裏野ハイツ奇譚 <解決編>
(「裏野ハイツ奇譚 <紹介編>」からの続きとなります)
コバヤシ青年のもとに訪れた男の正体は、かの高名なる私立探偵、アケチコゴロウであった。そして、コバヤシ青年の方は、アケチ探偵の優秀なる一番弟子のコバヤシ助手だったのだ。アケチ探偵は、何かの秘密を暴き出す為に、自分の片腕のコバヤシを、素性を偽らせて、先に、このアパートへと送り込んでいたのだ。
コバヤシは、アケチ探偵の期待どおりに、新入居者のフリをして、このアパートの住人から、この裏野ハイツに関わる、さまざまな情報を聞き出していた。それらの入手した話を、コバヤシは、何一つ漏らさず、アケチ探偵へと報告したのだ。
203号室の中で、全ての調査報告を聞き終えたアケチ探偵は、渋い表情で、腕組みしたのだった。
「君の得た情報から考えると、一番怪しいのは、隣の202号室みたいだな。これまでの、この203号室の住居者たちは、隣の部屋の不気味さに怯えて、誰もが、すぐ逃げ出してしまったのかもしれない」と、アケチ探偵は口にした。
「僕も、そう思います。でも、他の住人たちも、引っかかる部分がある人が多いですね。もしかすると、この事件は、そこまで単純な謎でもないのかもしれません。六箱の秘密も解けてませんし」
「六箱?」
「はい。この裏野ハイツの怪しい噂は、なぜか、六箱の呪い、と巷では呼ばれていたのです。それで、六箱という名字の人でも住んでいたのかと思ったのですが、違いました。また、過去の居住者に六箱さんがいたと言う訳でもなかったようです」
「まあ、その辺の疑問も、じょじょに分かっていくだろう。ボクの推理が正しければ、この事件には、やはり、アイツが絡んでいるはずだ。これより、その幕引きをする事にしよう!」
「またしても、アイツの仕業だったのですね」
「そうだ。今から、その全ての謎解きをするのだ」
そして、アケチ探偵は、力強く、立ち上がったのだった。
アケチ探偵とコバヤシの二人は、部屋を出ると、ためらう事なく、202号室の前へと向かった。この部屋の中を探るつもりなのである。
「このアパートの持ち主である管理会社の方には、すでに、話は通してある。マスターキーを借りてきたから、家宅捜査も思うがままさ」そう言って、アケチ探偵は、嬉々として、鍵の束を取り出してみせたのだった。
「でも、万が一と言う事もありますよ」と、コバヤシ。
「そうだな。我々は泥棒ではない。勝手に他人の家に侵入すべきではない。ここは、きちんと、手順は踏んでおくのが礼儀であろう」
コバヤシに注意されたアケチ探偵は、いったん、鍵を引っ込めたのだった。代わりに、202号室の入り口のドアを軽くノックしたのである。
「もしもーし。このアパートの管理人に頼まれて、伺いました。在宅していましたら、どうか、顔を出してください。いらっしゃらないようでしたら、申し訳ありませんが、無断で中に入らせていただきます」
アケチ探偵は、丁寧に、202号室の部屋の中へ向けて、声を掛けたのだった。しかし、案の定、返事が戻って来る気配もないのである。
「仕方ない。やはり、こちらから鍵で開けさせてもらうか」
「そうですね」
二人は、顔を見合って、頷いたのだった。
その時、202号室ではなく、201号室の入り口のドアが開いたのだった。そこから現われたのは、当然、この部屋のお婆さんである。だが、老人なら、もう寝ていそうな時間だったにも関わらず、彼女は、寝巻きではなく、しっかりと服を着こなしていた。そして、彼女は、アケチ探偵たちの様子を見て、驚いて、目を見開いていたのだ。
「何をしてるのですか!その部屋に押し入ったりしてはいけません!」
お婆さんは、すっかり動揺した感じで、自分の部屋から飛び出して、アケチ探偵たちの元に詰め寄ってきた。普段の穏やかな感じとは、まるで印象の異なる、慌てっぷりだった。
「どうしてですか。私は、このアパートの管理人に頼まれて、この202号室の調査に来たのです。あなたが、それを止める権利はないでしょう。それとも、あなたは、この部屋と何か関わっているのですか」
アケチ探偵が毅然とした態度で言い返すと、201号室のお婆さんは、悔しそうに、口をつぐんだのだった。
アケチ探偵は、ニンマリと微笑んで、あらためて、202号室の入り口のドアに鍵を差し込んだのである。
「さあ、開けるぜ。多分、我々が睨んでいた通りのものが見つかるはずだぜ」
コバヤシは、固唾を飲んで、その様子を見守っていた。
お婆さんの方は、黙って見守っている事が、とうとう、できなくなってしまったらしい。彼女は、突如として、老婆とは思えない機敏さで、アケチ探偵にと飛びかかっていったのだ。マスターキーを奪おうとしたらしかった。
しかし、そうなる事は、アケチ探偵も十分に予期していたのである。彼は、素早く、お婆さんの攻撃から身をかわした。それから、お婆さんのバックを取ると、巧みに、背後から羽交い締めにしてしまったのだ。
お婆さんは、ものすごい力を出して、暴れた。やはり、年寄りだとは信じられないような力なのである。でも、アケチ探偵の方が、腕力では上回っていた。のみならず、プロのやり方で、押さえつけていたものだから、体を拘束されていた側は、どう足掻いても、抜け出す事ができなかったのである。
「今だ、コバヤシくん!この人の持ち物を調べるんだ。凶器のたぐいを見つけたら、全て、回収してくれ」アケチ探偵が、目の前のコバヤシに命令した。
コバヤシは、指示どおりに行なったのである。すると、お婆さんの服の中からは、飛び出しナイフをはじめ、吹き矢や手裏剣、爆竹など、およそ、老婆が持つとは思えないようなものが、次々に見つかったのだった。
当然、それらは全部、コバヤシの方で取り上げたのである。
コバヤシも、すっかり、驚いてしまっているのだ。
「呆れた。このお婆さんは、何者なのですか。さては、アイツの手先の一人ですか」コバヤシは言った。
「どうだろうね。本人は、どう思っているのかな」アケチ探偵がニヤリと笑う。
お婆さんは、しかめっ面で、自分を押さえ込んでいるアケチ探偵のことを睨みつけた。
「そうか。暗くて、今まで気が付かなかったよ。お前は、アケチ探偵だね。まさか、ここに現われるとはな」お婆さんは、低い声で、憎々しく、呟いたのだった。
「さあ。負けを認めて、君自身が、この部屋の中を案内してくれるのかな。いや、それは無いだろうね。おい、コバヤシくん!君が、この部屋の鍵を開けてくれたまえ。私は、こいつの事をずっと押さえていなくちゃいけないからね」アケチ探偵が言った。
「分かりました、先生!」
そして、コバヤシが、202号室のドアに刺さっていた鍵を回したのである。難なく、ドアは開いた。
三人は、暗い部屋の中へと入っていったのである。
アケチ探偵は、玄関先にあったスイッチをすぐに見つけて、それをオンにした。すると、202号室の部屋の中は、たちまち明るくなったのだ。
そこには、想像していたのとは、まるで違った空間が広がっていたのだった。
「せ、先生、これは一体?」周りを見回しながら、コバヤシは驚嘆した。
「ここは、アイツの陳列部屋さ。やっと、見つけたよ」アケチ探偵が、嬉しそうに答えたのだった。
確かに、202号室の中は、本来の居住空間とは違って、内装が改造されていたのである。と言っても、化け物が住めるような環境に作り直されていた訳なのではない。
まず、リビングと奥の洋室の間の壁が取り払われていて、一つの大きなホールにと改装されていた。それから、壁や床には、沢山の奇妙な小物が、一つ一つ、丁重に置き並べられていたのである。まさに、美術館仕様なのだ。
「コバヤシくん、見たまえ。アイツが、これまで盗んできたものの数々だ。こんな所に隠していたんだ。ようやく、取り戻す事ができたよ」アケチ探偵は、感極まった感じで、口にした。
でも、よく観察すると、ここに置かれているものは、七夕用と思われる使用済みの短冊だったり、いつ作ったか分からないような野菜炒めが入った皿など、いずれもが、とても価値があるようには見えないのだ。
コバヤシも、これらを眺めて、怪訝そうに、首をひねっているのである。
「確かに、高価な宝物には思えないかもしれない。でも、これらのどれもが、アイツが、喉から手が出るほど欲しがっていたものばかりだ。なぜだか分かるかい?これらは、アイツが集めていた、小説のお題なんだ。違う言葉に言い換えれば、小説のオチって奴なのさ」アケチ探偵は、楽しそうに説明した。
「そんなものを欲しがるなんて、不思議なヤツですよね」コバヤシは言った。
「そこが、アイツが怪盗と呼ばれている所以さ」
そう言いながら、アケチ探偵は、ゆっくり歩いて、陳列物を見回した。その目線の先には、ルシー人形が一つ、飾られていた。アケチ探偵は、謎のお婆さんを片手だけで押さえ込むようにして、優しい表情で、もう一つの手で、そのルシー人形を持ち上げた。
「ついに取り返したぞ。これだけは、絶対に、持ち主に返してやりたかったんだ」アケチ探偵は、大事にルシー人形を抱えながら、強く、そう呟いたのだった。
さて、202号室の解明は、これで完全に終わった訳ではなかったのである。
辺りを見漁っていたコバヤシは、すぐに、とんでもない事を発見したのだった。
「先生!見てください!洋室のこちらの壁に穴が開けられていますよ。人がくぐれるぐらい、大きな穴です。こちらの方角には、201号室があります」コバヤシが叫んだ。
「そうさ。つまり、こちらの202号室とあっちの201号室は繋がっていた訳だ。その穴を利用して、この婆さんは、二つの部屋を普段から行き来していたのさ」驚く様子もなく、アケチ探偵は、鋭く説明した。彼には、このカラクリは、とうに見抜けていたのである。
「なるほど。202号室の入り口のドアを開くと、この陳列場が、外から見えてしまいますので、絶対にドアを開けない為に、アイツは、二つの部屋を借り切って、201号室からだけ、中へは入るようにしていたんですね。そして、この202号室には、良からぬ噂を言い触らしておいて、誰も近づかないようにさせていたんだ」
「ところが、真相は、そこまで簡単でもないんだよ。なぜなら、この202号室の借主は、この婆さんではないからだ。別の名義で借りられていたんだ。このアパートの管理会社で聞いてきた情報だから、間違いはない。すなわち、アイツは、複数の名義を使いこなして、このアパートに潜り込んでいた事になる」
アケチ探偵の話を聞いて、コバヤシは、少し呆気にとられた表情になったのだった。謎解きが少し複雑になってきたものだから、頭がこんがらがってきたのである。
「まあ、それはひとまず置いといて、この穴を使って、隣の201号室に移動してみる事にしよう。きっと、さらに驚愕する発見があるはずだぜ」アケチ探偵は言った。
そこで、三人は、壁の穴を経由して、201号室に向かってみたのである。
201号室は、全体的には、202号室ほどの大きな改造は施されていなかった。しかし、一つだけ、はっきりと目につく異様な部分があったのだ。
「先生、これは!洋室の床に穴が空いてますよ!しかも、やっぱり、人がくぐれるほどの大きさです。ハシゴまでかけられているじゃないですか!そうだったのか。2階のふた部屋だけではなく、101号室も繋がっていたんです!ここまでは、さすがに気が付きませんでした」コバヤシは、興奮して訴えたのだった。
「やっぱりな」と、ある程度、目星がついていたらしいアケチ探偵は、やたらと冷静なのである。
確かに、コバヤシの言う通りだったのだ。この201号室の洋室の床には、ぽっかりと穴が開いていたのである。それは、まるで、地下に潜るための秘密の入り口のようでもあった。
なんにせよ、無許可で、ここまで部屋を改築していたとなると、それだけでも十分に犯罪なのである。
「と言う事は、アイツは、まず、この部屋を拠点にして、アパートの他の部屋も、いろいろな素性を使い分けて、乗っ取っていったんですね」と、コバヤシが推理した。
「おっと。それは違うね。アイツは、まず、下の階から借りていったんだ。そのうち、大胆になっていき、上の階も占拠して、自分の盗品の陳列室まで作ってしまう事も思い立ったんだ」アケチ探偵は口を挟んだ。
「え?でも、このお婆さんは、もう、20年も、このアパートに住んでいると言ってましたよ」
「それは、こいつが自分から申告した話だろ?私は、このアパートの管理会社を訪ねて、資料も見せてもらって、きちんと裏を取ってきている。今のアパートの住人で一番古参なのは、下の101号室の会社員だ。アイツは、そこを最初の拠点にして、順にテリトリーを広げていったんだよ」アケチ探偵は、明快に説明したのだった。
「だけど、それなら、何のために?アイツの目的は、盗品の保管場所を確保する事ではなかったのですか?」
「このアパートに盗品置き場を開設したのは、恐らく、後から決まったアイディアだ。アイツの真の狙いは、下の階に降りてみれば、はっきりと判明するよ。しかし、あいにく、私は、この婆さんをガッチリと押さえてなくちゃいけない。この状態だと、そのハシゴでは下には降りられそうにないよ。私たちは、やむを得ないので、いったん、部屋の外に出て、階段を使って、下に降りる事にする。コバヤシくん、悪いが、君一人だけで、そのハシゴを降りてみてくれないか。そして、101号室の中で、あらためて落ち合う事にしよう」
「分かりました。でも、このハシゴ、不用心に降りてみても、安全でしょうか」
「大丈夫さ。私が保証するよ。先に下についたら、君も驚くべきものを見つけるだろうさ」
こうして、アケチ探偵とコバヤシは、ひとまず、二手に分かれて行動したのだった。コバヤシは、直接、床に空いた穴のハシゴを降りてみた。お婆さんを捕獲しているアケチ探偵は、遠回りにはなるが、まずは部屋の外に出て、廊下を経由して、正式なアパートの階段を使って、一階にまで下っていったのである。
彼らが、101号室の玄関の前にたどり着くと、コバヤシはきちんと準備を済ませてくれていて、101号室の入り口のドアを開けてあって、すぐ中に入れる状態になっていた。
もちろん、アケチ探偵らは、ズカズカと、101号室の中へと入っていったのだ。
「先生!これは、どう言う事なのですか!」迎えたコバヤシが、そうとう動揺していたらしく、声を震わせて、アケチ探偵に尋ねたのだった。
「見ての通りさ。壁や床を切り開いて、繋がっていたのは、2階や101号室だけではなかった。1階は、三つの部屋が、全部、壁に穴が開けられていて、完全に行き来自由になっていたんだ」
アケチ探偵の解説どおりなのであった。1階の部屋は、101号室から103号室までが、壁に開けられた穴によって、一直線に貫通していた。そこには、住人の姿は、一人も見かけなかったのである。特に102号室の様子が異常だった。この部屋だけ、さらに床にと大きな穴が掘られていて、ほじくり出された土くれが、部屋のあちこちに山積みになっていたのだ。
「二階で、さっきから、ずっと騒いでいたのに、一階の住人が、まるで反応していなかったのは、こんなトリックがあったからなんですね。僕が入居した203号室以外の住人は、全員、グルだったんだ。でも、こんな大掛かりなカラクリを用いて、アイツは何をやっていたのでしょう?」
「まずは、それぞれの部屋を詳しく見物させてもらう事にしよう。ほら、ごらんよ。103号室には、等身大の幼児の人形が置かれてある。コバヤシくん、これが、君もチラッと見たと言う若夫婦の子供の正体だ」
「ただの人形だったから、騒ぐ事もなかったのですね」
「そうやって、怪しい噂づくりの為に、わざと用意したんだろう。それだけじゃない。101号室の会社員は、大きなトランクケースをよく持ち歩いていたと聞いたが、多分、彼は、この102号室で掘った穴から出た土を外に捨てる為に、トランクケースを使っていたんだ。部屋の中が、掘り出した土で埋まってしまわないようにね。推測だが、103号室の夫婦や201号室のこの婆さんも、何かにカムフラージュして、邪魔な土を頻繁にアパートの外へと持ち出して、捨てていた可能性がある」
「じゃあ、この床に掘った穴こそが、アイツの一番の狙いだったんですね」
「そうだ。この穴を内密に掘りたかったからこそ、アイツは、102号室の玄関のドアも、なるべく開かないようにしていた。その為には、どうしても、隣の部屋も借りて、そちらを外との出入り口にする必要があったのさ。しかも、秘密の穴掘り作業をバレないようにするには、用心して、両隣も借り切らなくてはならなかった。そのうち、二階の住人に気づかれる恐れも出てきた。とうとう、アイツは、さまざまな人間を装って、このアパートのあらゆる部屋を丸ごと借りてしまったのさ」
「だけど、なぜ、203号室だけは、きちんと借りずに、放置しておいたのですか?」
「それは、このアパートの怪しい噂を広める為の証人が欲しかったからさ。アイツは、このアパートに、根拠のない不気味な都市伝説を流して、近隣の住民を怖がらせて、近づかないようにさせていた。それを、より確固たるものにするには、部外者を噂の目撃者に仕立て上げる必要があったんだ。その目的で、203号室だけは、卒中、新参の入居者が入り込める余地を残しておいて、あとは、アパート内の怖い噂で、その新入居者を震え上がらせて、さっさと追い払うという行為を繰り返していたのさ」
「なんて、壮大な計画なんでしょうね。そこまでして、アイツは何を掘り出そうとしていたのでしょうか」
そこまで口にして、コバヤシは、ハッと息を飲んだのだった。彼は、102号室で、大量の土くれの中に混ざって、さりげなく、あるものが置かれていた事に気が付いたのである。
「あああ!先生、見てください!千両箱ですよ、千両箱!それも、沢山ある!アイツは、これを掘り出してたんですか!昔の財宝を発掘する事こそが、アイツの今回の狙いだったんですね!それにしても、凄いなあ、いくつ有るんだろう。一箱、二箱、三箱・・・」
浮かれながら、コバヤシが千両箱の量を数え始めた時、アケチ探偵は、それを遮ったのだった。
「聞いて驚くなよ。これは、ただの財宝じゃない。徳川幕府の埋蔵金だ。よく、千両箱を見てみろ。徳川家の家紋である三つ葉葵が刻まれているだろう。そうなんだ。誰もが探し求めていた徳川の隠し財産は、こんな所に埋められていたんだ」
「ほ、ほんとだ!そうだったのか」あまりに途方も無い話に、コバヤシもすっかり驚嘆した。
「アイツは、何らかの情報を手がかりに、この裏野ハイツの真下にこそ徳川埋蔵金があった事を嗅ぎつけたんだ。しかし、それを秘密裏に掘り出したくても、この裏野ハイツの建物が邪魔だった。あくまで盗掘したかったアイツは、今回のような遠大なカラクリを、この裏野ハイツそのものに仕掛けたんだ。なあ、そうなんだろう、ニジュウ面相くん!」
そう怒鳴って、アケチ探偵は、自分がとりこにしていたお婆さんの事を、キッと睨みつけたのだった。
すると、これまで黙って服従していたお婆さんの顔が、急に、鬼の形相にと変わった。のみならず、お婆さんの曲っていた腰がピョンとまっすぐに伸びたのだ。年寄りどころか、若者の体型なのである。
しかも、それだけではなかった。豹変したお婆さんは、片足で、ガンと勢いよく、その場の床を踏んづけたのである。途端に、その床の板がグラリと揺れてしまったのだ。そのせいで、バランスを崩したアケチ探偵は、つい、お婆さんの体を固めていた腕の力が甘くなってしまった。その一瞬の隙を見逃さず、お婆さんは、アケチ探偵の拘束から、まんまと抜け出してしまったのである。
バッと走り出したお婆さんは、しかし、そのまま逃げたりはせず、すぐに、アケチ探偵の方へと対峙した。腰に手を当てて、ふてぶてしく胸を張っている姿は、もう、とても、本物のお婆さんには見えないのだ。
「何もかもお見通しだったとはな。さすがだよ、アケチくん。だが、部屋の中にも、こんな仕掛けがあった事に気が付かなかったのは、ちょっと詰めが甘かったようだね」お婆さんは、可笑しそうに、声高らかに、うそぶいたのだった。たいへん野太い声で、明らかに、この人物は男性なのである。
「こいつが、ニジュウ面相だったんですね!ずっと、ニジュウ面相の手下の一人だと思っていました。まさか、こんな女の人にまで化ける事ができただなんて!」真実を知ったコバヤシは、激しく驚いていたのだった。
「ニジュウ面相は、世紀の怪人だ。女にだって変身できて当たり前さ。しかも、この婆さんだけじゃない。このアパートの住人は、全部、こいつの変装だったのさ。201号室の会社員も、203号室の若夫婦もね」
「ああ!そう言えば、思い当たる事が!なるほど、ここのアパートの住人は、いつも、現われる時は一人ずつでした」コバヤシも、ハッとして、納得したのだった。
「大した奴だよ、ニジュウ面相くん。共犯者も雇わずに、これだけの大仕事を一人でやり遂げようとしていたんだからな。しかし、その妙なこだわりが命取りになったようだね。もう、君に逃げ場はない。間もなく、連絡しておいた警官隊も、このアパートの周辺を取り囲むはずだ。諦めて、このまま、お縄につくんだね」アケチ探偵は、得意げに、ニジュウ面相むけて言い放った。
ところが、ニジュウ面相の方は、相変わらず、ふてぶてしい態度のままなのだった。
「はははは。俺がこれで負けただとぉ?さあて、どうだかね。俺が、いつだって、最後の逃げ道を用意している事は、アケチくん、君だって、ご存知のはずだと思ったよ。そうだ、今回だってね!」
そのように言いながら、ニジュウ面相が胸もとから素早く取り出したのは、一枚の小さな写真だった。だいぶ古ぼけた写真で、そこには、小さな子供の姿が写っていた。コバヤシは、つい、ニジュウ面相のことを本当のお婆さんだと信じてしまったものだから、情けをかけてしまい、この写真だけは没収していなかったのである。
「よく見ろ!これは、写真のように偽装してあるが、実際は、極薄タイプの起爆スイッチなのだ。このスイッチを押せば、遠隔操作で、このアパートの各所に仕込んでおいた爆弾がいっせいに爆発する。どうだ、お前たちに、俺と一緒に心中する気はあるか!」ニジュウ面相は大声で怒鳴った。
それを聞いて、アケチ探偵もコバヤシも、さすがに狼狽えたのだった。
今のニジュウ面相の話は、ハッタリの可能性もある。しかし、万が一でも事実だとすれば、とてもじゃないが、ニジュウ面相の自爆の巻き添えなどは食いたくはないのだ。アケチ探偵もコバヤシも、まだまだ長く生き続けて、社会の平和のために貢献し続けたいのである。
「さあ、どうする!10数える間だけ待ってやる!その間に、死にたくないのなら、このアパートから、少しでも遠くへ逃げ出すんだな。行くぞ、数えるぞ!」ニジュウ面相は、狂ったように笑いながら、叫んだ。
アケチ探偵は舌打ちした。もはや、これでは、選択の余地もないのである。彼は、コバヤシにも、目で合図を送った。二人は頷き合うと、同時にバッと全力で走り出したのである。
二人の背後からは、ニジュウ面相の勝ち誇ったような笑い声が聞こえ続けていた。
アケチ探偵たちが、慌てて、裏野ハイツの外へと飛び出して、30歩ほど踏み出した瞬間だった。
裏野ハイツの方からは、凄まじい爆発音が立て続けに聞こえてきたのである。ニジュウ面相の言葉は、決して、ただの脅しなんかではなかったのだ。彼は、有言実行した。その言葉を信じたアケチ探偵たちは、かろうじて、一命をとりとめたのである。
アケチ探偵とコバヤシは、呆然としながら、後ろを振り返った。そこでは、あの裏野ハイツが、物の見事に燃え上がっていた。深夜の暗闇の中に、その火事の惨状は、くっきりと映えているのである。これほどの壮絶な爆発を起こしたら、ニジュウ面相がせっかく掘り起こした埋蔵金も、すでに吹っ飛んでしまったかもしれない。
「先生。これで、ほんとに、ニジュウ面相は死んでしまったのでしょうか」コバヤシが、ぽつんと口にした。
「果たして、どうだろうね。あいつは、ただの悪人なんかではない。あの、ロマンと冒険を求めて、生き続ける怪盗は、実際には、皆の心の中に存在しているものなんだ。それが、ニジュウ面相だ。奴は、この程度のことでは、くたばったりはしないさ。いつか、きっと、再び、我々の前に、姿を現わすに違いない。そうさ、必ずね」アケチ探偵は、神妙に、しかし、少し期待を込めて、そのように言葉を締めくくったのだった。
「そう言えば、六箱の謎は、とうとう、分からずじまいでしたね」コバヤシは、こそっと、一言、付け加えた。
了




