第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その八百七十三
―――『彼』はシドニア・ジャンパーが、初めて感情を見せてくれたことに安堵した。
けっして英雄にはなれそうにない自分が抱いた野心、それを拒まないから。
彼女もまた野心家ではあるのだ、邪悪な野心家であり。
自分と同じく、この世の中に君臨する秩序が嫌いなのだ……。
「契約は、決まりだね。オレは、アンタのために働くよ。アンタは、何を見せてくれるんだ?」
「この『西』に派遣された、無能な帝国兵たちから給与を吸い上げる」
「ほう。そいつは、すごい……だが、どうやって?」
「そこまでは教えてやらん。私の手駒になって働くことで、君は学ぶのだよ、マリウス」
「マリウス、マリウスか」
「気に入っていないようだ。両親からもらった名前が嫌いかな、ハーフ・エルフの少年よ」
「まあ、ちょっとは嫌いだね。そもそも、帝国軍とつるむというのなら……」
「新しい名前をくれてやろうか。私の傭兵として生きる君に、相応しい名前を」
「……うん。欲しい」
「知っていたとも。だからこそ、私は君に名づけるんだ。『ノヴァーク』」
「意味が、あるね。たしか、『新参者』」
「『新しい者』だよ。君のようなハーフ・エルフにも、世界はやがて扉を開く」
「帝国は、それを求めちゃいないだろ?」
「世界というものは、若い君の瞳に映っている以上にフクザツなものということさ。私の今の契約主は、『奴隷貿易の女王』」
「ライザ・ソナーズ。『第九師団』の、大幹部だ」
「中佐殿だよ。愛しい貴族のご令嬢でもある。彼女はファリス帝国の貴族でありながら、ファリス王国の貴族でもある」
「どういう意味なんだ、それ?」
「女には複数の顔があるという意味だよ。ファリス王国の時代においては、亜人種と王国貴族のあいだにも絆があった。帝国と名乗り出す前は、じつに混沌としていて……北方野蛮人とも同盟を組んでいる。ソナーズ家の姫君は、その旧き時代を奪い返したがっているんだ」
「どうやって?時間を逆行するのは、不可能だよ」
―――引き寄せた椅子の背もたれに、抱き着きながら座るノヴァークがいた。
間抜けな若者の態度を取ることも、シドニア・ジャンパーは許す。
不遜な態度を取れることは、詐欺師にとって必要な技巧になるからだ。
心の底では怯えているのに、それを隠すことだって……。
―――これも練習であり、面接なのだ。
どれだけの力量を発揮するのか、推し量らなければならない。
選りすぐりの傭兵軍団の一員に向かえるほどの、性能がノヴァークにあるのか。
今のところは合格だ、怯えながらも強がれている……。
「なあ、教えてくれよ。ボス」
「女として生まれた事実を、使ってさ」
「……つまり。あれ、だ。権力者と……結婚政策」
「いい勘している。最高の政略結婚をするのさ」
「皇帝に嫁ぐことを除けば、皇帝の息子たちってところかな」
「どんな魅力的な乙女を選べたとしても、私の雇い主の血筋と政治力には首ったけになるよ。皇太子レヴェータ殿下の心は孤独であり、その点について、ライザ・ソナーズ中佐は心得ておられるのだからな」
「次の皇帝のお后様になって、帝国を支配しようっていうのか」
「どうだ。時を戻す方法がないとは、限らない。乱世の物理法則というものは異常なのだよ。下剋上どころか、時代の改変さえも成し遂げられる。レヴェータ殿下は、君と似ているよ。父親について、かなりのコンプレックスの持ち主だ」
「オレは、父親を殺して地位を奪おうとはしない。レヴェータ殿下とやらが、どんな考えを持っているかは知らないけれど」
「殺すなんて、言っていないのに。気に入ってやれる態度だ。しかし、だ」
「なんだい、ボス?」
「その種の発言をするときは、恐怖しないこと。顔に出すな。出したいと判断した感情意外は。それが、君の武器になる。感情は、すべて、操るんだ」
「……コツが、あれば」
「呼吸をゆっくりと、深く。肩や手に力を入れて、意図的に脱力する。恐怖は心の内側にある。それから目を逸らすように、何かを見ろ。あるいは、何かを嗅ぐ。気温でも心拍数でもいい。何かを感じて、それに意識を向けるんだ。恐怖は意識を逸らす手段で、コントロールが利く」
「あんたも、そうだったのかな、ボス?」
「そうだ。経験則しか、私は部下に教えないのだよ」
「どんな経験を、してきたんだろう」
「君の想像が、及ばない深さと遠さだ。帝国軍から金を奪ったし、会計将校を何人も破滅させてきた。共食いだよ。ああ、色香も使った。美人で、知的なオトナの女というわけさ」
「それは、怖そうだ。いろんなヤツにとって、あんたは……『運命の悪女』」
「何度も聞いた言葉だ。私はその言葉を聞かされたとき、私自身の目的に応じて表情と態度を巧みにコントロールしてきたものさ。しくじったのは、一度だけ。殺されずに、左遷で済んだのも、実力の結果。私は姫君に助けられた。スカウトされ、協力者になれと。二つ返事だ。受け入れて、『西』にやって来た。姫君と、その夫となる殿下のために、強烈な軍資金を用意するために」
「……どこから、捻出するんだ?」
「この土地で指腹を肥やそうとしている帝国兵全員からだよ。『彼らで作る経済力そのもの』を、盗む。史上最大の詐欺をやり遂げ……姫君のための、軍資金を用意するだけの、刺激的なビジネスだ。楽しそうだろう、私のノヴァーク」




