第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その五百九十四
―――海に飛び込み続ける帝国兵どもを見て、戦士たちは大喜びしている。
それを見つめたところで、レイチェルは迷わない。
こうなるように試みて、実際のところ願いは叶ったのだから。
間違いなんて、どこにもありはしない……。
―――誰も戦わせることのないまま、戦士たちに傷ひとつ与えないままに。
敵兵どもをせん滅できるのであれば、芸術の勝利に他ならない。
暴力的ではないはずだ、敵を殺すのが戦でありレイチェルの目的なんだ。
ひとりでも多くの帝国兵に地獄を見せるために、猟兵として生きてきた……。
「母親であるための時間を、捧げているの」
「そうだろう。君は、きっと……ユーリのそばにいたいはずだ」
「当然でしょう。時間を見つけては、いつも祈る。いつも想っている。それでも、母親であることよりも、私は妻であった女であることを選んだ。アーティスト仲間たちのために、生きている。戦っているの」
「それも、間違いではない。正しい。だが」
「言われなくても、分かっているわ。あの人は、こんな方法を喜びはしないでしょうね。でも、だからと言って、何もしないままではいられない。敵に、分からせてやるほかにない。そうじゃないと、繰り返されてしまうから」
「……そうだ。そうだな。ならば、もう……ワシは何も言うまい」
「ええ。そうしておいて。私のためにも、貴方自身のためにも。私を、あまり怒らせるべきじゃない。短気な夜もあるのよ、アーティストらしくね。怖がらせてしまった?」
「ワシが主張した理由は、その種の感情ではないな。見ておこう。君の創り上げた復讐を」
「私たちね。私たちの全員が、この復讐を創ったのよ。全員が、演者だわ」
「……ワシもか。そうだな、そうなるな」
「誰しもが、清いままではいられない。そうでなければ、死の意味が……軽くなってしまうもの」
「言葉では、もはや何も変わらんか。間違いでは、ない。ならば、受け入れよう」
―――ゾロ島のキケに、『認められる』とレイチェルはどこか安心した。
彼女らしくはないけれど、そんな夜だってあるんだよ。
演劇をやるとね、とくに自分の人生を綴ったような演劇を見せると。
心はすっかりと衰弱する、戦をやる方がまだマシなほどにね……。
―――疲れたレイチェルは、考えない。
自分の用意した運命に、呑みこまれていく敵を見ていた。
笑顔になるべきだけれど、そこまでの愉快さは泣きながら溺れる者たちにはない。
拷問されて殺されるのは嫌だが、死にたいわけでもないのだから……。
「それは、あの人も同じだった。仲間たちもよ。夏のおだやかな海に抱かれながら死ぬのは、ずっとマシだ」
―――自軍の兵士が自殺していく、地獄のような惨状を帝国側の指揮官は見ていた。
レイチェルの物語を聞かされて、完全な包囲状態に陥って。
しかも、兵士の士気は完全に打ち砕かれてしまっている状態では。
どうにもならない、自殺を止める方法も彼にはなかった……。
―――優秀な軍人というほどでもない彼に、この状況を覆す方法はないだろう。
戦士たちの猛る怒声の渦のなか、恐怖に青ざめた新兵を見つめた。
若くて、帝国兵に志願したばかりの男。
まだ少年と言えるような年齢ではあるが、訓練された一人前の帝国兵でもある……。
―――レイチェルの言ったとおり、亜人種を殺りくするための軍に自らの意志で入った。
責任は他の兵士たちと、まったく変わらない。
縛られた亜人種の捕虜をこの少年に見せれば、つばを吐きかけ鋼で斬りつける。
何の迷いもなく、そうすることが正義だと心の底から信じてね……。
―――相手をヒトあつかいしないのが、差別の基本的かつありふれた特徴だ。
この少年も差別を刷り込まれた、立派な帝国兵のひとりに過ぎない。
それでも何かを感じ取る、死の恐怖に小便を漏らしてむせび泣きつつも。
自分の選択が、間違っているように思い始めていた……。
「お、オレたちは、か、彼女の夫を、こ、殺しちゃいないけれど……っ。で、でも。同じかも……オレ、オレは、お、同じ状況だったら、わ、笑いながら、彼女の夫を、こ、殺した連中と、同じように、や、やってしまったのか……そ、そんなのは、ま、間違っているかも。こ、怖い。自分が……な、何だか、こ、怖いよお……っ」
―――実のところ、自分の意志で戦い続けられる者なんてそうはいない。
心の底から勇敢な戦士たちが、どれだけいるのか。
兵士たちの多くは、周りが殺しているから殺そうとしているだけ。
あるいはリサ・ステイシーの考察のように、本能をいくつかのコツで騙している……。
―――倫理観に頼れば、正義で殺せるようになる。
文化の力に頼れば、差別の力で相手を思いやれなくもできる。
皇帝の権威に従えば、自分たちより劣っていると敵を見下せた。
この少年の決意なんて、社会から与えられた帝国軍の文脈に比べれば無意味さ……。
―――彼の決断は、実際のところ社会や時代という周囲の環境がさせたものだ。
だからといってすべての責任から、逃れていいわけにはならないけれど。
極限の恐怖と、帝国兵の残酷な行いと。
レイチェルたちという実在の被害者を見せつけられて、彼は間違いに気づけた……。
―――芸術の力ではあるよ、それをときどき為政者たちは嫌うけれどね。
我々が目指すのは、政治集団に合わせていくつもある『正義』ではなくて。
たったひとつの『真実』を、アーティストは見せたがっているんだよ。
正義の真逆の概念であるそれは、ヒトの純粋な本性そのもののことだ……。
「うああ、ああああ!!ご、ごめん、なさい……っ!!ご、ごめんなさいっ。ああ、ああ、あああああああああ!!」
―――たくさんの『正義』がね、自分たちの暴力を正当化するために使われる。
それが戦争というもので、『正義』と『正義』で殺し合うということさ。
ソルジェみたいな生粋の戦士なら、眉ひとつ動かすこともなく同意する。
でも、普通の少年である彼はそうじゃなかったみたいだ……。
―――サーカスをしていただけの人々を、拷問して虐殺して。
その様子を見ながら笑うなんてさ、たとえそれが『正義』が許したとしても。
どう転んだって、間違いに決まっているんだよね。
この少年だけは、本当に心の底から『謝罪』しようとしていたんだ……。
―――『正義』は人をそそのかす力に、とても秀でている。
たくさんの人々に、残酷な行いをさせたいときにはこれを使うしかないほどに。
でもね、『真実』ってものは多くの人々を動かせるようなものじゃないんだ。
とても率直でヒトらしいものなのに、みんな嫌っているところがある……。
―――それでも、ときどきは『真実』はヒトに影響を与えてくれるんだ。
ちょっとだけしか、世界を変える力はないけれど。
むせび泣きながらあやまる少年を見て、指揮官の男は何かを悟った。
ひとつの『真実』だ、この少年を救ってやれる者がいるとすれば世界に一人だけ……。
―――考えなんてものは、捨てることにした。
実力不足だとか、自分みたいな名もない帝国兵の評価だとか。
分不相応な主張だとかは、もはや関係ない。
彼はすべきことを見つけたんだ、『真実』の効能は自由を与えるということ……。
―――自分の意志で、無限の困難に立ち向かうこと。
『正義』も立場もどうでもいい、兜をぶん投げて剣を捨てて。
むせび泣く少年が、海に吸い込まれてしまわないように船床に引き倒した。
レイチェルを探すが見つからない、だが方向は見当がついている……。
「おおおい!!人魚よ、人魚よ!!私は、この部隊の指揮官だ!!今さら遅いのは分かっているが、ハナシを聞いてくれ!!若者がいるんだ!!あなたのために、あなたの夫や大切な仲間のために、心から泣いて、反省してやれるような若者だ!!新兵なんだ、帝国軍に入ってから、まだ日の浅い!!男と言えない、何も知らん少年だ!!やさしい少年、軍に染まり切れていない者だ!!この子を、オレは、死なせたくはない!!頼む!!頼む!!この少年の代わりに、オレを残酷に痛めつけていいから!!頼むから、助けてやってくれ!!」




