第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その六百二十五
―――しばらくの沈黙のなかで、この追い詰められたふたりはそれぞれ何を思ったのか。
馬たちは順調に小雨を楽しみながら歩き、ふたりはその安定した背中の上で思索をやれる。
自分たちの関係についても考えが及べば、吐き気を催しただろうに。
あまりにもお互いを尊重できていないコンビであり、互いが大嫌いなんだ……。
―――ただひとつ、共通点があるとすれば。
生き意地の汚さぐらいだろうか、ふたりの生に対しての情熱は異常なものだった。
生き延びたいとばかり、心の底から考えている。
ただしプレイガストは過去のためであり、レビン大尉は今この瞬間のためだ……。
―――名誉に対しての価値観が、ふたりのなかでは大きく違っている。
レビン大尉は、今この瞬間をより良く生きるための名誉であり。
プレイガストにとっては、過去とはるかな未来のための名誉だ。
つまりは永遠という価値観が、名誉のなかでは存在するのだとプレイガストは信じる……。
―――数学者らしく、永遠不滅の定理に憧れがあったりするのかもしれない。
彼は少しは自己開示するべきだと信じ、学生に話しかけるような態度を演じることにした。
レビン大尉は学生たちとは異なり、数学者なんて笑顔で斬りつけられるだろう。
数学に価値ある何かがあるなんて、天地が逆さまになっても考えられはしない……。
―――そうだとしても、学生相手にしていたように接してみよう。
プレイガストは悪人の側面もあるけれど、少しは人間臭いというかね。
冷酷な昆虫みたいな部分もあるくせに、根っこの部分はさみしがり屋だった。
自分に対しての正当性なんてものを、求めたがるのは賢者の悪いくせかもしれない……。
「……レビン大尉。私の計画を、口にしなくてはならないな」
「……話せばいい。オレが乗るとは……」
「乗って欲しいね。君も、死にたくはないだろう」
「……どうかな。そうかも、しれん」
「生きていたいと思うものだろう、人は、その意志が強い。私が牢で長年の屈辱に耐えられたのは、ユアンダートへの復讐心だ」
「……そんなものが、叶えられるとは思えない」
「『自由同盟』の勝利を、疑っているのだろう。帝国軍は永遠だと……だがね。それは、大きな間違いだよ。無敵で、無限の帝国など、存在しない。歴史には、流れがあるものだ。私は、かつて、皇帝ユアンダートに数学者として……知恵を求められた」
「お前ごときが、陛下に何を教えられる?」
「数学の定理や、呪術についてや、魔術の研究……錬金術も。ユアンダートが得意とする学問は、数学のみだった。彼は……どの種の力が、人々を永遠に安定させるのかを探していた。自分の統治を、いつまで永らえさせるものか。彼は、数学だと知っていた。数学は不変だし、永遠であり、絶対だ。それ以外の力は、まだまだ未解明なところも多い」
「何を、言いたいか、分からねえよ」
「ユアンダートは、確実な力を望んだ。秩序の力とも言えばいいか」
「それは、陛下らしい。帝国軍ってのは、そうでなければ……」
「文明を信じているのだろう。君も、その種の考えの持ち主ではある。高度な知性などとは、縁遠い存在だろうが……数学に基づいた文明という力こそが、永遠なのだと信じている。まあ、難しく考えるな。『知性に基づく統治と秩序』を、君とユアンダートは正しいと思っている。たとえば、最も数の多い人間族が、世界を支配したほうが安定するに決まっていると」
「そうだ。間違ってなど、いないだろう。亜人種がいない世の中の方が、今よりはずっと、争いも少ない」
「数学を信じる者らしい、答えではある」
「お前も、数学好きなんだろうが」
「そうだよ。しかしね、私の数学は、いささか君たちとは異なる緻密さがあるものだ。君らのそれは、理想論だ。だが、私は、現実に即したものを見ている」
「言っている、意味が、分からねえよ!」
「……馬が驚く、怒鳴るな」
「……それは、すまなかったな。お前に、あやまったんじゃない。馬たちにだ」
「分かりやすく伝えよう。秩序が、君らには力だと思えている」
「そうだ。違わねえだろ。緻密な現実さんだって……」
「私はね、数学の神髄は混沌なのだと信じている。秩序だったふりをしている、混沌の何かだ。あたかも秩序らしく見えているのは、あまりにも表面上なものであって……本当は、美しく整った表面の奥底は、おぞましいまでの混沌が渦巻いていると。それが、現実ではないかと」
「まったく、わからねえ」
「わかった。そうだね。混沌とした乱世、破壊そのものに。私は、救いを見い出している」
「……テロリスト野郎だな。そして、呪術師くさい」
「まさに、そうだ。ユアンダートからしても、私は、実におぞましいかったらしい。世の中を支配している、最高の権力者を敵に回すと、どんな目に遭うか。分かるかな?」
「想像もしてくねえ。オレは、そんな真似も、したくねえ」
「まずね、家族を殺されたんだ。妻と息子と娘たち。知らなかっただろう?」
「……陛下は、そんなことはしない」
「したよ。むしろ、ちいさな出来事すぎてね。彼本人だって、忘れているかもしれない。変わり者の呪術師で、数学者でもあったおぞましい相手に、まさか、家族が四人もいたなんてね」
「……そいつらを、家族を、殺されたから。お前は……」
「すべての動機ではない。私は、家族以外にも奪われた。名誉や、地位。学者としての発言権もそうだし、呪術師としての日々も……私は、いくらか罪を犯している。だがね、ユアンダートに比べれば、あまりにも大人しいものだ。呪術の研究で、命を奪った。認めよう。善人ではない。それもそうだ。私は、ユアンダートがいなければ……今この瞬間も、生きようとはしなかった」
「復讐が、すべてか?」
「……証明したい。この世の中で、最も強い力は、何なのか。その問いかけに、かつて私は答えた。混沌とした、呪術なのだと」
「……おぞまし答えだな。混沌に、呪い?」
「そうだよ。彼は、そのときから、それらの力に対して、排斥するべきだとより信じ込んだというかね。もともと嫌いだったものを、さらに信じた。憎むべきだと、戦うべきだと。秩序こそが、絶対無二の価値観であるべきだと」
「それの、何が悪い?」
「不自由なのさ。それに、こう考えてはどうだね。『たった一つしか認めない男』と、『あらゆるものを認められる男』。どちらが、強いだろう。一つだけと、たくさんだ」
「……数が、質に勝るのか?船頭が多ければ、船はどこに向かうと?」
「素晴らしい反論だ。たしかに、混沌とした力は、一体感に欠きはする。しかし、ユアンダートが、どうして拒絶したのか。それも、この一体感に欠くという弱さに対しての恐怖だ」
「何が、言いたい?」
「『混沌が最強の力をするのは、いつだろうか』。ユアンダートの問いに、私は答えてやったよ。『陛下、それはもちろん。貴方さまの支配なさる国が、最大の力を手にしたときでございます。混沌とする諸勢力たちは、貴方さまの力におびえ、貴方さまを拒絶して、ようやく真の形になるのです。混沌の力の究極は、貴方という強大な秩序に対して、生まれ出でる。貴方の覇権こそが、それらをまとめてしまうのです』」
「……おい、そいつは……」
「『予言してみろ、数学者よ。より具体的な言葉を使い。お前の見えている私にとって最悪の未来を、口にしてみるがいい』。『陛下、畏れ多くも、ご命令とあらば。貴方の国を滅ぼす混沌とは、無数の亜人種どもの国の連合でございます。その勢力の中心は、貴方が脅かしてしまった生存への欲求と、自由を求める心。そして、混沌を楽しむような、呪わしいまでに率直な野性。獣でございます。獣が、見える。その言葉の正体は、私よりも陛下に見えたはず。その獣は、何でございましょう』」
「陛下は、なんと……?」
「『竜が、見えた。助かった。すでに、滅ぼしてやった。ガルーナは、もはや消えたのだ。民草の命のすべてを、根絶やしにしてやった』。私は言った。『その予想が外れていたときが、貴方の恐怖が現実となるときでしょう』。翌日、私の家族が、四人ほど減って、一人もいなくなった」




