第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その五百八十四
―――男は結婚して、強くなれた。
大きな決意を固めながら、仲間を集う。
長く長く、蓄え続けた知識と。
ゆっくりとだが勝ち得ていった、サーカス仲間たちからの大きな信頼……。
「ボクとレイチェルは、新しいサーカス団を立ち上げようと思う。たくさんのサーカス団が廃業の危機にある。亜人種のアーティストたちが、次から次に排斥されているんだ。彼らの、居場所に、なってあげたい。最高のアーティストたちが、人種の違いなんかで仕事を奪われている!サーカスをしたいのに、させてもらえないなんて、間違っているじゃないか!」
―――無限の地獄をさ迷うように、無力な無才な努力は重ねられた。
それらが、とうとう報われる日がやってきた。
多くの者を説得できたのは、誰よりも下手で才能の無いアーティストのくせに。
誰よりも誠実で、サーカスを愛していたからに他ならない……。
―――男は理想と夢のために、立ち上がる日がやってきた。
多くの仲間が、男の目指した道に光を見い出していく。
サーカスの天幕の下から追い出された、多くの亜人種たちが。
もろちん、男のサーカスに惹かれた人間族のアーティストたちも集まってくれた……。
―――サーカス・アーティストたちは、いつの世も変わり者が多い。
それでもアーティストとして、主張したい真実を胸に秘めていた。
観客を前にして舞台に立つということは、主張したい真実があるからだ。
バカにされても笑われても、世界はこうあるべきだと命で表現する……。
―――世界が間違っているのなら、正しさを示すために生きるのみ。
サーカスを奪われて、命も尊厳まで奪われているのに。
立ち向かわなければ、生きている意味さえなくなってしまう。
すべてのパフォーマンスは主張であって、真実を告白するための切実な言葉だ……。
―――芸術とはそもそもが政治的な存在でもあるのだから、時代に抗う使命もあった。
誰もが生きていてもいい世界の方が、正しいに決まっているでしょう。
そうではないという意志の下に、大陸のすべてを吞み込もうとする力に挑むのだ。
これは運命、過酷であり正しくて間違っていないのに悲劇となる道の始まり……。
―――私たちは、旅を始めたの。
集まった仲間たちと、各地で集まっていく仲間たちといっしょに。
サーカスを大きくしていきながら、パフォーマンスを磨いていく。
観客の笑顔を見た、子供みたいに素直な心も……。
―――ユアンダートの価値観の囚われになってしまい、歪んでしまった心も見た。
亜人種であることが罪なのか、いっしょに生きようとすることは罰するべきなのか。
そうだと即答するような、政治的な正義の切れ味は残酷なまでに容赦なく。
暴徒を作り、呪いめいた言葉を観客たちの口から放たせた……。
―――悲しくて間違っている時代だからこそ、戦う価値も見い出せる。
どれだけ妨害されても、迷うことはなく進むだけ。
心ない差別の言葉は大きくて、数もどんどん増えていく。
ヒトはちょっとでも自分たちと異なる者を、探しながら罰したがっていく……。
―――エルフの森が焼かれて、ドワーフたちの鉱山は略奪された。
ケットシーたちは奴隷にされて、巨人族は悲しい戦いの道具となっていく。
人間たちは奪った土地と財宝で、豊かになって口走った。
「どうだ正しかっただろう!亜人種から奪って、我々が運用すれば幸せになれる!」……。
―――悪意めいた言葉が、どんどん欲望に姿かたちを与えていった。
豊かさを求めて、他者を殺りくと略奪の対象にしていく。
殺して殺して、笑顔になった。
殺して殺して、こんな世界で生きていくのは怖いと多くの者が泣き出した……。
―――世界がどんどん、間違っているはずの力に引き裂かれていく。
痛みのあまりに泣く者と、奪うことで得た幸福に酔いしれる者がいた。
引き裂かれて世界で、それぞれの耳に入るのは別の音。
悲鳴は苦しむ者だけに、笑い声は奪った者だけに……。
―――アーティストたちは、苦悩を抱えながらも職業倫理の道を進むだけ。
人間族の父親と母親が、人間族の子供たちに亜人種の演技は間違いだと教えても。
亜人種を見て笑顔になるのは、大きな過ちであり正義に反すると教えていても。
笑顔を求めて、技巧と研究の道を進み続けるのみ……。
―――問いかけて、ぶつけてやりたい疑問は多い。
叫ばずにはいられない時代で、表現する力を与えられた者たちなのだから。
どれだけ世界が間違っているのかを、命がけで表現していく。
私たちはそんな時代に、生きる道を自分の決意で選んだのだ……。
―――誰からもこんなに苦しい道を、選べなどだと言われてはいない。
誰からもこんなに自由で、あまりにも喜ばしい道を進めなんて言われていない。
自分自身で地獄を選ぶ、世界を変えてやりたいからこの苦しみを笑顔で。
真の自由の定義はひとつ、無限の困難に自らの意志で立ち向かえること……。
―――憎しみの雨のなかを、怒りと呪詛の嵐のなかを。
駆け抜けて歌い、踊って飛ぶの。
私たちのサーカスは、いつでも命がけ。
そんなに捧げて欲しいのは、きっと難しくもないはずの笑顔……。
―――違う人種の演技にも、ちゃんと笑って欲しいから。
子供たちが笑顔になってくれたとき、私たちは本当の自由を感じられる。
自分たちが正しいことをしていると、何よりも勇気づけられた。
オトナたちに吹き込まれた偽りが消えると、ちゃんと子供たちは笑顔になれる……。
「大好きな、子供たち。やさしくて、正しいのよ。ああ、早く。母親になりたい」
「そ、そうかい。そ、そうだよね。う、うんっ。ボクも……立派な、いいや、立派じゃなくてもいいから、いい父親になりたい」
―――その願いは、ささやかなものでしょうか。
それとも、私たちのような生き方をする者にとっては高望み?
引き裂かれた世界では、ひとつの事実に異なる正義を与えるでしょうから。
すでに問いかける意味が、奪われつつあるの……。
―――呪わしいこの事実が持っている重さに、真実が壊されていく。
ひとつだったはずの真実が、それぞれの暴力が掲げる正義に吞みこまれていった。
正義の特徴は、異なる正義をどこまでも罰して破壊し尽くしたいこと。
純粋なまでの悪意が生まれるのは、いつだって正義のために集まった心から……。
―――ちいさな子供たちの、純粋なだけの耳。
そこに、オトナたちが悪意めいた正義を吹き込んでいくのがたまらく嫌だ。
「違う人種を見て感動しないでください、それは間違ったことなのよ」。
「石を投げて、罵詈雑言をぶつけるのが正しい。あいつらは我々とは違うんだ」……。
―――引き裂く力はいつものように、分かたれた人々を指さして笑うもの。
違うんだ、異なっている。
間違いなんだ、だって見た目も違うでしょう。
そんな笑顔はみにくいから、もっと正しい笑顔を示したい……。
―――笑顔の方法を、差別の力で決められるなんて。
とってもおかしくて、間違っていることだもの。
人種を見るだけでは、何ひとつだって分からない。
どれだけの努力や文化を背負って、天幕の下にいるのかも……。
―――その人らしさはあるけれど、その人種らしさは間違いだから。
サーカスの道は、自身の追求でしかない。
どんな道を歩んできたのかが、パフォーマンスに命と色を吹き込んでいく。
楽しい気持ちや勇敢に高鳴る鼓動を感じてくれたら、笑ってくれるだけでいい……。
――――ここは、私たちにとって地獄のような大陸のなかにある天国だったもの。
天幕の下には軍隊もおらず、どんな親に育てられた子供たちも瞳をちゃんと輝かせる。
間違いなんてどこにもなくて、私の夫は正しかった。
笑顔のためにどれだけの時間と血と涙と汗を、才能のない彼が捧げたのか……。
―――知っているかしら、それだけの行いに。
ただ欲しい見返りは、ひとつだけなの。
もしも、悲しいときや困っているときに。
無限の苦しみに立ち向かわなくちゃならくて、勇気が足りないときは……。
「怒りでも憎しみでもない。誰かの押しつけた正義なんかじゃなくて。ただ記憶のなかにずっといてくれる笑顔にこそ頼って欲しいから。ボクたちは、サーカスをやるんだよ、レイチェル」




