第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その五百八十二
―――人魚の決断は、運命が定めていたおかげなのか。
まったく揺らぐこともなく、その日から彼女はサーカス団の一員となる。
団員たちのすべてが、人魚の才能に驚きながらも魅了されていたから。
彼女の居場所は、すぐさま確保された……。
―――衣装係が暮らしていたのは、ちいさな荷馬車のなかだ。
旅の空が常であるサーカスの者たちの家は、テントか馬車ばかり。
宿を借りるなんてもったいない、お金と練習のための時間は貴重なものだから。
衣装係と共に暮らしながら、彼女からサーカスについて学んでいく……。
「食事は、当番制だからね。量は多めに。でも、減量中のアーティストには、気をつけてあげて。自分だけの注意じゃ、なかなか痩せられない子もいるから……あなたは?大丈夫?」
「食べても食べなくても、あまり体形は変わらないの」
「う、うらやましいよお。私は、すぐに、身についちゃうから……と、とにかく。集団生活だからね、周りとの人間関係にも気をつけなくちゃいけない」
「私は、偉そうですから。そして、おそらく才能もある。ですが、嫌われるほど傲慢ではいたくない。バランスが、大切そうですね」
「そ、そうだね。自信を見せてくれるのは、周りもありがたいよ。レイチェルから受ける刺激は、私たちの成長にもつながるはずだから。あなたはね、そ、その。嵐みたいな印象。悪い意味じゃないよ、それだけ大きな力、強い、変化の兆し」
「嵐、ですか」
「お、女の子に使うべき言葉じゃ、なかったかも。ごめんね」
「気に入っていますよ。人魚の世界では、嵐は神聖なものとされるので」
「人魚の文化も、きっと、彼に教えてあげたらいいと思う。す、すごく、勉強熱心だからね。私も、知りたい。い、衣装って、知識だから。文化を知らないと、正しい使い方さえ、分からないんだもの!知りたい、何か、て、テキストとかあるかな?海の中だと、本とかふやけちゃうから、ない?」
「あら。海の神殿には、ちゃんと空気もありますよ」
「そ、そうなんだ!?ていうか、神殿……っ。う、うわあ。いいなあ、なんだか、すごく!神秘的だなあ!イマジネーションが、か、掻き立てられるよお!!」
「ウフフ。たくさん、教えてあげましょう。私の故郷のことを。だから、代わりに。サーカスと…………」
―――乙女の時代だ、恋愛強者の自覚を持つ人魚であったとしても。
その表情は赤く染まり、衣装係に心の内側を気づかれる。
アーティストの恋は、いつだって露骨なまでに分かりやすい。
異常な熱量のまま、隠す術を持っていないから……。
「にやーって、なっちゃうよお。レイチェルは、とっても、か、可愛いんだから!」
「……はあ。あまり、からかわれるのは嫌なのですが」
「ムリだね。さ、サーカス育ちのみんなは、すごく、その点では、意地悪だもん。おせっかい焼きも多いんだよ。おじさんたちや、年齢が上な方々は、かなり露骨。だから、心配しなくても、くっついちゃうよ」
「……そう、ですか」
「乙女の心を、安心させてあげる魔法の言葉をひとつ。か、彼は、誰とも付き合っていない。フリーなんだ。だから、いつでも…………って、こ、これから先は、ちょっと乙女らしくない。私も、世話焼き女になりそう……っ」
「でも、安心しました」
「うん。安心して、いいと思うよ。でも、彼はね、ちょーっと、サーカスしか考えていないトコロもあるから。あっちから、告白されるより、した方が、て、手っ取り早い」
「それならば、告白される方を選びましょう」
「よ、余裕を感じる……っ。まあ、勝ちは確定の相手だもん。彼も、どうせ、そのうち。レイチェルを、アーティストとしてじゃない目で、見ちゃうようになるからね」
「……それは、楽しみですね」
「ああ。もう!緊張している若い子、ほんとカワイイ!」
「貴方と、そう年齢は変わらないはずですけれど」
―――愉快な仲間が、サーカスには多くいた。
誰もがアーティストで、誰もがお互いに嫉妬していたけれど。
自分たち全員で創り上げるパフォーマンスが、大好きだった。
厳しいルールや、練習や勉強の道は果てしないけれど……。
「ゴハンの時間は、すごく嬉しいよねえ」
「そうですね。今日は、私が作ったんですよ」
「本当に!?すごく、楽しみだよ。君の料理……ど、独創的だから」
「そうでしょうか?ふむ、塩と砂糖の見分け方は、覚えたのですが……」
―――天才だらけの空間にいれば、天才が完全なものではないと知れる。
どんな者でも、不完全なところがあった。
それらを補うように、成長していける喜びと楽しみがある。
料理の腕も、ゆっくりと上手になっていけばいい……。
―――多くを学び合う、サーカスの技巧と知識。
経験値は不文律の伝統を、人魚にちょっとずつ教えてくれた。
成長するために必要なのは、好奇心と努力だけ。
才能に関しては、ここにいる誰もが持っていた……。
「我々はね、けっきょくのところ。普通じゃない。良くも悪くも、そうなんだ。ここにしか居場所がねえヤツも、大勢いる。それで、いい。迷わなくてすむ。でもなあ、カラダってのは、消耗品なんだ。若手たちにゃ、しーっかりと、次の人生の送り方も、教えておかなくちゃよ」
―――面倒見のいいベテランたちは、サーカス・アーティストの肉体の限界を知る。
才能もやがては枯渇するため、サーカスの外での生き方も教えようと試みた。
若いアーティストたちは、つねに己の芸を高めることに時間を費やしたがるけれど。
人生を生き抜くためには、多くの知識が必要だった……。
「投資の仕方も教えるべきだし、ちょっとした小銭の稼ぎ方も覚えとかなくちゃな。骨接ぎと、虫歯抜きは、いい小遣い稼ぎにはなるんだ。大昔から、虫歯を抜くのは、大道芸の十八番のひとつさ!」
―――骨折と脱臼の治療と、虫歯抜きについてもサーカスでは学んだ。
虫歯抜きは大道芸としても、治療としても人気だった。
痛みなく歯を抜ければ、それだけで屋敷を立てられる。
慣れれば簡単なもので、人魚は多くの子供たちのぐらつく歯を抜いてあげた……。
「燃え尽きるような生き方は、キレイだが。あまりやるもんじゃない」
「お前さんは、流星にはなるな。ずっときらめく、巨大な周期で空を巡る彗星を目指せ」
「誰よりも才があるレイチェルを見ていると、あいつがかわいそうになる」
「虫歯抜きも下手くそだが、今まで以上に……本も読むし、ベテランのハナシも聞きたがる」
―――男には稀有な才能があった、ちゃんとベテランに頼れる力だ。
これが意外と難しく、体現している者は極めて少数。
プライドが邪魔をし過ぎれば、聞くはひと時の恥と割り切れない。
傲慢になれない男にとって、ベテランから伝統を言葉で継げるのは数少ない得意事……。
「決めているんです。ボクは、いつから。レイチェルのために、サーカスを作りたい。独立したいんです。そのためにも、皆さんから……可能な限り多くの、サーカスの文脈を得たい。ボクは、レイチェルに相応しいサーカスは……誰もがいていい場所であるべきだと、信じているんです。すべての人種の集った、融け合うような遊びと笑顔と、喜びの場」




