ニジュウ面相 対 赤ずきん(4)
実際には、マユミは、怪人物が佇んでいたビルの隙間については、すでに見物済みだった。しかし、探偵の仕事でも警察の捜査でも「現場百回」と言うではないか。怪しい場所に関しては、何度、調査しようと、無駄足と言う事はないのである。
何よりも、今度の探検では、コバヤシ青年が懐中電灯を持っていた。さっきは暗がりの為、よく見えずに見落としていた事も、明るい光で照らせば、何か見つかるかもしれないのだ。
しかし、こうして、あらためて、怪人物が居たはずの地点にやって来ると、コバヤシ青年の方が、かなり冷めた態度なのだった。
「ほら。自分の目で確認してみて、気がすんだかい?ここには何もないよ。火種がセットされていた訳でもないし、ガソリンが撒かれていた気配もない。さっき、目にした謎の人物は、浮浪者か何かで、寝ぐらに出来ないかと思って、この辺をウロついていただけだったのかもしれないね」コバヤシ青年は、さっぱりと言った。
でも、マユミの方は、まだ諦めた様子ではなかったのである。彼女は、懐中電灯で照らされた周囲の様子を、目を凝らして、じっくりと観察し続けていた。
そして、ついに、彼女は、気になる部分を発見したのである。
「お兄ちゃん。あれ」と、マユミは、落ち着いた口調で言った。
彼女は、意外にも、頭上の方に目を向けていた。だから、コバヤシ青年も、マユミの目線を追って、顔を上へと傾けたのだ。そこで、彼も、あるモノを見つけたのだった。
それは、小さな窓だった。地上からはかなり高い位置、およそ4メートルほどの場所に、江戸川宝石店の壁には、場違いな窓がついていたのである。どこの部屋に設置された窓なのかは分からなかったが、状況や窓の大きさ、形から考えて、換気用の窓かと思われた。
「なるほどね。よく、あそこに窓があるのに気が付いたね。でも、あれは、きっと、何も関係ないよ。あんな高いところにある窓じゃ、火のついたものを投げ込めそうにもない」コバヤシ青年は、笑いながら、あっさり言った。
「そうじゃなくて、あそこから侵入できるのでは?」と、マユミ。
「泥棒が入ると言うのかい?それこそ、ありえない話だよ。まず、あんな高くまで上るのが一苦労だし、もし、上れたとしても、あの窓の小ささじゃ、人間はくぐれないよ。たとえ、君みたいな、おチビちゃんであってもね」
「それなら、動物だったら?ほら、この壁は、けっこうデコボコしてるわ。動物なら、うまく爪とかを引っ掛けて、あの高さまで這い上れるかもしれれない」
「おいおい。もしかして、またオオカミの話をしてるのかい?でも、やっぱり、不可能だろうね。オオカミだって、あの窓は、くぐるには小さすぎるだろう。マユミちゃんが考えているよりも、オオカミと言うのは、もっと大きな生き物なんだよ」
マユミは、まだ何かを言いたげだったのだが、否定されるのが嫌だったのか、口には出さなかった。
「さあ。これで、探偵ごっこの方もおしまい。マユミちゃんはもう家に帰りなさい、と言いたいところだったんだけど、あの怪しい人物のせいで、僕は、ここから安易に離れられなくなってしまった。かと言って、マユミちゃん一人だけで帰す訳にもいかないし、仕方ないから、君は、もうしばらく、この宝石店で休んでいてくれないかな。犯行時間が過ぎて、事件の方がひと段落つけば、そしたら、僕がきちんと家まで送ってあげるからさ。それでも、いいかな?」と、コバヤシ青年は言った。
もちろん、この事件にまだ関わり続けたいマユミにとって、その提案には何の不平もなかったのである。
こうして、マユミは、再び、宝石店の応接室にと逆戻りする事になってしまったのだった。
相変わらず、広い応接室の中で、彼女は一人ぼっちなのである。別に重要人物とか言う訳でもなかったので、そばに護衛の警官がつくのでもないのだ。ただし、宝石店全体を慌ただしく警官たちが見回っていたのか、廊下の方からは、絶えず、歩き回る足音が聞こえてきていた。マユミも、うかつに、応接室の外へは出て行く事ができなさそうなのである。
予告状の犯行時刻である10時までは、まだまだ、かなり時間があった。幼いマユミでは、この状況がそろそろ退屈に思えてきたのである。
「あーあ。こんな事だったら、『女探偵アガサ』の新刊コミックスでも持ってくるんだった」と、マユミは、誰に聞かすのでもなく言ってみた。
もちろん、そんな事を口にしたところで、何の気分転換にもならないのだ。
時間は刻一刻と10時に近づいており、マユミは、果たして事件が起きるのだろうかと心弾ませていた一方で、彼女の普段の就寝時刻も、すでに、だいぶ過ぎていたのだった。
マユミは、じょじょに眠気にと襲われ始めていた。
応接室の外では、変わらぬ、緊張状態が続いていた。
江戸川宝石店の内外では、その各所に警官たちが配備されており、何か怪しい事が起きていないかを、四六時中、警戒していたのである。犯行時刻までに何も起きなければ、それで良し。逆に、何かが起きたとすれば、最悪の事態に発展する前に対処しなくてはいけないのだ。
いよいよ、犯行時刻になろうとしていた頃に、宝石店のすぐ外の通りを見張っていた警官たちは、ちょっとした不審な事態にと巻き込まれていた。宝石店は、すでに閉まっていたと言うのに、その正面を、ぎこちなくウロついている男がいたのに気が付いたのである。
ロングコートで全身を覆い、山高帽を深々と被った、怪しい男だ。すでに辺りは夜中であり、灯っているのは街灯だけだったが、代わりに、夜空には大きな満月が浮かんでいたので、その男の姿は、誰の目からも鮮明に確認する事ができたのだった。
最初に現われた時こそ、その男のことを慎重に用心していただけの警官たちだったが、いつまでも、その男が宝石店の周辺から立ち去ろうとしないものだから、警官たちの疑心は次第に確信へと変わっていったのだ。
間もなく、犯行時刻だった。そこで、警官の一人が、その謎の男にと、思い切って、接近してみたのである。表向きは、職務質問をする為だ。幸い、他に、怪しい人物とか、おかしな現象とかは見当たらなかった。この男の件さえ、滞りなく片付けてしまえば、今回の犯行予告事件もお開きにできそうなのである。
だが、この謎の男にちょっかいを掛けたばかりに、そう簡単には収まらなくなってしまったのだった。
職務質問は、なかなか順調には進まなかった。謎の男は、まるで声が出せないかのように、すぐには警察の問いかけには答えようとはしなかったのである。それどころか、男は、不気味な唸り声すら出し始めた。
職務質問をしていた警官は動揺したが、その様子を見守っていた周囲の警官たちも、すぐに異常に気が付いたのである。江戸川宝石店の周辺に散らばっていた警官たちは、いっせいに、謎の男の周りを取り巻く形で、包囲の輪を狭めていった。
彼らの敏速な判断は、実に正しかったのかもしれない。
と言うのも、謎の男は、次の瞬間、いきなり暴れ出したからである。それも、人間の乱暴者の感じではない。まるで野獣のような動きで、激しく体を動かして、凶暴に暴れ始めたのだ。
その予測不能な行動に、職務質問していた警官も、うっかり、取り押さえるタイミングを逃してしまった。そうなってしまうと、一人では、この謎の男を捕まえにくいのである。
でも、今は、幸いにも、周囲にも多数の警官仲間がいた。職務質問した警官が、任務に難航している事を察知すると、周りにいた警官たちは、いっせいに協力する為に集まってきたのだった。
だが、謎の男の身柄は、なかなか、確保する事ができなかった。そいつは、ますます、ケモノのごとき態度を取り出して、簡単に押さえつける事ができなくなったのである。四つん這いになって移動したり、飛び跳ねたり、近づく者に噛み付こうとしたり、その姿は、まさに危険な肉食の動物であった。ここにいる警官たちは、野生動物の捕獲の訓練は受けていないから、相手がこのような暴れ方をすると、てんで対応の仕方が分からないのである。
「こ、こいつ、狼男だ!」と、思わず、口走ってしまった警官がいた。
空には明るい満月も昇っていた訳だし、その光に照らされた謎の男の姿は、なるほど、狼男のようにも見えたのかもしれない。
このケダモノ男は、短い攻防の末に、とうとう、警官たちの包囲網を突破してしまったのだった。警官たちの隙間をくぐり抜け、その輪の外へと逃げ出してしまったのだ。謎の狼男は、四つ足になって、走り続けていた。とにかく、やたらと足が早いのである。虚をつかれた警官たちでは、すぐに追いつく事ができなかったのだ。
しかし、狼男は、まっすぐ、逃げ出してしまったのでもなかった。そばには、一台の乗用車が停まっていた。狼男は、その乗用車のもとへ向かうと、バタンとドアを開き、中へと飛び込んでしまった。かと思うと、間も置かずに、乗用車の反対側のドアが開いた。そこから、狼男は再び飛び出したのだ。
今度は、狼男も、寄り道もせずに走り出した。今までにも増して早いスピードでだ。宝石店の前の街道を、その一方へと、ぐんぐんと走り去っていくのである。瞬く間に、その姿は見えなくなっていった。
当然、警官たちは、そのあとを追いかけたのだ。宝石店への犯罪予告とも関係なく、そもそもが、あんな怪しい危険人物を町の中に野放しにしておく訳にもいかないのである。
宝石店の外にいた警官のほとんどは、狼男の追跡にと参加していた。この場に残った数名の警官の方も、店内の警官たちと連絡を取るなど、やる事がいっぱいで、すっかりバタバタしていたのだ。
でも、実は、この時、同時進行で、あの狼男が途中で乗り込んだ乗用車からは、一人の人物が、こっそりと降車していた。その人物が、なんと、制服を着た警官の姿をしていたのである。もし、この車から降りるところを、たまたま、他の警官に見れらていたとしても、その人物は、きっと「車の中を検分していただけだ」と答えた事だろう。ただ、それ以前に、この男が乗用車から降りた瞬間は、誰にも見つかっていなかったのである。
そして、この警官姿の男は、全く、何食わぬ顔をして、江戸川宝石店の中へと入っていったのだった。本物の制服警官だと間違えられていたから、彼のことを気にした者は一人もいなかったのである。
つづく




