第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その六百三十
―――武器をおろさない、構えたままでいる。
それは意志表明になったし、間違いでもなかった。
この漁村のエルフたちが、好戦的であればレビン大尉はどうあれ終わりだった。
生きるための意志があると示していた方が、まだ捕虜にしてもらえるかもしれない……。
―――戦士はね、戦おうとする者に興味を抱くものだから。
戦う前から武装解除するような戦士に対して、多くの者がむしろ残酷になる。
戦うのは困難だけれど、一方的に殺すのは難しくない。
知性ではなく体力と意志の強さで大尉になれた男は、見るからに強さもある……。
―――戦えるぞと思わせるのが、最大の戦いの抑止力ではあるのだから。
レビン大尉は殺されなかったし、長老と呼ばれた年寄りエルフも彼を怖がらなかった。
興味はあるだろうが、レビン大尉に対してよりもプレイガストへの興味が大きい。
じっと見つめ合いながら、長老は長く選び抜いた言葉を口にする……。
「耳が、もっと老いていれば良かったのに」
「……知りたくない、聞きたくなかった事実だったはず。希望を奪い、申し訳ない」
「数学者よ。いや、呪術師よ。かまわん。ただ、ただ……殴らせろ」
「ええ。殴ってくれてかまわな―――」
―――レビン大尉が思っていた以上に、素早くて力強い打撃だった。
老いた腕が振るう杖が、何度も何度もやせ衰えたプレイガストを打ちすえていく。
軍人でなければプレイガストが殺されると心配しただろう、だが彼は帝国軍大尉だ。
この程度の暴力でっは、人が死ねないことはもちろん承知している……。
―――そもそもプレイガストは、耐久性があったからね。
長年の拷問生活でも、けっきょく死ぬこともなく生き延びてみせたから。
もっと屈強な若い男たちの方が、よく死んでいくものだ。
絶望は筋肉だけでは防げない、それでも絶望と暴力に耐える何かを持つ男がいる……。
「……何故、貴様は、生きている。妻も……こ、子も殺されたんだろう」
「ええ……申し訳ない。し、幸せにしてやりたかったのだが」
「信じた私が、バカだった!!」
「……いいえ。貴方は、いつも聡明だった。だから、娘を逃したあとでも、けっきょくは長老の地位に就けたのです。正しい……間違っていたのは……帝国です」
―――レビン大尉も、察していたよ。
この長老という人物は、プレイガストの妻だった女性の父親なのだろうと。
つまりは、プレイガストの義父である。
杖は何度も叩き落とされて、ボロボロだった男は血まみれになっていた……。
―――長い暴行になったし、容赦なんてなかった。
だが殺す気はない、老人にはその力ぐらいは残されていたものの。
あえて殺しはしなかった、生き延びさせる価値をプレイガストは持っていたから。
帝国軍の脅威を彼らも心配し、有能な戦士を求めているのさ……。
―――プレイガストという呪術師は、この漁村では大きな評価を得ているようだ。
そうでなければ、とっくの昔に取り囲んでエルフたちと戦いが始まっていただろう。
何もかもがこの呪術師の読み通りに動いていると、レビン大尉は知っていた。
歯ぎしりしたくなる、ズタボロの血まみれ呪術師に自分も含めて踊らされている……。
「はあ、はあ。忌々しい、呪術師め……ニオイがあるぞ。海で、清めてこい」
「……わかりましたよ。ここは、貴方の村だ……掟にも、指示にも従う」
「そこの、帝国軍。そいつを、海に投げ込んでこい。お前も、村からは出さん。お前も、身を清めるといい」
「従わなければ、どうする気だ?」
「……やめておけ、レビン大尉。私はともかく、君の挑発は、良くない。君は、殺した方が絶対に彼らの得なんだ……帝国軍の大尉でも、この村からはもう抜け出せないよ。死ぬな。犬死には嫌だろ。犬のエサか、サメのエサにされるぞ」
「どちらか好きな方があれば、言ってみろ。私の慈悲の名において、君にその死に方をプレゼントしてやるから」
「……海に叩き込む。オレは、臭くねえから…………」
「レビン大尉。冗談ではない……さっさと、行こう。夏の夜に、海水につかるのも悪くはない経験だよ」
「……ああ。そうかもな。まったく、辛気臭い長耳どもに囲まれてサイアクだぜ」
「無謀な発言だな……まあ、君らしいか……やさしく運んでくれ」
「嫌だね。お前にやさしくなんてするハズねえだろ、バカめ」
―――首ねっこをひっ捕まえるようにして、プレゼントを浜辺まで引きずる。
海に文字通り、投げ込んでやった。
全身の傷に海水が染みるだろうから、きっと激痛で叫ぶだろう。
そんな期待の混じりすぎた予想は、あっさりと外れてしまう……。
―――プレイガストは星々を見つめながら、浅瀬のなかで漂っていた。
遠くを見つめるその瞳には、ロマンチストでなくても推理が働いたんだ。
海水か涙かは分からないけれど、瞳は濡れて星のかがやきを反射する。
誰かの名前をつぶやいた、ひとつじゃないから失われた家族の全員分だ……。
「……どれだけ、痛むか、分かるかな。レビン大尉……」
「知らねえさ。知ったことかよ。オレには、お前の痛みなんて、関係ないんだ!」
「……すばらしい、薄情さだ。ああ……罰してくれたまえ。私は、この浜辺に、かつて守りと隠遁の呪術を使ったんだ……愛する者と、愛する者が愛する者たちのために」
「それが、どうしたってんだ」
「関係ない第三者だからこそ、話し相手にはピッタリなときもある……無学で、あさましく、愚かな暴力主義者である君にも、ちょっとは伝わるんじゃないかね。酒場あたりで、見知らぬ他人と話し込むのが、君は嫌いじゃないはずだ」
「ひとりで酒場には、乗り込まねえよ」
「だが、あっただろう」
「…………あった。だが、関係ない。お前は……きっと、自業自得の苦しみに浮かんでいる」
「詩的な言い回しも使えるね。古い文学作品の言い回しだ。君の、母上か父上の、好きな本だったかな」
「……親父の、好きな本だ。何で、分かるんだよ」
「私も読んだからね。いい本だった。文学は……数学よりも雑だが、好ましいよ。どう生きるべきか、どう悲しむべきか……どんな愛が、正しい場合が多いのかを、考え直させてくれるから。私は……かつてよりも……より、恨みを深めている。殺してやる、殺してやる!!殺してやるぞ、ユアンダートおおおおおおおおおおおお!!!」
「……大声、出すんじゃねえ。漁村には、寝てるガキもいるだろう……」
「ああ。そうだね……でもね。でも。怒りは、いつも、そうだ。間違いを、起こさせる。それと同時に、痛みを、思い出させてくれるんだ。張り裂けそうに痛い。愛する者を、奪われるとね。ここまで、痛かったのか……牢から出られたから、思い出せたよ。ここは、彼女の村なんだ……」




