第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その五百八十三
―――年月が、ゆっくりとだが過ぎていく。
サーカス団は各地を旅して、たくさんの公演をやり遂げた。
喝采を得た夜も多いけれど、ゆっくりと世の中の雰囲気は変わっていく。
男の願いと現実は、真向からそっぽを向いていたのだから……。
―――帝国の台頭は、大きく世界を揺さぶっていく。
ガルーナというあらゆる人種が共存していた王国が、滅ぼされてしまったと聞いた。
男は大きく肩を落として、世の中は間違っているような気がすると叫んだ。
だが、世の中は男の考え方こそを否定していく……。
「人間族の芸人だけを、使えよ!!亜人種の芸人の芸に、金を払うつもりなんてないからな!!」
「そうだぞ!!この亜人種びいきのクズめ!!」
「オレたちは、こんなサーカスを認めない!!」
「帝国軍の慰問に、君らのようなサーカス団は不適格なのだよ!!人種の構成を、もっと考えてからにしなさい!!」
―――人間族を優遇する政策と、亜人種びいきの『魔王』の国が滅んだこと。
世界はゆっくりと、帝国の掲げた価値観に染まりつつあった。
人間族のために、すべての亜人種が滅ぼされるような時代に。
それは悲しいけれど、どんなにアーティストたちが望んでも変わらぬ時代の流れ……。
「そうでしょうか。私は、そうだとは、思いません」
―――人魚はその時代になっても、毅然とした強さを保っていた。
男はそんな彼女の、女王のような態度に何度も救われている。
自分の考えが間違っていないと、支えてもらって気になれたから。
誰もが生きていてもいい世界は、境界線が隔てていない世界は正しいのだと……。
―――サーカス団のリングマスターは、窮地に立たされていた。
芸術というものは、不安定なところが多くあって。
営業のための許可を出すのは、おおよその場合は政治家だ。
政治が亜人種排斥に傾いてしまった今となっては、サーカスの公演そのものがやれず……。
―――サーカスなんて、雨が降るだけで赤字になりかねない商売なのに。
今度の雨は、あまりにも長くて深刻だった。
ヒトの心にある『悪意』から降る雨は、大陸全土を何年も覆い尽くすかもしれない。
娯楽の世界において、時代の流れとは大きなものだった……。
「何もかもが、変わっていくぜ。今じゃ、どんなパフォーマンスをしたとしても、どの人種だから何だと、くだらん批評を誰もがつけたがる。人間族だろうが、ドワーフだろうが、死ぬ気で鍛練しないと、人様を納得させられるようなパフォーマンスがやれるかよ。そういう努力や、意志に、心ってのは古来、感動ってものをさせられてきたと思うんだが……オレは、間違っていたかね?」
「間違ってはいないわ。時代が、問題なのだと思う。私たちの時代は、人種や生まれよりも能力が評価されていたのに……今は、そうじゃない。芸術には、あまりにも、せまっ苦しい時代になっていくのね。全盛期を、一昔前に過ごせたのは、幸せなことだったのかもしれない」
「時代に、絶望しないといけないのかね。アーティストってのは、どんな時代にも、モノ申さなくちゃならないかもしれないのに……」
「無理すると、刺されちゃうわよ」
「ひと昔前なら、冗談だと笑い飛ばせた。それとも、あれは、オレが若かったからか?若さが減っちまったから、臆病になっちまったのか?」
「あなたは臆病じゃないわよ、怪力芸人のリングマスターさん。体当たりが信条の男を、誰が臆病と呼べるものかしらね」
「そうだ。オレは、そうだな。臆病じゃないが……世の中が、時代のヤツが深刻なんだろう。サーカスのアーティストが刺される理由なんて、酒と色恋と、博打と借金だけだったのに。今じゃ、なんだ?人種の使用うんぬんまで、ケチをつけてきやがるのかよ。どうしちまったんだ、世の中は」
「嘆いても、しょうがないわね。私たちには、サーカスをやるしかない。飛べなくなった踊り子は、水晶玉で占い師よ」
「占いで、導いてくれよ。水晶玉に、何が映る?……オレは、なんだ?ドワーフの岩食い芸人だとか、エルフの投げナイフ芸人を、そいつらの人種っていう理由で、クビにしないといけないのか?そんなリングマスターが、どこにいた!腕前じゃなく、人種で、差別する?おかしな世の中じゃないか……オレは、なんとも、情けないぞ」
「……そうね。抗うもよし。でも、抗いすぎれば……時代は、牙をむく」
「……亜人種びいきの魔王サマよ。なあに、負けちまってるんだか。あんたが負けちまうとよ、亜人種とつるんでいる組織は、裏切られても当然だ、負けるもんだって……ちいさなガキどもは思い込んじまうかもしれないじゃないか……」
「変えたいわね。でも、怖くもある。死ぬのがじゃない。犬死にになるのがよ」
―――アーティストは、基本的に命知らずだった。
芸術の深淵の奥底にあるのは、神秘的な宝物ではなくて。
ただの虚無しか、ないのかもしれないのに。
それでも挑戦するためには、狂ったまでの勇気が必要だった……。
―――そんな勇敢なアーティストたちでも、犬死には嫌だった。
犬死にどころから、自分たちの戦いや死が敵に利用されかねないところも。
亜人種との共存を唱えた者がみじめに死ねば、それが正しいように思われる。
そんな共存など唱えるから、殺されてしまうのは当然なのだと……。
「ありふれたことは、まるで真実のような素振りをするもの。私たちの挑戦が、失敗となって。その失敗が多く転がっていれば、敵は利用する。人間族第一主義が正しい。刃向かう者を見ろ、みじめに横たわっているじゃないか。そうだ、そうだ!帝国と皇帝ユアンダートは正しいのだ!……そんな風に、政治利用されちゃうのが嫌だわ。政治家も軍人も、そういう悪趣味な行いを、平然としてしまう時代になった」
―――時代を嘆くのは、何だか年寄りじみていて嫌だけれど。
サーカスと共に、時代をいくつか歩んできたものたちは。
懐古にひたり、現在の情勢を嘆くばかりだった。
ヒトがサーカスを見るときの認識から、人種という色眼鏡を外したいのに……。
「今日も、エルフの女の子が殺されていたわ。何もしていないのに。十二才の女の子が、どんな悪さをするというの?棍棒で殴り殺されてる。レイプもされたかも。殺されて、路地裏に捨てられていたのよ。どんな悪人が犯人なのか。分かっている。どうせ、帝国支持者の人間族の若い男たちだわ。でも、取り締まりはゆるい。犯人は、『また』捕まらないかも」
―――ユアンダートは戦争上手だったし、ヒトの心を惑わす大魔法使いでもあった。
人種差別という力は、あまりにも大きな力だった。
世界をガッツリと引き裂くように、その力は暴れている。
以前から確実にあったその闇深い力に、姿かたちを与えたのは政治の言葉だ……。
―――差別の言葉を、政治が使えばこうもなる。
感情に言葉を与えたとき、悪意はあまりにも大きな破滅をもたらした。
憎い憎い、違う人種が恐ろしいのだと。
自分たちだけで、集まっていれば少なくとも安心だと……。
「レイチェル、公演も少なくて、収入が下がっている今だけど。伝えておきたい言葉があるよ。どうか、ボクと結婚してください。こんな、苦しいときに、プロポーズする間抜けを、許してほしい―――」
「―――待っていたわ。ずっと、前から。遅いぐらい。あなたは、本当に……のろまだけど。私を、本気の笑顔にしてくれる!」
―――暗い時代にも、明るい話題があった方がいい。
世界がゆっくりと、彼らの理想と夢を裏切っていたころ。
人魚と男は、結ばれた。
公演許可が降りなくても、その夜はあらゆる人種のアーティストが演技を捧げた……。




