13 少女と弱気な少女
「…………ん、ここは」
重たい瞼を持ち上げる。
深夜なのか、静まり返った部屋。目の前にあるのは、見慣れたセシリアの部屋だった。
窓の外では、ハルが眠っている間に降り始めたらしい雨が、葉や木々を濡らす音を響かせていた。
「…………そっか、終わったんだ」
体の下腹部は鈍く痛み、蹴られた様々な所はまだズキズキと痛んだ。
恐らく至る所が痣になっているのだろう。そんな痛みだった。
「喉、乾いたな」
あれだけ酷い扱いを受けたにも関わらず、どこか心は冷静だった。
既にハルの心は、セシリアによる連日の道具としての扱いによって、壊れてしまっていたのだろうか。
屈辱や悲しみ、苦痛は湧き上がってこない。代わりにあるのは、どこか空虚な心と、まだ体に残る不快感だけだった。
オリビアが部屋に置いておいてくれた水を一杯注いで飲むと、いくらか思考がスッキリした。
私は気を失ってしまったらしい。セシリアが現れて、オーネットがどうなったのかまでは分からない。
だが、ハルが解放されている事から考えると、きっとセシリアとノアが心理操作の魔法を解いたのだろう。
ハルはもう一度眠る気にもなれず、じっと窓の向こう。窓にぶつかる雨粒と、水を垂らす木々の葉をただ眺めていた。
「――起きていたのね」
不意に背後、ドアの方からセシリアの声がした。
「……あの、ありがとうございました。」
どうしてか、セシリアがやってきたことに驚きはなかった。すぐに現れる気がしたし、やって来ない気もしていた。
セシリアは、電気をつけないまま部屋に入ると、ハルの隣にそっと腰掛けた。
「四賢聖が迷惑をかけたわ」
「……犯人、わかると良いですね」
そして訪れる沈黙の時間。外の雨音だけが聞こえる。
思えばセシリアとは、条件が決まってからは魔力譲渡の為に一方的に襲われるか、何か命令を下されるかのどちらかで。
こうして、ただ二人並んで座るといった経験は一度もなかった。
なんとなく気まずくて、口を開く。
「……今日はしなくていいんですか、魔力譲渡。」
――なんで私、自分からこんな事言ってるんだろう。
セシリアはハルを一瞥すると、また視線を窓の外に投げた。
「ボロ雑巾から搾り取る趣味はないわ。魔力譲渡は明日からでいい」
「……そう、ですか」
再びの沈黙。
私は、いったいどんな言葉を期待したのだろうか。
わからないが、セシリアとの間に流れる沈黙には、気まずさ以上の心地よさを孕んでいた。
――きっとセシリア様も、オーネット様の行動に困惑しているのだろう。
少なくとも、ハルにはそう見えていた。
時間だけが過ぎ、足の先が痺れてきた頃、セシリアが不意に立ち上がって口を開いた。
「明日の講義は休んでも構わないわ。しっかり休みなさい」
――どうして。
そのまま立ち去ろうとするセシリアに、気付くとハルは、セシリアの腕を掴んでいた。
「……何?」
「えっとっ」
見下ろすセシリアに、自分でもなぜこんな行動に出たのかが分からなかった。
続ける言葉が浮かばず、俯く。
それでもハルには、オーネットに体を弄られている間、ずっと考えていた事があった。
「――体が、苦しいんです。自分のものじゃないみたいに感じて。普段のセシリア様との時には感じなかった、どうしようもない苦しさが、今も自分の中にずっとあって……だから、」
たどたどしく話すハルを、セシリアはただ無表情で、見つめていた。
その視線の前で、心を晒すように。ハルの唇が震える。
「……私を、抱いて貰えませんか」
何が決定的にオーネットとセシリアで違うというのか。
指の数も、性別も同じなのに。それなのに、どうしてセシリアといると、皮膚がわずかに熱感を帯びるのか。
その理由は、ハル自身も言葉にはできなかった。
しかしオーネットに触られているあの拷問の様な時も、助けに来てほしいと願ったのはセシリア、ただ一人だったのだ。
――そしてセシリアは、いつも会いに来た。
もしハルが寝ていれば、起こす事なく様子を見て、そのまま立ち去るつもりだったのだろう。
あるいはハルが寝てる間に、既に何度か様子を見に来ていたのかもしれない。
その理由が優しさなのかは分からない。だがそれでも。痛めつけられていたハルにとっては、その事実だけが優しく、ハルの心を照らしていた。
「無理はしない方がいいわ」
セシリアは一瞬驚いた顔をした後、それだけ答えた。しかし、掴んだハルの腕を振りほどこうとはしなかった。
「お願いします……苦しみを、忘れさせてほしいんです……」
途端に堰を切ったように、ハルの瞳から涙が溢れ出す。
怖かった。苦しかった。痛かった。恐ろしかった。
先ほどまでは忘れていたと思っていた感情が、何故かセシリアの琥珀色の瞳に、嗅ぎ慣れた柔らかな香りに、溢れ出す。
急に泣きじゃくるハルの頬に、そっとセシリアの冷たい手が触れた。
「痛かったらすぐに言いなさい」
――どうしてこの人は、私のほしいときに、ほしいものをくれるのだろう。
ハルが頷くと、セシリアはゆっくりとハルをベッドの上に押し倒した。
普段は殆ど愛撫というものをしないセシリアだったが、今日はいつもと違う。
視線も、指先も。まるで労わる様に優しく、ハルの皮膚に触れた。
「ふ、うッ……」
刺激自体は大したものではないはずなのに、何故かセシリアが触れた部分が熱く、くらくらしそうなほど甘いものが、身体中を駆け巡る。
「……すごく流れ込んでくる」
「う、あぁっ」
ハルは未知の感覚に流されまいと、その腕をセシリアの細い背中に回した。
「セシリア、様っ……!」
それは、まるで愛し合うかの様に。ベッドに重なりあう二人の影。彼女たちを隠す様に降りしきる雨は、朝になるまで降り続くのだった。