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雪解けに咲きたる想いは。 〜雪百合高校相談部〜  作者: たく
その手はいつも温かくて
9/51

入部

「失礼します」

「おっ、やっぱり来てくれたんだね。入って入って!」

 相談部の部室に入ると、神奈たちは以前と全く同じ構図でそこにいた。神奈が明日香たちを迎え、雫はこちらを気にかけることなく読書に耽る。

 明日香たちに限らず見学者には神奈が一人で対応していたこともあり、彼女たちが会話をしていたところを明日香はほとんど見たことがない。二人きりの時、神奈たちはどんな風に過ごしているのだろうか。

 現在、相談部の部室には計六人。仮入部の時と全く同じメンツだった。

「とりあえず、入部届けを先に貰っちゃおうかな」

 やるべきことは先に片付ける主義なのか、神奈は手を差し出す。健、真司、美優と続き、明日香は最後に入部届けを提出した。

「たけちゃんだけクラス違うんだね。四人で一緒にいることが多いから、てっきり同じクラスだと思ってたよ」

「そうなんですよ。でも、休み時間に顔出してるんであんまり関係ないですけどね。神奈先輩たちは同じクラスなんですか?」

「うん。雫とは一年生の時からずっと同じ。運命みたいだよねー。ね、雫?」

 運命という単語に、明日香は胸がざわついた。入学式の日の朝、占いで運命の人が現れるかもしれないという話があった。もちろん、そんなことは微塵も信じていないが。

 神奈からの呼びかけも虚しく、雫は平常運転で本を読み進めていた。熱中すると周りが見えなくなるというのは、どうやら本当のことらしい。

 大きさからして文庫本だろうか。雫が読んでいる本の表面は真っ黒な革製のカバーに覆われており、一見すると手帳のようだった。

「また夢中になってる。困ったさんだなぁ」

 呆れた態度とは裏腹に、神奈が雫に送る視線は温かい。まるでいつものことのように、神奈は穏やかな表情を浮かべている。緊急性が無かったからか、彼女は雫のことを放置していた。

 そこで、不意に扉がノックされた。

「どうぞー」

 来客の入室を神奈が許可すると、全員の注意が扉に引きつけられる。少しして、扉は躊躇いがちに開かれた。

 入ってきた人物が一度全員を一瞥すると、探るように女性は神奈に訊ねる。

「もしかして、もう部活始まってた?」

「いえ、まだですよ。というか、顔出したの久しぶりじゃないですか?」

「そうね。今日は正式な入部日でしょう? どんな子が来るのか私も確認しておきたくて」

 一年生たちは黙って成り行きを傍観していた。雫は相変わらず本とにらめっこしており、部内の空気は三つに割れてしまっている。

 それを悟ったのか、神奈は話を中断すると女性のことを紹介した。

「この方は相談部顧問の松井聡美(まついさとみ)先生です。基本的には私たちが主体的に動いていくので、顔を出すことはほとんどありません。ただ、課外活動や重要な活動をする時は力を貸していただいてます。担当科目は現代文で、今は三年生の担任も受け持っています」

「自己紹介くらい自分でやりますよ。……橘さんに全部言われちゃったけど、そういうことだからよろしくね」

 前半は神奈に、後半は明日香たちに向けて聡美は言った。常に柔らかな表情浮かべていることから、彼女の優しさのようなものが垣間見れる。

「先生はぽやーっとしてるところがあるから」と、それに対して神奈は返していた。

 神奈が言う通り、聡美は癒しを絵に描いたような人物だった。

 やや垂れ目がちの双眸に、ゆっくりと聞きやすい喋り方。声質も相まってか、警戒心が知らず知らずの内に解きほぐされてしまう。聡美の授業を受ける生徒は全員眠ってしまうのではないかと、余計な心配までしてしまうほどだった。

 明日香と身長が近いこともあり、教師だというのに威圧感は感じられなかった。神奈と並んでいると、どちらが大人なのか分からなくなってしまう。

 聡美は黒の正装にベージュのインナーを着用していた。スカートはやや長めにセットされており、僅かに覗くふくらはぎからはハリのある肌が晒されている。その艶は、明日香たちのものと比較しても大差無い。おそらく、聡美とはそこまで年齢差が無いのだと明日香は思っていた。

 先ほどのやり取りを見るに、神奈と聡美は仲が良いらしい。生徒と教師という垣根を超えた友人のように、二人の態度はフラットだった。

「……神奈、そろそろ部活」

「そうだね。先生と話すのが楽しくて、つい」

「私のこと、言えないね」

「ありゃ。もしかしてさっきの話聞いてたの?」

 黙っていた雫が唐突に動き出す。彼女の方から神奈に接しているのは違和感だった。明日香は、雫が自分と似ていると勝手に思い込んでいたから。

 自身の失態を棚に上げるようにわざとらしく咳払いをすると、神奈は改めて切り出した。

「雪高相談部へようこそ! この部は二年生が誰もいないけど、あまり気負わなくていいからね。ここに来た人たちを一人でも楽にしてあげられるように。そして、私たち自身が楽しめるように頑張りましょう!」

 またしても、雫はいつものように神奈に同調する。しかし、彼女の表情は決して晴れ晴れとは言い難かった。喜びや嬉しさといった前向きな気持ちだけではなく、何かを惜しみ、悲しんでいるようにも見えた。

「私も可能な限り手伝えるようにするので、困ったことがあれば頼ってください」

「こんな美人な先生が顧問とか最高だな」と健が真司に耳打ちすると、彼は反応に困ったかのように愛想笑いを浮かべていた。




「今後の活動について改めて説明します。長くなりそうだから、気になることがあったら各自メモを取ってね」

 部活が始まると、神奈は早速本題に入る。聡美は仕事を残してたらしく、すぐに部室から去ってしまっていた。

「相談部は一六時から活動を始めます。終わる時間は一九時です。他の部活は一八時頃に終わることが多いので、うちは少し長めに活動しています。部活が終わった後に来たいって人もいるからね。ちなみに完全下校時刻は二○時で、この時間は厳守です。ただ、話が長引いたりすると大目に見てくれることもあります」

 神奈が言った内容を、美優は一切の漏れ無くノートに記入していた。初めて見る彼女の文字はやはり想像通り達筆で、部員募集のチラシに書いてあった神奈のそれとは違った力強さを持っている。

「早退や欠席、遅刻をする人は必ず連絡を入れてください。メッセージアプリに部活用のグループを作ったので、そこからでも大丈夫です。このグループは相談者の予定を把握したり、部員同士の意思疎通を図るために使います。もちろん、私的に使ってもオーケー!」

 そう言って、神奈は親指を立てながら右手を突き出す。彼女のはしゃぎようを見ていると、むしろ後者が本命なのではないかとすら思えた。神奈は隙間時間を見つけては一年生たちと積極的にコミュニケーションを取っており、二人だけだった部に新たな仲間ができて嬉しかったのかもしれない。

「次に相談を受ける時の注意点です。当たり前だけど、相談内容は第三者に絶対に口外しないこと。例外もあるけど、基本的には他言無用です」

「まぁ、そうだよな」と、健は誰に言うわけでもなくポツリと呟く。彼もその意味はしっかりと理解しているようだった。

 相談とは、自身の弱さをさらけ出すということを意味する。自分にとってつらいことや触れられたくないことを他人に聞かせるのは勇気がいる。プライドをかなぐり捨て、誰かに頼ることは簡単ではない。相談を受ける人は、相手の気持ちを共に背負う覚悟が必要なのだ。

 普段は活発で明るい神奈がこの上なく真剣な表情をしているのは、彼女がそれだけことの重大さを理解してるからこそだった。

「もしも相談者に話を聞かれたくないと言われたら、それには従ってください。一対一か、二人一組で話を聞くのがベストなのかな。去年は私と雫だけだったからこういうことはなかったんだけど、今年は人数が増えたからね」

 確かに、多数の人に話を聞かれるのは緊張してしまうだろう。異性には聞かれたくない内容だってあるし、特定の人に話したいと思うことだってあるはずだ。例えば、似たような境遇を抱えていたり、自分と同じ体験をした人だったりと。

「部室ですでに相談を受けてる場合は、空き教室や人気のない場所を使ってください。可能な限り多くの人の話を聞きたいからね。問題が起きたり分からないことがあったらすぐに私か雫に聞くこと。とりあえずはこんな感じかな」

 他者がいての活動のため、こちらの一存で全てを決めることは難しいのだろう。ひとまずは手探りで神奈はプランを立てているようだった。

「質問がある人はいますか?」

 神奈の問いかけに健と美優は「いいえ」と言い、真司は首を横に振った。

「明日香ちゃんは?」

「大丈夫です」

 全員の意思を確認し、神奈は二度ほど頷いた。

「そうだ、言い忘れてた。ここは部室兼活動場所だから貴重品には気を付けてね。誰かがいるから安全とは限らないし、自分の物は自分で管理すること。誰かに取られてからじゃ遅いからね」

「取られるって、神奈先輩にですか?」

 健が突っ込みを入れると、神奈は目を瞠った。しかし、それも一瞬のことで、彼女の口端は意地悪そうにニヤリと吊り上がる。神奈の気に障ったのではないかと、明日香は冷や汗をかいていた。

「……生意気なことを言うたけちゃんにはお仕置きが必要かな?」

「冗談です。すみませんでした」

「分かってるって」

 一時はどうなるかと思ったものの、どうやら当の本人たちはやり取りを楽しんでいるらしかった。神奈に釣られて健がニヤけると、二人は肩を震わせていた。

 きっと、健は神奈になら冗談が通じると分かっていたのだろう。それを見越した上であのような態度を取ったのだ。明日香としては気が気ではなかったが。

 室内が和やかになって解決かと思いきや、それをぶち壊すかのように一人の少女は苦言を呈す。

「健、冗談でもあまりそういうこと言わない方がいいと思う」

 一連の流れを良く思わなかったのか、美優は厳しい口調で健を(いさ)めた。彼女が声を荒げることは珍しく、部室が一瞬にして静まり返る。室内に重苦しい空気が漂う中、状況を立て直そうと神奈がフォローを入れた。

「美優ちゃん、私は気にしてないから平気だよ。真面目な話ばかりだったからみんなも疲れてたでしょ? たけちゃんは、それを察して冗談を言ったんだと思うから」

「神奈先輩は俺のこと過大評価し過ぎですよ」

「でも間違いじゃないでしょ?」

「いや、そこまで深く考えてたわけじゃないですよ。その場の勢いというかなんというか。……というか、褒められるようなことじゃないですし」

「別に照れなくてもいいんだけどなぁ」

「神奈先輩には敵わないですわ」

「ということだから」

「……そうですか。分かりました」

 やや強引に丸め込むと、神奈はなんでもないように微笑んでいた。さすがにそこまでされては、美優もそれ以上追求できないようだ。溢れ出る感情を押し殺したような静かな声で、彼女は応答していた。

 美優は正義感が強い。曲がったことや他人を傷付けるようなことがあれば全力でそれを阻止する。彼女のそんなところに明日香は救われたのだ。

 思うことがあるのか、美優の態度に真司は小さく息を吐き出していた。そして、さらにそれを見据える一人の少女。以前、部室を出ようとした時に背中に感じた突き刺さるような視線。

 雫は、あの日と同じように真司たちのことを凝視していた。




 初日ということもあり、活動は通常よりも早く切り上げられた。現在時刻は一七時。部室が地下にあるせいで空は見えないが、まだ明るいはずだ。

 帰る支度をしていると、肩を誰かに掴まれた。不意打ちに身体が強張りながらも、ぎこちない動きで明日香は振り返る。

 その人物が明らかになると、明日香は固唾を飲み込んだ。獲物を狙う狩人のような鋭い眼をした神奈がそこにいたのだ。

 逃げたら殺される。それが明日香の率直な感想だった。

 実際にはそんなことはあり得ないが、神奈の存在感にはそう思わせるだけの迫力があった。なにせ、神奈は部の中でもずば抜けて身長が高い。健たちをも差し置いて、文字通り頭一つ飛び出ている。目の前まで迫られると、どうしても圧迫感を感じざるを得ない。

「待ちたまえ明日香くん。なんのために部活を早く終わらせたと思ってるんだい?」

「ど、どうしてですか……?」

 考え込む余裕などあるはずもなく、明日香は反射的に神奈に聞き直した。部長という立場もさながら、明日香は神奈に萎縮してしまっていたのだ。

「決まってるでしょ? それは部員の親睦を深めるためだよっ!」

 自信満々に神奈は言い放つ。興奮すると両腕を広げるのは彼女の癖だろうか。神奈のハイテンションぶりに、明日香はたじろぐ以外他ない。

「……神奈、水野さん怖がってる」

 神奈の背中から、ひょっこりと雫が顔を出す。意外にも、彼女は助け舟を出してくれるのだった。こんな時、いつもなら美優が駆けつけてくるのだが、今はトイレに行って席を外していたのだ。

「ごめんね。明日香ちゃんが帰っちゃうのかと思って」

「……い、いえ、大丈夫です」

 大丈夫ではない。雫が来てくれてもなお、明日香は神奈に怯えっぱなしだった。見下ろされてることに明日香は異様なほどに恐怖を抱く。こうされていると、責められているような気がしてならないのだ。

「今からみんなでどこか行こうと思ってるんだけど、明日香ちゃんもどう? たけちゃんたちは来るみたいだけど、明日香ちゃんには聞いてなかったから。もちろん無理強いはしないけど」

「私は……」

 迫り来る答えに、明日香は言葉が詰まった。理由は単純で、美優がどうするのか分からなかったからだ。彼女無しでは他の四人とうまくやれるとは思えないし、明日香は集団での行動が苦手だ。その上、美優がいないとなれば孤立する可能性が高くなる。

 神奈はこちらの返答をせっつくことなく待ってくれていて、それが余計にプレッシャーになる。いっそ、勝手に決めてくれた方が楽なのではないか。そんな甘い考えに身を委ねそうになる。

 しかし、仮にそうなったとしてもきっと明日香は後悔するだろう。全て分かっているのに行動を起こせない自分自身に、明日香は心底呆れた。

 この場合、模範解答は『行きます』だ。

 そう答えれば、付き合いの悪い後輩というイメージがつくことはない。今後のことを考えれば、周囲から疎まれるような行動は避けなければならない。最初から、必然的に答えは決まっているのだ。

「いーー」

「お待たせ!」

 返答しようとすると同時に、美優が戻ってくる。

「ナイスタイミング。美優ちゃんはこの後時間あるかな?」

「ありますけど。どうしてですか?」

「みんなでどこか行こうかなって思ってるから」

「そうですか。明日香はどうする?」

 美優がどうするのかを知りたかったのに、こちらの考えを知っていたかのように彼女はそれを明らかにしてくれない。

 たとえ明日香がどんな結論を出したとしても、美優なら一緒に来てくれる。なぜだか、そんな気がしていた。

「……行こうかなって、思ってる」

 明日香の答えを聞いて、神奈は「やった!」とガッツポーズをした。ほどなくして美優も続く。

「じゃあ、私も行きます」

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