ニジュウ面相 対 赤ずきん(3)
ビルの隙間の空間に潜んでいた謎の人物は、ゆっくりと移動をしていた。その場所から去るつもりだったのだろう。この人物が本当に悪者だったのかどうかは不明だったのだが、それでも、マユミは、こいつこそが宝石店を狙っている犯人なのだと確信しきっていたのだった。
マユミは、そっとビルの隙間へと踏み込んでいった。
その空間は、夕刻だったので、昼間以上に真っ暗なのである。頼りになるのは、通りの方から差し込んでいる明かりだけだった。大人だって怖く感じてしまうような場所だったと言うのに、だけど、自分は名探偵なんだからと自身に言い聞かせているマユミは、勇気を出して、中へと前進していったのだ。
とにかく、早く追いかけなければ、怪しい人物に反対側から逃げられてしまう。そんな考えに集中していると、マユミは、不思議と、暗さに対する恐怖心も和らいだのだった。むしろ、ワクワクするスリルさえ湧いてきたのだ。
やがて、マユミは、さっきまで怪人物が佇んでいた地点にまでたどり着いた。いったん、そこで、マユミも立ち止まる。虫眼鏡を片手に、軽く周囲を見回してみたが、特におかしなものが置き去りにされていたような様子でもなかった。もっとも、真っ暗だったから見落としてしまっただけだったのかも知れず、あとで、明かりを持って、念入りに調べ直す必要はありそうだった。
とりあえず、今は、ここでゆっくりしている時間はないのだ。まずは、怪しい人物のあとを追う事の方が先決なのである。
「あの人物が、もしニジュウ面相だったとしたら、道の途中で罠が仕掛けられている危険性もあるわね」マユミは、真剣な顔で、独り言ちた。
しかし、彼女は、間もなく、何事もなく、ビルの隙間を通り抜けてしまったのであった。あの怪人物の方は、もっと早くに、この場所から抜け出してしまっていた。
江戸川宝石店の裏側の通りへと足を踏み入れたマユミは、さっそく、逃げたばかりの怪人物を、なおも追跡しようと、その姿を求めて、キョロキョロと辺りを見回したのだった。そして、何となく、やや遠くの場所を、それっぽい人物が、人混みに紛れて歩いていたのを、ちらと発見したのである。
マユミは、すぐにでも、その人物のあとを追いかけようとした。
その時だった。マユミの目の前を、さりげなく、小さな子犬が通り過ぎた。
「あ!人面犬!」思わず、マユミは叫んだ。
少なくとも、彼女には、今、目前を横切った小犬の顔が人面だったように見えた。一瞬の事だったし、こんな薄暗い状況だったので、ただの見間違いだったとも考えられるだろう。でも、マユミにしてみれば、もう、自分が感じた事が正しいとしか思えないのであった。
さあ、困った事になったぞ。
あれほど探していた人面犬を捕まえられるかもしれない絶好のチャンスなのだ。かと言って、ニジュウ面相かもしれない怪人物のことだって、ここで逃がしてしまったりはしたくないのである。果たして、どちらを追いかければ良いのだろう?まさに、二兎を追う状態なのだ。
マユミは、決めかねて、その場に立ちすくみ、ついウロウロした。でも、こんな場所で立ち往生しているうちに、怪人の姿も人面犬も完全に見失ってしまってしまうのである。すでに、どちらの居る場所も、分からなくなりかけていたと言うのに。
「お姉ちゃん!これ以上は深入りしちゃダメだよ」と、そこで、いきなり、別の方角から声が聞こえてきた。
マユミは、ハッとして、条件反射的に、その声の方に振り返ってしまったのだった。
前にも聞いた事のある、幼女のかん高い声だ。
目を向けてみると、やはり、そこには、あの赤い頭巾の女の子が立っていたのだった。少女は、すました表情で、凛々しい態度で佇んでいた。
「言っただろ。余計な事をしたら、オオカミに喰われちゃうよ」と、赤ずきんは、相変わらず、大きな瞳をキラキラと輝かせて、言葉をさらに続けた。
夕刻の暗がりの中で、彼女の赤い姿は、浮き彫りになって見えるのである。
「で、でも、追っかけないと逃げられちゃうわ」マユミが言い返した。
「オオカミを本当にやっつける事ができるのは、狼ハンターだけだよ」
「それって、あなたの事も助けてくれた、猟師さんを言ってるの?」
赤ずきんは、不敵な笑みを浮かべただけで、マユミの質問には答えはしなかった。
「それより、早く戻った方がいいんじゃないかな。皆、心配してるよ」
「あ」
赤ずきんに言われて、マユミは、コバヤシ青年らの事を思い出したのだった。
慌てて、周りをクルクルと見回してみる。赤ずきんと無駄話をしていたせいで、怪人や人面犬の姿は、すでに全く分からなくなってしまっていた。
赤ずきんに文句の一つでも言ってやろうと思って、顔を向けると、そこには赤ずきんの姿すらも無かった。
マユミは、すっかり、キョトンとしてしまったのである。
今の一連の出来事は、何だったのであろう?全て、マユミの見た幻だったのだろうか。しかし、この通りの真ん中に立っていると言う事は、怪人物のあとを追いかけていたのだけは、確かみたいなのである。
このまま、考えていても、埒があかなかった。マユミは、仕方なく、元の場所に引き返す事にしたのである。
さすがに、今度は、あの不気味なビルの隙間をくぐる気にはならなかった。彼女は、遠回りをして、大きな通りをグルリと周回するルートで、江戸川宝石店の表側の通りへと向かったのである。
すると、江戸川宝石店の周辺では、すでに何人もの警官が、バタつきながら、たむろしていたのだった。その中には、コバヤシ青年の姿も混ざっていた。
彼は、遠くからトボトボと歩いてくるマユミの姿を見つけると、ハッとして、急いで、駆け寄ってきたのである。
「マユミちゃん!ダメじゃないか!勝手に歩き回ったりして!そこで待ってなさい、と言っただろう?もし、君の身に何かあったりしたら、僕もアケチ先生に顔向けできなくなっちゃうよ」コバヤシ青年は、目を尖らせて、マユミを叱咤したのだった。
何だか、マユミとしては、あっちでも、こっちでも、叱られているような感じがしてしまうのである。
「ねえ。あのヘンな人がいた場所は、もう調べてみたの?」不満そうな顔をしたマユミは、ぶっきらぼうに、コバヤシ青年に尋ねてみた。
「ああ。さっき、調べたよ。さいわい、おかしなものは何も無かった。放火する為のガソリンでもばら撒いてたんじゃないかと心配してたんだけどね。あの人物は、ほんとに、ただのホームレスだったのかもしれない。でも、おかげで、もっと本気で警備に当たらないといけなくなっちゃったよ」
「あのさ。あたしも、その現場を見てみたいな」
「君は関係ないだろ」
「いいから、見てみたいのよ。お兄ちゃん、ちょっとだけでいいから、連れてってよ」
マユミが、こんな風に駄々をこね出したら、絶対に諦めはしないのである。それは、いつも付き添っているコバヤシ青年が、一番よく分かっていた。
「まあ、危ない事も無さそうだったし、じゃあ、少しだけだよ」コバヤシ青年が言った。
「やった。さすが、お兄ちゃん!」
「現場を見て、満足したら、もう、おとなしくしてるんだよ」
「分かったわ」と、マユミは調子よく頷いた。
こうして、二人は、他の警官たちの目を盗んで、こっそりと、ビルの隙間へと向かったのである。
つづく




