第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その六百三十一
―――プレイガストの涙は、ボコボコに殴られて腫れてしまったほほを伝う。
長期の牢獄生活から解放されたことで、だんだんと人並みの感情が戻りつつあるのさ。
歪んだ呪術師であったとしても、人の感情をちゃんと持っているんだからね。
ましてかつては誰かを愛せて、守ろうとしていた男でもある……。
―――失われた部分が、あまりにも重要すぎるから。
プレイガストはガタガタに壊れてしまっていて、彼の狂気を増大させていたのかも。
大切な家族を殺されるなんて、しかもそれが自分の発言のせいだなんて。
しかも、専門家として間違っていた答えでもないのに……。
―――波に漂う呪術師の男は、瞬きを繰り返す。
海水が目玉に触れてしまって、とてつもない激痛をもたらしたけれど。
そんな痛みよりも、ずっとずっと思い出の方がプレイガストを傷つける。
ここは思い出深い場所であり、愛する妻の生まれ故郷だった……。
「……お前、本当に。プレイガストかよ?」
「そうだよ……そうだ。これこそが、私の真実なのかもしれない。情けない。妻も子供も守れなかった、枯れ果てそうな男だ……」
「枯れ果ててはいる見た目だが。お前の、目は……」
「……ああ。今までよりも、ギラギラとしているんじゃないかね」
「そうだな。それほど…………」
「おかしなことかね?愛する妻子を殺された男が、その記憶を揺さぶる状況になったとき、殺して、奪って、我々を不幸にした者を……今までよりも強くにらみつけているのは、君に理解できないことだろうか、レビン大尉」
「……いいや。そうでも、ねえよ」
―――価値観なんてものは、感情と言葉のせいで揺さぶられてしまうものだった。
レビン大尉のなかにあった、絶対的な忠誠心がまた揺らついている。
ユアンダートという皇帝は、かつてレビン大尉の英雄であり神だったのに。
今では亜人種たちの持つ可能性を恐れ、同盟国を裏切った卑劣な男にも見えたし……。
―――自分が本当は気づいていたはずの『不安』を、学者に言い当てられただけで。
おぞましい報復を、その男にしてしまうような幼稚さを知った。
完璧な英雄でも神でもなくて、不完全な人間性をユアンダートに見つけている。
現実との遭遇さ、ユアンダートは帝国兵を幸福にしてくれるとは限らない……。
―――その種の事実は、帝国軍内ではタブー視されるし議論なんて不可能だが。
今はもうレビン大尉は帝国軍の呪縛から離れつつあって、悲劇の男の言葉に揺さぶられる。
『自由同盟』からすれば、悪くない傾向だよ。
清廉潔白な呪術師でもないし、不正て手を染めるクズ軍人だけれど……。
―――戦闘能力という観点から見れば、彼らの合流はとてもありがたい。
ボクたちはそろそろ、手に入れるべき時期ではあるからね。
対帝国の最大の戦力供給源、つまりは。
帝国軍からの離脱者を、我々の軍勢に組み込んでいくべき時期に入っている……。
―――マルケス・アインウルフや、メイウェイたちだけじゃなくて。
もっと大勢、名もなき一兵卒レベルで引き抜きが可能になるようじゃないといけない。
帝国軍の神話を切り崩して、『自由同盟』に賭けてもらえるほどの魅力が欲しいんだ。
ちょっとずつでは足りないかも、『自由同盟』の勝利は政治力を呼び込みつつある……。
―――政治というのは、『選択肢になる』っていう意味なんだからね。
帝国に疑問を持ってくれた人々に、『自由同盟』は道を示さないと。
政治力に対しての失望は、大きな離反を招きかねない。
帝国からの離反者の受け皿としてだけじゃなく、『未来』を見せられないと……。
「……ユアンダートは、この漁村を見つけたら。君らに何て言っただろうか」
「それは……陛下は、その……」
「分かっているだろうに。『殺せ』、『焼き払え』。怒りをぶつけるように命じるだろう。亜人種を生かしておけば、彼の命取りになるからだ。だから、ここで誰にも迷惑をかけていない者たちだって、容赦なく排除して、殺そうとするんだ。そして、奪い取る。君が、この漁村の統治者になって、人間族の移住者に、私の妻の一族から奪った家や畑を売りつける日だってあったかもしれないね。そして、君は感謝するんだよ。ありがとう、皇帝陛下」
「……うるせえ。オレたちは、略奪者じゃ…………」
「人間族の解放者だとでも、言いはりたいようだが。それは、それはね。私からすれば、そして、虐殺されて奪われる側からすれば……あまりにも、ムチャクチャな言葉だよ。弱肉強食なのが、この世界の掟だとしてでも……死者は、祈りと、呪いを遺す。傲慢さはね、やがては自身のもとへ戻ってくるものだ。皇帝ユアンダートが、呪術を嫌うのは。当然だよ。無数の呪いを、すでに背負って……悟りつつある。私の言葉は、無視できないとね」
「……陛下は、お前なんて、虫けらごときにしか思っちゃいないさ」
「いいや。覚えているよ。忘れられはしない。忘れたとしても、思い出させてやるから、悲しくもないし、悔しくもないよ」
「……オレを、それに、巻き込もうとは……」
「教えてあげよう。君は、とっくに巻き込まれている。もう、手遅れなんだ。私を見てしまったからね。君は、帝国兵には戻れないよ。だが、それは正しい。ユアンダートの価値観なんぞに付き合っていれば、遠からず地獄に落ちる。私のような者が、この大陸では日々、増え続けているという事実を、忘れるんじゃない」




