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硝子の檻  作者: 狼子 由
3/4

3 逆転

 領主さまは、私に罰を与えようとはしなかった。

 下女長や他の下女たちは、今まで以上に私に酷く当たるようになったけれど。


 役立たずや魔術なしとの蔑みに、盗人という言葉が加わった。

 買い物に出ることも、洗濯ものを運ぶこともさせられなくなった。

 盗まれては大変と囁かれて。

 屋内の掃除も、銀食器を磨くこともやめさせられた。

 私に与えられる仕事は、庭から外の掃除と家畜の世話だけになった。


 もしかすると――いいえ、多分きっと、これもティリスの言いつけに違いない。

 あの女は、私を陥れ大切なものを奪った上に、まだ貶めようとしているのだ。


 今日も、館の隅を歩く私に、下女たちの悪口が投げつけられる。


「役立たずの盗人の癖にこっちに来ないで欲しいわ。あたしの物を盗まれちゃ困る」

「こんな雑巾一枚だって、盗人が館にいるんじゃ、うかうか外に干してらんないもの」


 何と言っても、あの女はお客さまの上着を――と、いつも言葉は続くのだ。

 私は言い返すことなど諦めて、そんな下女たちの横を、顔を伏せたまま通り過ぎる。


 直後、背中で、ひっと息を呑む音がした。下女たちの陰口も途絶えている。

 不思議に思って振り向いた途端、そこに立っている方に気付いて、私もまた言葉を失った。


「……君たち、彼女がどうしたって?」


 優しい声、柑橘の香り。

 穏やかな眼差しは、だけど今は力を込めて下女たちに向けられている。

 あの――上着の方だ。

 私は、力の入らない唇を震わせてそっと呼び掛ける。


「お客さま――」

「――シャリドラ侯、お待ちください!」


 廊下の向こうから、足音を荒げて寄ってきたのは、領主さまだ。領主さまを追って下女長や他の使用人たちも集まって来た。

 彼らの後ろから、ティリスがドレスの裾をつまんで駆けてきている。蒼白な顔色なのに、普段通りの凍った青い瞳をしている。


「シャリドラ侯、どういうことですか。探していた方が見つかったとは――」


 いつになく慌てた様子の領主さまを、あの方は――シャリドラ侯は一瞥した。

 私に向けてくださったのとは違う、冷たい視線。


「あなたには落胆しましたよ。あなたが引き取っていたなら、もっと早く教えてくだされば」

「引き取っていたとは……まさかこの娘の、ミナのことですか? どういうことです。あなたは、ご自身の結婚相手を探しに来られたのでしょう。ミナを――こんな魔術なしの娘を娶るおつもりか」

「……ああ、まさかあなたまで、そんな下世話な噂を信じていたとはね」


 呆れた様子のシャリドラ侯を前に、領主さまはますます焦り、額に汗を浮かべている。


「しかし、そうでなければ――その、もう一つの噂では、あなたは国王陛下の愛妾を探しに来たと」

「なるほど、そういう噂になっていたのですね。まあ、確かに近いけれども……いや、少し違うか」


 シャリドラ侯は静かに私に向き直り、そして静かに手を取ると、床へ膝を突いた。

 穏やかな眼差しが、下から見上げてくる。


「数々のご無礼をお許しください、王女殿下」

「おっ……王女ですって? ミナがですか?」


 領主さまのひっくり返った声を聞いても、シャリドラ侯は笑いはしなかった。

 それどころか、真面目な顔でただ私を見詰めている。


「王都から、あなたをお探しに参りました。ミナさま――いいえ、ロザミネアさま」


 荒れた私の手の甲に、シャリドラ侯がそっと唇をつけた。

 ふわりと立ち上る柑橘の香りと、優しい唇の感触に、私は夢の中にいるように足元がおぼつかない。


「私は、そんな……ただの親なしの魔術なしの……」

「驚かれるのも無理はない。きっとお母さまからは何もお聞き及びではないのでしょう」

「父も母も、私は知りません」

「あなたのお父さまは国王陛下、そしてお母さまは国王陛下の愛妾であったのです。ところが、宮廷で政変が起き、お母さまは正妃に命を狙われました。まだ幼いあなたを抱いて、王都を後にしたのです」


 立ち上がったシャリドラ侯は、私の肩に手を置いて少しだけ引き寄せた。

 ティリスは青ざめた顔色で――それでも気丈に唇を引き締め、こちらを見ている。

 シャリドラ侯の視線が、領主さまの上で止まった。


「領主であるあなたは、彼女の母君をご存知だったのではないですか」

「……確かにミナを養育していた司祭は、そのようなことを仄めかしはしました。ですが、それは酒の席でのことでしたし、その時には既にその……愛妾だったという方は亡くなっていらしたのです。それにまさか、あなたの探していたのが、国王陛下の隠し子だなどとは」

「いくら手の内にあるとはいえ、一介の司祭が、陛下のご落胤だとは到底口に出来る訳がないでしょうね。母君も、詳しい事情は伝えませんでしたでしょうし」

「それならば、私が知らずとも仕方ないでしょう!」

「そうですね。もしもあなたがロザミネア殿下を隠し駒として手の中に隠しておきたかったのでなければ――ええ、一介の司祭には察せたことが、あなたには察せなかったというだけのことですね」


 どちらでも良さそうな声色で言い切ると、シャリドラ侯は領主さまに背を向け、軽く私の肩を押した。


「まいりましょう、ロザミネア殿下。この土地にもう用はありません。もちろん、あなたの不遇はこの様子からお察しいたします。原因となった者達には相応の罰を与えますが――今は一刻も早く王都に戻り、父王陛下のご心痛の種を取り払って差し上げたく。ご心配なく、ロザミネアさまには私がついております」

「――相応の罰ですって?」


 甲高い声が、背後から投げかけられる。

 振り向かずとも誰の声か分かる、聞き慣れた声が。


「ティリス、やめろ。黙っていなさい」

「いいえ、お父さま。これが黙っていられる訳がありませんわ。私がミナの不遇の原因だなんて、相応の罰だなんて、こんな無茶な話はありません。私たちは、その娘が誰なのかも知らなかったのよ。ただ、その娘が生き延びられるように、日々の糧と休む場所を与えていただけじゃないの!」


 ティリスの必死の声音に後ろ髪を引かれたのか、シャリドラ侯が一瞬足を止めた。

 だけど、国王から与えられた任務に身を捧げる彼の意思は強靭で、すぐに私の肩を抱いて前に進もうとした。

 だから――立ち止まったのは彼じゃない。

 彼に逆らって足を止めたのは、私の意思だ。


「……ロザミネアさま?」

「待ってください、シャリドラ侯。あの人は――ティリスは」


 ちらりと肩越しに振り返る。

 蒼白な顔で、だけど強く私を睨み付ける、ティリスの姿が目に入った。

 沈黙の中、私たちの視線が絡む。


 私は一瞬考えて、ふと唇をほころばせた。


「――ティリスは、私の義姉あねなのです。彼女に罰だなんて、とんでもないわ」

「ミナ――」

「ねえ、ティリス。私たち、姉妹よね? 血は繋がってなくとも」


 ティリスは見開いた目をこちらに向けているだけだ。

 否定も肯定もしない、凍り付いた表情に、私は晴れやかに笑って見せた。


「ティリスを置いて、私一人で王都へ行くのは寂しいわ。一緒に来て欲しいの、あなたに」


 さっとティリスの頬に朱が差す。まるで夕焼けが照らしたように。

 頬に立ち上るほどの怒りを抱えたティリスの姿は、たとえようもなく美しい。

 ええ、他の誰よりも。

 

 ――きっと、私よりも。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 黙って鏡をのぞき込んでみる。

 映っているのは、上等のドレスを身に纏い、重々しい椅子に座る私。

 そして、私の後ろで、私の髪を結うティリスの姿。

 領主さまという庇護者を失い、少しはやつれるかと思ったのに、相変わらず大輪の薔薇のような煌びやかな女だ。


 私は、鮮やかなべにののった唇をゆるゆると吊り上げる。


「ねえ、ティリス。まさかこんな田舎臭い髪型で、可愛い妹を社交界の中心に出させるつもりなの?」


 ティリスに侍女のまねごとなど出来る訳ないと分かっていて、やらせているのだけれど。

 もちろんティリスも、私が無茶を押し付けていることを知っている。知っていても、ティリスは黙って従う。従うしかない。

 彼女のこの華奢な背に、領主さまをはじめとした館の人々の命が乗っているのだから。


 王都に馬車が着いた途端、私の生活は一変した。

 私が国王の実の娘であることは、シャリドラ侯の推測した通りだった。

 大司教が少し見ただけで、私の役割は分かってしまったのだから。

 私の魔術は国を守るためのもの――私は国王の血を引く者。


 それが分かっただけで、私には、ティリス以上の魔術が操れるようになってしまった。

 もともと、役割を知らないから使えないだけだったのだから。


 王女である私に逆らえるものは、今や誰一人としていない。

 どんな無茶も我儘も、私の望みであるというだけでかなえられる。

 誰もが私の言葉を聞き入れる――私を連れ帰ったシャリドラ侯も、あれほど私を蔑んだ義姉のティリスでさえも。


 今夜は私の帰還を国王陛下がお祝いくださると言う。

 父である国王陛下とはまだ少しぎこちないが、それでも確かに私を慈しもうとしてくださる。


 当然のことだ。

 私がいなければ、この国はきっと亡びるしかないのだもの。


 黙ったまま私の髪をほどき、ふたたび結い上げるティリスの姿を、私は鏡越しに眺める。

 かつて彼女が私にそうしていたように。


 項垂れるティリスは美しい。後れ毛がはらりと耳元を滑り落ちる。そのうなじの白さ。

 もしあのままあの街にいたならば、きっといつかは彼女に相応しい良い夫を迎え、そして領主さまの後を継いでいたに違いない。その魔術の才をもって、よく街を守っただろう。

 もしかしたら、本人の言っていた通り、シャリドラ侯の奥方になったのかもしれない。

 彼女の美しさは確かなものだったのだもの。


 だけど。

 ええ、だけど、そうはならなかった。

 ティリスには、そんな自由は与えられなかった。


 この私が奪ったのだ。

 いつだって彼女に虐げられ、出鼻をくじかれて、煮え湯を飲まされていた私が。


 薄桃色の濡れた唇を見下ろして、私はそっと息を吐く。

 見えない檻に閉じ込められたティリスは、あまりにも可哀想で、ついつい笑ってしまいたくなる。


 さあ、これから何をしてやろうかしら。

 殺したりなんかしない。けして手放さない。外にも出してやらない。

 下僕のように扱って、詰って、プライドをずたずたに引き裂いてあげる。

 これまでに私の受けた、すべての屈辱を晴らすまで。


「ああ、そうだわ、ティリス。卵を持ってきてちょうだい」

「卵……?」


 不審げなティリスには答えず、私はただ望みだけを口にする。

 戸惑っていても、彼女は私の言葉に逆らうことは出来ないのだから。


 あのどろりと纏わりつく粘りで彼女の美しい顔を汚す瞬間を想像して、私は静かに唇を歪ませた。

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