第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その六百二十四
―――強がれるだけ、マシだったかもしれない。
少なくともレビン大尉は、自分だけはそう思ってやるべきだと信じていたよ。
それがどれだけ、本当にただの強がりに過ぎなかったとしても。
プライドを守るのは、男の義務なのだと父親から教わった日を思い出す……。
―――女々しい涙のように弱々しいポツリポツリとした雨が、真夏の夜の地面を叩いた。
馬は少しは喜んだろう、寝不足のなかでも彼らは忠実な労働者だったからね。
男と荷物を背中に乗せて、川をさかのぼりここまで逃げてきたのだから。
それはとても疲れているし、馬の背中は冬なら湯気が立っていたはずだよ……。
―――鼻を喜び、耳を揺らしていた。
小雨のわずかな冷たさが、馬たちには何とも大きな救いになってくれる。
機嫌のいい馬を見るのは、レビン大尉にとってもいやしにはなった。
おぞましく邪悪な呪術師を、すぐ目の前にしながらでもね……。
―――小雨の利点は、音の分野にもおよんでくれる。
雨音に隠れながら進めば、敵からの追跡だって回避できるはずだ。
遠くの基地を見る、丘の上から見たそれはいつもの三倍か四倍は明かりがある。
彼らの逃亡と犯した罪が見つかってしまい、基地は警戒態勢になったのだ……。
―――それを見て、ようやくレビン大尉はあきらめるしかないと思い知る。
吐き気がしたよ、吐いたところで恥にもならないだろうさ。
人生で挑戦をしたことがある、そうでないよりマシな生き方をした者ならば。
彼がどれけだの苦労で、成功へ片足を突っ込める位置まで来ていたのか分かる……。
―――とてつもない苦労と努力と、大きな幸運に恵まらなければ。
彼のようなどこにでもいるような男が、帝国軍の大尉にまでコネなしで出世できない。
彼には自分の人生を賭けた挑戦に、失敗の終焉が訪れた事実を泣いて悲しむ権利はる。
女々しく泣いたとしても、ちいさな雨音が隠してくたよ……。
―――プレイガストは、この涙に気づいているだろうが。
彼にとってはレビン大尉の苦しみを、嘲笑ってやるより興味深いことがある。
基地の動きを観察しなければならない、レビン大尉に比べて勝っている部分は多い男でも。
帝国軍がどのように動くまでかは、レビン大尉よりもずっと不理解なのだから……。
―――痩せこけているせいで、以前よりもはるかにギョロギョロとした目でにらんだ。
夜の闇と、小雨のなかに隠されそうな帝国兵どもの動きをね。
自分たちがどれほどの規模で、どれだけの早さと速さで負われることになるのか。
プレイガストは確かめるべきだった、彼だってギャンブルと挑戦の最中にある……。
「……しつけの、悪い犬だからな」
―――追いかけてくるのは、しょせんは田舎軍隊だったからね。
戦術理解力は乏しいだろうし、鍛錬不足の身体能力はそれほど優秀じゃない。
だが、それでも帝国軍の一員としてこんな西部地域までやってきた連中だよ。
残酷な殺し屋でありつつも、困ったことに『命令遵守』の精神に欠けている……。
―――呪術師プレイガストからすれば、そいつらはまさにしつけの悪い犬だ。
容赦なく噛みついてくるかもしれない、プレイガストという人物の価値にも気づけずに。
感情的な殺人技能を用いて、自分に死をあたえてくるかもしれないのだ。
用事しなければならない、無軌道で暴発てきな殺意に完全に耐えられるとは限らない……。
―――そのための『護衛』として、誰でもないレビン大尉を連れているのだ。
彼こそがプレイガストが頼りにする、『護衛の番犬』だよ。
自分に襲いかかってくる帝国兵どもから守ってもらうため、行動を共にしている。
狡猾な男であるが、余裕がないほどの必死さが行動を選択させていた……。
―――星空の下の暗がりと、雨音の果てでは人々が動き回っている。
帝国兵どもは、フル稼働していたんだよ。
全員が動き始めている、すべての者がレビン大尉を罰したいと思ってはいない。
事情を完全に把握などできぬまま、プレイガストという『原因』を殺したがっている……。
―――巧みな話術で論点をすり替えたり、欺瞞の技巧で自分自身を守ったとしても。
うなるように満ちてあふれる殺意の群れから、プレイガストは目をそらすしかない。
その様子を、戦場経験だけは人一倍どころか数倍以上もある男に見抜かれる。
紳士と呼ばれる日は一生なさそうな、ろくでもない男は女々しい涙をすすり笑った……。
「へへへ……なんだい。なんだよ。プレイガストよお!お前も、けっきょくのところ、ビビってんじゃねえかよ!」
「……その通りだよ。だから守ってくれたまえ。そうすれば、君を助けてやれる。そうでなければ……」
「そうでなければ、どうすると?」
「呪術を行使するほかない。君を、生きた傀儡にしてしまうなんて、非人道的な真似はつつしみたいんだよ。何せ、あれは地獄の苦しみだからね」
「……脅して、あやつろうってのか」
「脅すんじゃない。呪術で、あやつるんだ。地獄の苦しみと痛みに彩られた悲劇的な行為の果てにね。君は、死よりも辛い目に遭ってしまうんだが……それでも、同情するなと?」
「……だまってろ。ちょっと、だまっていやがれ……」
「落ち着くための、冷却期間が必要だな。助言しておく。私も、余裕はない。怒らせてくれるなよ。こちらも、態度をいくらかあらためてやるから」




