ぬわよ」

 セシリアのひと言で頭が冷えたのか、ノアは「あら、ごめんなさい」と言いながら、慌ててオーネットに回復魔法を施すのだった。

「…………私は、愚かなことをしたのだな」

 オーネットが、静かに呟く。それは、遥か遠い自分に向けての言葉のように聞こえた。

「にゃるほどねぇ。それなら、死者を生き返らせるとオーネットを騙して心理操作の魔法を込めた刀剣を渡した、という説が濃厚だねぇ」

 いつの間にかクロエが、何事も無かったかのようにハルの膝に腰掛けていた。

「いつの間に……なんで私の膝に乗ってるんですか!?」

「ハルちんの膝はすべすべだねえ」

 クロエはそんな事を言いながらハルのスカートの下、太ももへと手を滑らせる。

「ちょ、ちょっとクロエ様!?」

 慌てるハルだったが、そんなクロエの蛮行に痺れを切らしたセシリアが、氷点下の様な声で宣告した。

「クロエ、今すぐそこを降りなさい」

「なんでー?」

「ハル=リースリングは私の所有物なの。あなたがその上に乗るのは不快だと言っているのよ」

 クロエが「ちぇっ」と言いながら、一瞬で自分の椅子の上に移動する。

 ――なぜいつも一瞬で移動できるの!? そしてなぜ毎回セシリア様を煽るの!?

 動揺するハルなど一向に目もくれず、クロエは話を続ける。

「気になるのは目的と犯人だけど……目的はなんとなく分かるから、気になるのは犯人だよねー」

「へ? 目的が分かるんですか、クロエ様」

 全く話について行けてないハルに、セシリアは「やっぱり連れてくるんじゃ無かった」とばかりにため息をつく。一方のクロエは、そんなハルに爆笑していた。

 ますます困惑するハル。優しく正解を教えたのは、ノアだった。

「恐らく犯人の目的はあなたですよ、ハルさん」

「え? 私……?」

「オーネットの刀剣にかけられた魔法は、恐らく“強さを欲しろ”と言う類の心理操作だったのでしょう。そんな魔法をかけられて、一番その被害を被るのはこの学園に一人しかいません」

「あっ、魔力譲渡の力ですか……」

 ――私の力が目的で、わざわざこんなことを?

 分かったような分からないような。そんな気分だったが、これ以上セシリアに呆れられたくないのでハルは黙った。

「うーん、オーネットにハルぴょんを襲わせて、その能力を確認したかった、あるいはいずれハルちんを攫うように仕向ける予定だった、あたりの線が濃厚かなー」

「ハルぴょん、ハルちん……」

 セシリアもクロエの仮説には珍しく同感の様で、頷いた。

「そうなると、可能性が高いのは他の三つの学園、もしくは他国……だけどハルの力が知られている所となると、魔法部繋がりで情報を入手したどれかの学園、と考えた方が良さそうね。オーネット、その鍛冶屋の住所は分かる?」

「イリジオンのメイリーン大通り、ポルトロ商店街から西に二本行った通りだ。赤と白の看板が目印だから、すぐに分かる」

「クロエ、よろしく」

「はーい」

 ――よろしく?

 ハルがそう思った瞬間には、クロエは姿を決していた。四賢聖達は全く気にせず話を再開する。

「オーネットの様子がおかしかった時に、オーネットの刀の修理や買付履歴をオリビアさんに調べてもらったんですけど、どれもグルゴ・パラン御用達の店でした」

「となると、真っ先に怪しいのはグルゴ・パランだけど、そもそも刀剣といえばグルゴ・パランだし、決定打に欠けるわね」

「たっだいまー」

 先程姿を消したばかりのクロエが、また一瞬で現れた。

 再登場に驚くハルをクロエはドヤ顔で見ると、セシリアの前に、手の平サイズの本の様なものを置いた。

「残念ながら、やっぱり逃げられた後で、店は廃墟になってたよ。でも壁を剥いだら、中にこんな物が落ちてましたー」

 ――このわずか一瞬で、馬車では往復六時間はかかる距離を、クロエはたったの数秒の間に行ってきたのだろうか。

「六芒星……リー教の教典の様ね」

 ――リー教ってなんだろう。初めて聞いたけど、明日にでもリアに聞いてみよう。

「リー教との繋がりとなれば、聖レヴァンダ学園か魔法部の繋がりが疑わしい」

「でも、リー教がハルさんを狙うなんて……あまりしっくり来ないですね」

 推理の手がかりが無くなり、部屋の中に沈黙が続いた。

「……一旦今日わかるのはここまね。リー教という手がかりはあったけど、今の時点では無理に絞り込まない方が良い。ただひとつ言えるのは、相手は手段を選ぶつもりは無いってこと。尻尾を掴むまではくれぐれも皆警戒するように」

「ちょっと待て!」

 会議を締めようとするセシリアに、回復魔法によってかなり傷が回復したオーネットが声をあげる。

「私の裁きはどうなるんだ? 私は法を犯した。ハル=リースリングが咎人とはいえ、自分勝手な思想で禁忌に手を染め、蹂躙した。許されざる罪だろう」

 セシリアはオーネットを一瞥すると、いつもの様に無表情のまま告げた。

「確かに、安易に禁忌である死者の蘇りに縋ろうとしたのは四賢聖としてあるまじき行為。もしその罪に対する罰を望むのなら、あなたの弱みに漬け込み、あなたを貶めようとした犯人、黒幕をその身をもって必ず突き止めなさい。それをあなたへの罰とするわ」

「そんなっ……ハル=リースリングはそれでいいのか!? 私はお前に、あんなに酷い事を……」

 突然自分に振られた事と、オーネットに真っ直ぐ見つめられた事で、思わずハルの心臓が飛び跳ねる。

 ――しまった。全く心の準備をしていなかった。

「えっと、そうですね……操られてた事も分かってましたし、特に私は……あ、強いて言うなら」

 そう言って、今も献身的にオーネットの傷を治療するノア(ただしノアが殴った傷である)を見ながら告げる。

「絶対にノア様を、もう二度と離さないで下さいね」

 一瞬間を置いて、ノアがハルの発した言葉の意味を理解するや否や、ゆでダコの様に真っ赤に染まった。

「ああ……今度こそ必ず誓おう。ノア=ラフィーネは、この命を賭けても、必ず私が守る」

 迷いのない瞳が、真っ直ぐにノアを見据えた。

 その真剣な眼差しに、ノアは更に顔を赤く染めるのであった。

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