第五話 『復活の聖女は、仮面の下で嗤う』 その十一
「……ただいま戻りました」
オットー待ちのオレたちに、彼はそのまったく元気のない言葉で帰還を告げる。この経営破綻ホテルへと戻って来るのが、彼には辛かったのだろうか。カレーはとんでもなく美味いのだから、それで心の苦しみを減弱することを選んでくれないかな……。
せめて、明るい微笑みで向かい入れてやるとしよう。
「おう、お帰りオットー」
「お帰りなさい、オットー。収穫はあったかしら?」
「……ええ。想像していた以上に、あっさりと出会えましてね……」
「それにしては、何か浮かない顔ね?」
「まあいいさ。店主、オットーにコーヒーを頼めるかい?」
「それなら、ついでに私とリングマスターの分も頼みますわ」
「えーと。うち、喫茶店じゃないんだけど……」
「君のカレーは、コーヒーにも合う」
「……違う。コーヒーが、カレーに合うのだ。見てろ、その違いを教えてやる」
よく分からないが、彼のカレーを愛する心に火を点けてしまったようだな。つまり、『主役』はカレーであるということを教えてくれるのだろうか……?
うむ。よく分からないが、コーヒーが飲めるのなら、それでいい。きっと、あの中年野郎は、とてつもない集中力をつかって、最高のコーヒーを入れてくれそうだな。凝り性なのも考えものだよ。
さて、飲み物の手配は十分だ。
オレはソファーをあごを動かして、オットーをソファーに誘う。
「まあ、座れよ、オットー。君は登山から戻って来たとき以上に疲れている」
「そうですね。ホント、凍りついた崖でも登るほうが、よっぱどマシです……」
なんだか疲れている。
『サージャー/三つ目族』にとって、同族と会うとは、それほどストレスフルなことなのだろうか。それとも、その氷商人が、特別にオットー・ノーランのストレスになるような人物であったのだろうか―――。
団長として、彼の上司として、その苦しみを聞いてやろうじゃないか。
「……何があったんだ?」
「それがですね。氷商人を探してみたら、すぐに見つかりました。彼は、ちょうど店に来ていたんです……」
「いいタイミングだったな」
「まあ、それはそうだったのですが……まさか、『彼』だったとは……っ」
「オットーの苦手な人物でございましたの?」
なんでか嬉しそうな顔をしているように見えるのは気のせいかな。レイチェルは、慈愛が由来しているとは思えない質の笑みを唇で表現している。いつにも増して目が細く見えるオットーは、頭を抱えていた。
「……ええ。なんというか、それが……端的に言いますと、私の『兄』でした」
「まあ。お兄さまでしたのね!」
「そうか……その、良かったな、オットー?久しぶりだったんだろ?」
サージャー族は離散している。滅びたとまで世間では噂されているが、実際には人間族の社会に潜入して、生き延びているとオットーは語った。
「……はい。軽く、14年ぶりぐらいです」
「君らの世界放浪も、大変な距離と時間になっているようだ」
「世界を旅するのは苦にはなりません。知的好奇心を満たしてくれますから」
「そうか、たしかに、この世界は不思議と発見に満ちているものな」
「ええ!この世界は素晴らしい……はあ。でも、まさか『兄』とは」
「苦手そうね!」
とても嬉しそうな声を、未亡人猟兵の唇が歌ったように見えた。まあ、ツッコミはスルーしよう。未亡人殿が楽しいのなら、別にそれでいいような気がするし……。
オットーは、うなだれていた首を上げて、オレを見つめてくるよ。助けを求めているのかな。でも、助け方がイマイチ分からない。オレ、未亡人の扱い方をまだ知らないんだ。
「……そ、それで。オットーよ。君の兄とは、どういう人物なんだ?」
「……名前は、トーマ・ノーラン。今は、『ボブ・オービット』と名乗っていますけど」
「……んー。ちょっと待てよ、それには聞き覚えがあるぞ……」
どこだったかな?
オレが考え込んでいると、カウンターの奥でコーヒーに集中力を捧げているであろう男が、オレの脳みそにしまい込んで忘れかけていた情報を語ってくれる。
「―――『ボブ・オービット上等軍曹』。帝国海軍でもやり手の男だよ」
「そうだ!……トーポ村……じゃなくて、港町トーポの漁師たちと組んで、亜人税を誤魔化している男だな!」
「あら。なかなか楽しそうな殿方じゃない。オットーのお兄さまは」
「……ええ。彼は、なんというか細かな金を稼ぐ才能に長けていまして」
「いいことじゃないか」
「はい。でも、その……性格が合わないのです」
そんなこともあるだろうな。オレも兄貴たちと毎日ケンカしていた。男の兄弟ってのは、純粋な仲良しにはなれない。どこかライバルであり、比較対象……四男坊のオレは、三人の蛮族どもにヒドい目に遭わされた記憶が多い。
それでも嫌いではないし、憎くはないんだがね。今も生きていたら、仲良くなっていたのだろうか―――竜騎士の才能は、オレが一番あったような気がする。それを、大人になって、彼らを打ち負かすことで証明したかったな。
「……それで。兄貴には伝えたのかい?『血狩り』のリスクを?」
「ええ。もちろん。でも、知っていましたよ。それはそうです。だって、彼は、『帝国海軍の上等軍曹』ですから」
「まあ、敵同士ね!」
なぜか嬉しそうなレイチェルさんがいるよ……。
「……そんなに悩むことはないんじゃねえかい?」
中年ケットシーの声が響いていた。
「ボブ・オービット上等軍曹は、なかなか出来た人物だ。亜人種たちにも優しいし、帝国の兵士どもからも人気がある。ちょこちょこ、店も出したりしている、町の名士みたいな立場だよ―――まさか、亜人種だとは知らなかったが」
「……ええ。順調な人生を送られているようで、何よりでした。だから、避難してくださいという言葉をも、拒絶されましたが……『血狩り』のリスクは、ご承知でしょうに」
「……例のフルーツの粉末を渡したか?」
「ええ。団長によろしくとのことでした」
「―――フルーツってのは、なんだい?フルーツとは、あのカレーに入れるフルーツのことだろう?」
フルーツの甘みがたっぷりの素敵なカレーを作る男、マルコ・ロッサが強い興味を示している。いや、もしかしたら、スパイとしての勘だろうか……。
どちらにしてもいい勘だな。
「……じつは、グラーセス王国に足を運んだときに、とあるフルーツの粉末と出会ったのだ」
「……ほう?どんなものだい、ソルジェ・ストラウスくん」
「本来は、肉にまぶして使うモノだ」
「すると、どうなるんだ?」
「肉が、本当に軟らかくなる。分厚く頑強な『食肉用ベヒーモス』の肉をも、軟らかくしてしまうのさ。老人でも食べられるほどにね」
「そいつはスゴいな。玉ねぎのアレか?『犬殺しの毒』みたいに?」
「あれを十数倍に高めたカンジだ」
「……魅力的だね」
「ロロカ・シャーネルの予測によると、タンパク質を過剰に分解する作用があるようだ。ちなみに、現地のドワーフ女子は、血で汚れた衣服にコレを使う。洗剤代わりにな」
「ほうほう。肉どころか、血までが融けるのか……ってことは。おい、まさか……『聖杯』を乗り切れるのか?亜人種と、人間族の血液凝固反応を?」
さすがはルード王国のスパイだな。ハナシが早くて助かる。
「そうさ。その粉末を『血の杯』に混ぜれば、血液凝固反応は起きない」
「なるほど。そういうアイテムも見つけてくる。賢しい男だな、ソルジェ・ストラウスくんは」
「料理にも使える……すじ肉だって、やわらかくフニャフニャにしちまうぜ?」
「そいつは興味深いね。今度、ルード王国の方に問い合わせてみるよ」
「そうしてくれ」
「それで。お兄さまはどうなさるのですか?……このままだと、戦うことになりかねませんけど?」
さすがに、その質問のときはレイチェルは笑ってはいなかった。むしろ、親身な心配のそぶりを見せる。母性か。そう言えば、レイチェルは母親なんだよね。ちなみに息子さんは郷里に預けている。
帝国領内だが……彼女たちの種族であるならば、見つかることもないだろう。見つかっても逃げればいいしね。あの子の安全については、なんの問題はない。問題は、ノーラン家のほうだな。
「もちろんオレたちとしては戦いたくはないが、状況次第では、それもありえることは伝えたんだな?」
オットーは、しずかに頭を縦に振ったよ。
「……帝国の旗色が悪くなるか、あるいは自分が追い込まれるまで、彼は逃げません。それに、部下も抱えているようですから。その……『狭間』の部下も多くいるようです」
「……彼らも『血狩り』で引っかかる可能性があるのか。オットー、彼とその部下は、オレたちのサイドにつく可能性はどれぐらいだ?君なら、この可能性も訊いているだろう?」
「……50%。状況悪化で他に選択肢がなくなれば、即日、寝返ってくると思います」
「フットワークの軽そうな人物だな」
だが。悪いことではない。よく訓練された『狭間』の戦士たち。敵とすれば厄介この上ないが、味方に出来るのであれば……十分な戦力だ。
「『狭間』はどれぐらいいるんだ?」
「兄の部下と知り合いだけで、22名。他にも、かなりの数がいるだろうとのことです」
「まあ、そうだろう。『狭間』でも身体的特徴がほとんど出ないヤツもいる。それならばバレることなく、人間族として帝国軍に入隊することは容易い」
下手すれば、親にも秘密にされている世代もいる……とくに、ハーフ・エルフ。彼らは帝国の人間第一主義が蔓延するよりも以前から、疎まれてきた。シスター・アビゲイルや、ヴァンガルズ兄妹のような、世間には身分がバレていないハーフ・エルフもいるのだ。
「……ええ。おそらく、今後は、入隊試験に『血の杯』が組み込まれるでしょうけれど。かなりの数の『狭間』が、摘発されるかもしれません」
「……帝国軍の弱体化につながることは喜ばしいが。彼らを帝国軍が『どう扱うか』に関しては心配だな」
まずは、拘束するのだろうが……それから先はどうだろうか?
最悪は、片っ端から処刑していくという状況だな。
帝国国内の世論が、何を望むのか……もはや人間第一主義は、帝国国民の総意になりつつあるようにも思える。オレはハイランド王国で見たぞ。帝国に軍事的な貢献までしてきた亜人種たちを、悪人のように追放し、財産も人生も破壊することを帝国人は許容した。
おぞましいほどの排他的な精神が完成しているな。何年も何十年も共に生きていたはずの隣人を、そこまで憎むようになっているということだ。老人も、病人も、子供も女も関係がない。人間族で無ければ、憎悪と迫害の対象になるのさ……。
帝国に息づく、排他的な悪意は加速している。今後、『血狩り』で逮捕された『狭間』の帝国軍兵士に対して、帝国人は最悪の選択をするようになるのだろうな―――。
沈黙するオレは、必要以上に暗い表情をしていたのだろうか。それとも、怒りの瞳は、冷たいのか。それとも熱量を帯びていたのか。よく分からない。
ただ、コーヒーは、オットーより先にオレの前に置かれていた。
「……マルコ・ロッサ?」
「まあ。コーヒーを飲みなって、ソルジェ・ストラウスくん。君が悩んでもどうにもならんこともある」
「……どうだろうかな。でも、ここってさ、カレーのにおいが染みついた、地味なホテルだけど。世界を変えるための戦いの最前線でもあるわけで……オレは、何のために戦うかを、ハッキリしておきたくてね」
「どんなのだい?君がこの戦いの果てに見る『夢』は?」
「……簡単なものさ。ガルーナにあったものを取り戻す」
なんでかね、右手の指が、物欲しそうに動くんだ。
バカみたいな力を帯びて、関節を腱で鳴らしながら、竜の爪が獲物を掴むときみたいに動くんだ。この手で、この指で、取り戻せと、オレの魂が歌うんだ。怒りと、飢えの曲調で。
「そこは君の故郷だったなあ、ガルーナの竜騎士くん」
「ああ、そうだ。ガルーナを、『誰もが生きていていい世界』。それを、力ずくで奪い返すのさ」
そいつがね、アーレス。
オレに怒りを与えてくるこの世界への、真に正しい復讐のような気がしているよ。
世界の真理だ。暴力で奪われたものは、暴力でしか取り戻せない。世界がオレからガルーナに吹く風を奪ったのなら、オレはこの世界の全てと戦ってでも、その風を取り戻す。これは、そういう戦いなんだよ、アーレス。
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