七月になったら。
少し前に、こんな噂が学校中に流れた。
『夏になると、秋元先輩のおばけが出る』と。
秋元先輩とはこの中学に通っていた女子生徒のことであり、数年前のある夏の日に、自動車との接触事故を起こして亡くなってしまったのだという。
また秋元先輩は受験を控えていたために、志望校を受けられなかった無念さから、今でも彼女の命日が近くなると、三年生の女子生徒に取り憑いてしまうというのが、この噂の内容だ。
しかしこれは時期的な噂の一つといおうか、すぐに秋元先輩の『あ』の字さえ聞くこともなくなってしまったのである。あれだけ「うそー、こわーい」とぶりっ子ぶっていた女子たちも、今では別の心霊話に花を咲かせているという始末だ。
勿論おばけが夏の風物詩だということは解らなくもないが、私にはまったくもって彼女たちの思考回路が読み取れなかったというのもまた事実。
そもそもにして、おばけという輩は年中無休で私たちのそばにいるものなのだ。ただ私たちの中には彼らの姿が見える人が少ないというだけで、おばけたちはおばけたちなりに、やりたい放題の毎日を送っているのである。
例えば「すみませーん。俺の右目を知りませんかー?」と自分の目を探してみたり、「妻に別れを告げられてしまった」と嘆いている超熟年離婚の危機が迫った武士が、恋愛相談に駆け込んできたりもするし。片やバカップルがいちゃつきながら浮遊していたり、片や変態親父のおばけがナンパに出かけようとしていたり……。
本当にやりたい放題なのだ。とりあえず『生きている人間にバレなければ、それでいいじゃん』程度の勢いで過ごしているのはありがたいのだが、私たちおばけが見える人にとっては、これがかなりウザイ。おばけが見えるっていうだけで同類扱いをされ、挙句の果てには時、場所選ばずに話しかけられる始末である。
それは『無念の死を遂げた』らしい秋元先輩とて例外ではなく――。
「うわっ、羽月。あのゴミ箱の裏にゴキブリが隠れているじゃん! このクラス半端なくきたいないって」
他のおばけよりもウザイくらいの勢いで、私に話しかけてくるのである。
それも取り憑くというおまけ付きで。
私こと一村羽月は、幼い頃からおばけの類が見えていた。
どことなく彼らが私たち生きている者と違うということは、幼いながらに解っていたつもりだ。けれど、それが明らかに生きている人間と違うというのが解ったのは、恥ずかしながらも小学生になってからだった。
自分で言うのもなんだが、私は『超』が付くくらいの御人好しで、おばけだろうが何だろうが話しかけられたら見放せないタイプなのだ。
そんなこんなで友達(勿論生きている人間)と話している最中におばけに話しかけられ、仕方なしに彼らとも受け答えをしていたというのがことの発端といおうか。
友達にはやっぱりおばけなんて見えていないわけで。となれば傍から見れば空気に話しかけているわけで。そんな人間を見たらどう思うかなんて、そんなことは知れている。
「うわ。こいつ頭おかしいんじゃね?」
っていう扱いになるのは、まあ当然といえば当然の結果というわけだ。
ともかくそんなことばっかりをしていた私は、いつしか『ちょっとした危険人物』という、嬉しくもない位に昇格していたのである。それも本人で気がつかないうちにという、まあお決まりのパターンで。
以来友達が限られてきたというのは、言うまでもないだろう。私の方もおばけと話すことを自重しているといえばしているのだが、やっぱりそれも時と場合による。
とくに私に憑いている『秋元先輩』こと秋元琉紀は、扱いにくいったらありゃしないのだ。勉強をしている最中に話しかけてくるのなら、まだいい方。時たま「ここの答えはこうだってー」と言いながら、解いた問題の上から落書きをしてくる始末だ。勿論二次関数の答えがネコ耳少女なわけがない。
また、こんなこともあった。
この間なんか琉紀が萌え系の深夜アニメを勝手に見ていたらしく、丁度トイレに行っていた母親がその現場に遭遇。リモコンが勝手に浮くわ、テレビが勝手につくわで『ポルターガイスト現象だ!』とか何とかで、近所迷惑な悲鳴をあげるというプチ事件が発生したばかりだった。
そんなわけで、こういう非常に扱いにくいオタクなおばけが、噂どおりに三年の女子生徒に取り憑いてくれたわけである。
ただ違うことといえば、夏ではなくて噂が流行った六月の頭に憑かれたということ。そして――。
ようやく「来週にでも梅雨明けが発表されるでしょう」と、お天気お姉さんが言っていた。
それを言うだけあってか、今日は陽射しも強く晴れ渡っており、どことなくキラキラしたような雰囲気が漂っている。
眼下に広がるグラウンドをぼんやりと見ていると、程なくして誰かに肩を叩かれた。振り返ってみればそこには琉紀がおり、彼女はニッと笑うと宙を漂い始める。
「今日の給食、最高の組み合わせじゃん。羽月の嫌いなしめじサラダにグリーンピースご飯とかさ」
「何が最高だって言うの? ああいうのは世間一般では最悪って言うんだよ」
「ははっ。でも、私も給食のグリーンピースご飯は嫌だったな。だってあれ、ものすごいパサパサしているんだもん」
ほーんと、あれはいただけないなぁ。
琉紀はそう言うと腹を抱えながら窓の外に出て、くるんと一回転した。それに合わせて二つに結わった髪も制服も揺れる。
「それでも律儀に食べている羽月の表情っていうの? あの眉間に皺を寄せながらも懸命に食べている姿が、何か笑えるんだよねー」
そしてそんなことを言いながらけらけらと笑っている琉紀に軽く怒りを覚えつつも、私は「あー、そうですか」と軽く受け流してやった。
っていうか、まるで他人事なのが目に見えているではないか。こいつってやつは。
「本当、あんたの口にあのグリーンピースを押し込んでやりたいわ」
「ムリムリ。だって私はおばけだよ? ちょーっと消えることだって簡単なんだから」
琉紀はチェシャ猫のように笑いながら、私の前で寝そべった姿のまま浮いている。
「あんたって、どうしてこうも人をおちょくるのが上手いんだろうね。尊敬するよ、マジで」
いっそそのまま、地上へと落ちてしまえよ。
ふとそんなことを思いながら、私は大きくため息をついた。どうせ落ちたところで、地面をすり抜けるのが関の山だろう。
「はーづき。また誰と話しているの?」
するとまた背後から声をかけられた。琉紀に気をとられていたため気がつかなかったのだが、案外近くに声の主である持木結の姿がある。
私は「あー、例のアレ」と力なく手を振ると、結に向かってそう言葉を垂れ流した。そしてそのまま、窓の前にあるロッカーに突っ伏してやる。
「本当に羽月はおばけにもてるんだね」
小さな足音を立てながら隣へやって来ると、結は感心したようにそう呟いた。ちなみに結は私がおばけが見えるというのを知っても唯一引かなかった子で、いわゆる親友と言う間柄なわけだ。そうでなければ、こんな話をするわけがない。
だが彼女の言葉に小さな絶望を感じると、私は口の端を引き攣らせながら小さく首を振った。
「いや、もててたら堪んないって。だって相手は女だよ、女」
「なぁに? お相手は噂の秋元先輩?」
「それだったらクラスのみんなも笑ってくれるかね。マジで」
いや、実際に秋元先輩であるのは確かなんだけどさ。
心中のみでツッコミをいれていると、私の隣から窓の外を覗いていた結は、長いポニーテイルを揺らしながらへへっと笑った。
「笑うどころか、更に引かれるんじゃない?」
「だよねー。そんなビックリな展開は必要ないか」
みんな怖い話が好きなのに、実際にそういうものが見えるとなると、頭がおかしい扱いだもんなー。
日本人形みたいな面立ちを苦笑にゆがめた結は、私がそうぼやくと小さな声を上げた。
「まあね、人間ってそんなものでしょ。幽霊とか妖怪とかUFOとかいると思っているクセして、そういうのを見たって言われると疑っちゃうし。でもそれって、普通じゃありえないことだからでしょう? 人間ってありえないことには、とことん弱いものよ」
「でもそれって、何か矛盾しているじゃん。見えていない人の現実逃避だよ」
私には見えていないけれど、おばけがいるんなら妖怪だって宇宙人だっていると思うし。それを認めたくないんなら、最初から興味があるように話さなければいいじゃん。
実際におばけとかがいてほしくないのにそういう話をするのって、彼らに対して失礼だと思う。
私は結いの言葉に眉根を寄せると、窓の外をじぃっと見つめてやる。そこには相変わらず楽しげに浮かんでいる琉紀がいて、「はーづきぃ!」と呼んでくる声に脱力感さえ感じてしまった。
まったく、人の苦労も知らないで……。
日向に出た腕がジリジリと焼けていくのが、どことなく感じられる。
「世間って難しいね」
私がそう呟くと、結は困ったように笑いかけてきたのであった。
しばらくぼんやりと外を眺めていると、誰かがパタパタと私たちの後ろを駆けてゆく音が聞こえ、徐々に遠ざかってゆく。また、どこかから聞こえてくる蝉の声は夏の訪れをより強く感じさせるようで、暑さに拍車をかけているような気さえしてきた。
すると先ほどまで苦笑いを浮かべていた結が、急に思い出したという風に私のほうへと顔を向けてきて、
「そういえば羽月はさ、来週の日曜日とか暇だったよね」
その言葉にうーんと小さな声を上げると、私は一度結に向けた視線をまたグラウンドの方へと向けた。
来週の日曜といえば夏休みが始まってすぐ、か。
今だもって夏休みの予定が入っていないほど暇な私は、結の言葉にすぐさま頷く。
「確かに暇だけど」
「じゃあさ、羽月にうってつけのイベントがあるんだけど、お願いだから出てくれない?」
クラスのみんなでやろうって、今人数を集めている最中なのよ。
黒目がちな双眸で私の顔色を窺ってくる結に、たまには何か頼まれてみようかなと心中で呟く――が、
「別に良いけど、その『うってつけのイベント』って何なわけ?」
まさか肝試しとか、そういう類のものじゃないだろうな。
私にとっておばけとはそこら辺にいる人間も同然なわけだから、怖いとかそういうことはない。というか、怖かったら琉紀に取り付かれて平気でいられるわけがないし。
ただ、そういう奴らがいる場所っていうと、私みたいにおばけが見える人間は恰好の話し相手にならざるをえないんだぞ。解るか、あのマシンガントークをくらう辛さを。しかも一緒にいる人が怖がるから、それに返答をしちゃいけないという我慢の辛さを!
しかしそんな私の心情など露知らず、
「勿論、肝試しに決まっているじゃない。夏といえばこれしかないでしょ?」
とか、そんなことを可愛い笑顔で告げてくる。
「ちょっ、オイコラ持木さん。あなた私の事情を知っていますよね? えぇ?」
「いやぁ。だって人数確認をするって言っても、結局は全員強制参加だし。何より羽月がいれば雰囲気も出るじゃない」
こんな時じゃないと、英雄になれないでしょう?
明後日の方向を見ながらそう言ってくる結に、私は全力で否定を示した。
大体これでも夢見る女の子だ。「ヒロインじゃなくて英雄かよ!?」という実にどうでもいいところに、思わず目がいってしまう。
とはいえ。もう後には引けないというものか。
昼休み終了のチャイムが鳴ると同時に「じゃっ、よろしく頼んだよ英雄!」とウィンクをしつつ、結は自分の席へと戻っていってしまう。
あとに残された私を見ていた琉紀は、窓の外で腹を抱えて笑っていた。
マジでいつか、成仏させてやる。
ところで、どうして琉紀は成仏しないのだろうか。
そりゃあこの世に思い残したことがあるからなんだろうけど、それにしたって琉紀はポジティブすぎるし、特別何かにこだわっているという様子もない。噂どおりだとすれば受験とか志望校に未練があるような感じだけれど、授業中は私に限らずクラスメイトにまで悪戯の手を伸ばしているし、高校の話をすれば「よくそんなに勉強したがるね」と、何故か頭を疑われる始末だ。別に頭を疑われるのは日常茶飯事なので気にしないことにしたって良いんだけど、でも心配してやっているおばけ本人に、っていうのが気に食わない。
……まあ、とりあえずそれら全てを考慮するとしても、琉紀がこだわっているものは勉強とかじゃなくて、もっと他にあるような気がしてならないのだ。ただ、その別のものというのが何なのかが解らない。
かなりオープンな性格からして隠そうとしてはいないのだろうが、一体琉紀に、何があったのだろうか。
五限というもっとも気の抜ける授業の最中、私はそんなことばかりを考えていた。
心配の本である琉紀は、相も変わらずクラスメイトの机の上に座ったり、筆箱を落としたりとやりたい放題やっている。
特に居眠りをしている男子なんかは、目を覚まさないと本格的に琉紀に遊ばれるぞと思うのだが、熟睡している彼にはそんな心情などまったくもって届かなかった。ニヤニヤといかにも「悪戯楽しい!」オーラを放っている琉紀は、男子の腕ごと筆箱を机の隅へと追いやっていく。
やがてそれが大きな音を立てて床へと落ち、すると案の定、みんなの視線が飛び起きた男子へと注がれることとなった。まあ、当たり前か。
いかにも「やってしまった」と顔に書いてある男子は、散乱した筆記具を筆箱に詰めると、急いで席へと戻っていく。すると、
「お前、授業中に寝たりするから、秋元先輩の怒りに触れたんじゃねぇ?」
「そうそう。貴重な勉強時間に居眠りなんてよ。先輩も怒るに決まってんじゃん」
という、噂を掘り返したような話が教室中を駆け巡っていった。いや、秋元先輩っていう点では間違っちゃいないけどさ、怒りには触れていないと言い切っていい。
だがそんなこんなで教室内はあっという間に騒がしくなり、それは先生の声さえ掻き消してしまうほどに盛り上がってゆく。
するとその話を聞いていた琉紀が、教室内に視線を向けたまま私の方へと戻ってきた。足取りはいつもと変わらない。
「うーん。私って何気に有名人じゃない? 今ならサインを書いてあげたいくらいだよね」
でも残念だなぁと言うと、彼らを一様に見渡し、琉紀は微苦笑を浮かべながら頭を掻いた。教壇では先生が、やっぱり大きな声を上げている。
「私、別にそんなことなんか思い残していないんだよね。勉強なんか嫌いだったし、高校行く気すらなかったし」
カランという小さな音が、机の上から聞こえてくる。それが机の上に座った琉紀の指が、私の筆箱についたキーホルダーに触れたことだと気づいたのは、大分後になってからだった。
琉紀は相変わらずの笑みを浮かべたまま、視線を私の方へと向けてくる。だが彼女はその表情を悪戯っぽい笑みに変えると、妙案だという顔つきで口を開いてきたのだった。
「そーうだっ。羽月には特別に、私の本当の死を教えてあげようじゃないか」
先生の怒号が、教室中に響き渡っていく。
まさかの出来事っていうか、ともかくそんな思いでいっぱいだった。
何がまさかかって言うと、学校中で流れていた噂の真相が実は違うっていうことと、そんな思い出したくもないようなことを琉紀が教えようという、その考えの両方だ。
実は『あの琉紀が、勉強で悩むタイプか?』という疑問は抱いていたし、高校の話をするだけで頭を疑ってくるくらいなのだから、勉強に対して真面目ではなかったのは一目瞭然だ。だがそう思う反面で、学校であれだけ囁かれているのだから無理をして明るく振舞っているのかもしれない、とも感じていた。
勿論その噂と真相が違うからといって、私が琉紀に抱く印象はそれほど変わることはないのだろう。きっと琉紀は今までどおりだろうし、私もそれに今までどおり接するだけだ。変化っていうのが今後に良い印象を与えないということは、この短い人生経験からも察することができる。
それに私にとっておばけとは、生前が幸せだったとか不幸だったとかいうのは、特別関係がないのだ。
だってそうだろう。一度死んでいて、それを今『死後』っていう世界で再出発の準備をしているわけである。幾ら無念に散っていったからって、彼らがここで満足をしているのならそれで十分じゃないだろうか。
今を嘆くおばけだったら対応も少しは変わってくるかもしれないが、そうじゃなければ生前なんて特別視しなくても良い。
まず最優先しなきゃいけないことは、彼らの満足や充実だ。そして成仏をしてくれることを祈ればいい。
ただそんな考えだからこそ、琉紀の考えが意外だったのだ。
自転車の籠に鞄を突っ込むと、スタンドを外してペダルに足をかける。私が勢いよくぺダルを踏み込むと同時、荷台に琉紀が飛び乗ってきた。もしもおばけが見える警察官がいたら、にけつで捕まりそうだ。まあ、実際には重みなんてないんだけどね。
自転車置き場から校門までは軽い上り坂になっていて、私はそこを立ちこぎで懸命に登っていく。わきにある桜の木からは蝉の鳴き声がひっきりなしに聞こえていて、額に浮かんだ汗が更に増すかのような感じがした。蝉の声はこういう時に聞くもんじゃないな。
それから校門を出、いつもの通学路に出ると、蝉の声も遠退いていった。隣接する公民館の駐車場を突っ切っていくと、ほんの少しのショートカットになる。私はそこへスピードを落さずに入っていくと、後ろで琉紀が歓声を上げた。正直にいうと、私の運転は乱暴なのだ。
「羽月。五時間目にした話、覚えている?」
そしてそれは唐突に訪れた。
私はやっぱりスピードを落さずに公民館から出ると、目の前にいた男子を一人抜き去っていった。それから「まあね」と頷く。
「本当は言うべきか迷うんだけどさ。でも嘘が広まるよりは、本当のことを知っている人がいた方が良いのかなって思うんだよね」
セーラー服の襟が、スカーフが、風に揺られてパタパタと小気味良い音を立てている。
大通りに出ると「そこを右に曲がって」と、琉紀は言ってきた。これじゃあ、遠回りになってしまうじゃないか。と、信号待ちをしていた私はちらりと琉紀の方を見やるが、彼女は笑っただけだ。視界の端で信号が色を変え始める。
しょうがないなと思った私は息を一つ吐き出すと、琉紀に言われたとおり、横断歩道を渡ってから右折していった。もう、なるようになればいい。
そこからまた全力で自転車をこいでいくと、すぐのところに歩道橋が現われてくる。すると琉紀は自転車から飛び降り、宙を舞いながら私の隣へと並んできた。にっこりと笑って、その先にあるものを指してくる。
「はーい、ここはどこでしょう!」
「……琉紀の事故った所じゃないの?」
「おーう、さすが羽月。勘が良いなぁ」
「てか、普通そう考えるでしょう。そうじゃなきゃ、なんでこんな所に来なきゃいけないわけ?」
「確かにごもっともだね」
くすくすと笑うと、琉紀はその場に立ち止まった。私も急いで自転車を止めると、今度はきちんと歩きながら琉紀が私の隣までやってくる。
「じゃあ羽月に一つ、真実を教えてあげようじゃないか。……んじゃあまず、あの歩道橋を見てみなさーい」
声高らかにそう言うと、今度は歩道橋を指さした。というか、自分の死地に赴いてこのテンションって、こいつの神経を疑いたくなるんですけど。
しかしそれを口には出さずに歩道橋を見ると、私は「見た」とだけ呟いた。琉紀は面白そうに、ふわふわと前へ進んでいく。
「この歩道橋の意味が、君には解るかな?」
「意味って、そりゃあ人を安全に反対側の歩道へと渡らせる――」
「そうッ! そのとおり!」
ちょっと待てコラ。聞いておいて人の話を途中で打ち切るなや。
「つまり歩道橋っていうのは、人の安全と希望が具現化した物だっていうわけよ」
とはいえまったく気づいていない様子の琉紀さんは、ご丁寧にもそんなことを力説してくれました。っていうか安全は解るけど、希望って何?
「じゃあ、もう一つ質問。この歩道橋を渡るためには、まず何をしなきゃいけないかな?」
「えー」
私は琉紀から視線を話すと、歩道橋の方へとそれを向けた。渡るために何をしなきゃって、そりゃあ階段を上って、そんで――。
「はーい、先生。なんか急にお腹が……」
「ふふっ。仮病は駄目だぜ、お嬢さん」
不敵な笑みを浮かべて私の肩をがっしり掴むと、琉紀はキランと瞳を輝かせた。
まさか、まさかだよな?
「そう。歩道橋を渡るためにはまず、階段を上らなきゃいけない! すなわち女が渡ろうとすればスカートが捲れるかもしれないという、男心をくすぐる淡い期待と希望がそこには宿っているに決まっているだろう!」
「ふッざけんな!! っていうかアンタ、女でしょう!?」
「この胸の高鳴りに、男も女もないのさ」
「気取ってんじゃないわよ!」
つまるところ、こういうことだった。
今から八年前の、丁度夏休みに入ったという頃合に、琉紀は統一テストの結果を貰いに――ついでに部活へと顔を出しに学校へ行っていたのだという。統一テストの結果は想定内程度に悲惨だったらしいが、特別勉強に興味を持っていない琉紀は、当たり前の如く気にしなかったのだそうだ。勿論志望校なんてアウトオブ眼中である。
そんな琉紀の帰り道は、この歩道橋のある道をまっすぐに進んでいくルートなのだという。そこを普段どおりに歩いていたらしいのだが、思いもよらぬ美人(セーラー服つき)が歩道橋へと上がっていったのだから大変。
琉紀曰く、『セーラー服とパンチラの組み合わせは、世界最強の萌え』なのだそうだ。
そんなただの変態思考に突き動かされた琉紀は、彼女のスカートが捲れるという淡い期待に駆られ、車道の方へと寄っていき――その結果がこれ、というわけだ。
「いやぁ、マジで参ったよ。ベストポジに着いたと思った矢先だったもんなー」
はははと笑いながら、琉紀は呑気にそう言ってのけた。
「でも本当にショックでさぁ。だってあの子ってば、スカートの下にハーフパンツをはいているんだもん」
「てかそっちがショックなのかよ、ド変態が」
「ふふっ。変態だなんて、そんな褒め言葉――」
「褒めてねぇよ」
自動車が数台通り過ぎていく。
これなら真相なんて知らなきゃよかったと、少し心が重くなった。
結局琉紀が成仏していない理由はなんなのか、私はその時に思い切って聞いてみた。
琉紀はその問いにほんの少し考えると、
「だってさ、予想外の歳で死んじゃったし。もうちょい萌えとか青春とかを満喫したいわけよ」
とか何とか言っていた。
それから小さな理由として、「彼氏が何をしているのかも知りたい」というのもあるらしい。というか琉紀に彼氏がいるということに、私は多分一番驚いた。まあ大人しくしていれば、確かに清楚で可愛いんだけどさ。
ただこんな過程があったが故に、私も琉紀に条件を出されたというのは、当然の結果ともいえよう。
そんなことを思い出しながら、私は夕暮れの道を歩いていた。
今日は『クラス全員強制参加』という名の下で行われる、夏休み最初のイベントの肝試し大会だった。
どうせおばけに散弾銃並みの世間話を振られるのだろうなという諦めは、もう強制参加と聞かされた時点で悟っていた。とりあえず終わるまでおばけをシカトしていれば済む話で、奴らのグチはその後にでも聞いてやろうと思っている。そうじゃないと人間の方がビビリだして、最悪泣き出したりして手に負えなくなるからだ。
私は白いワンピースを揺らしながら、てくてくと夕陽に向かって歩いていった。勿論その後には琉紀がついていて、
「今日くらいは大人しくしていなさいよ」
「嫌だよ、そんなの。だって涙ぐむ顔って最高の萌え要素じゃん」
そんなことを言いながら満面の笑みを浮かべて、私の周りを飛びまわっていた。
『私が成仏するまで、羽月の所にいさせてね』
こんな条件を飲み込んだ私も、結構変な奴なのかもしれないけどさ。
そのおかげで、もうしばらくはおばけに取り付かれる生活が続きそうだ。
手を振ってくる結に、私たちは駆け寄っていく。
おわり