第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その五百八十
「曲に合わせて、踊るっていうのか?そっちの方が、リズムが取りやすいのか?」
「時と場合によるけれど、たぶん、あの子は音楽に合わせる気なんてないわね」
「じゃ、じゃあ。どういう意図なんでしょうか?」
「音楽に、自分を従わせればいいって、思っているんじゃないかしら。私が、自信と自意識が過剰なルーキーだったとき、楽団の連中は、私の奴隷になるべきだって信じていたもの」
―――天才は、おおよそ傲慢なところを有しているものだ。
彼女もそうだったし、人魚ももちろん傲慢さがある。
それは罪深くもあるけれど、芸術を成し遂げるための推進力にはなってくれた。
成し遂げられるならば、どんな動機であってもかまわない……。
―――アーティストたちの棲む世界は、邪悪な野生と容赦ない競争の世界だから。
挫折は常につきもので、折れてしまった心は歩むことをしなくなる。
どこまでも自分を信じて、自分を見失うことのなかった者はより多くの機会を得る。
それをものに出来るか出来ないかは、幸運次第ではあるが回数は増やせた……。
「音楽を、あの子に合わせて作ってやるべきよ。だって、音楽家の皆さまの方がベテランなんだから。あの子は、信じてくれているの。彼らになら、ちゃんとやれるでしょうって。評価されているんだから、喜ぶべきよ」
「確かにな!あとは、現場に任せたぜ!」
「ぷ、プロって、すごいなあ……っ。私も、そ、そんな覚悟を、もっとしなくちゃ」
「十分だと思うけれど。向上心を抱く邪魔は、する意味がないわね」
―――人魚のために、楽団は機能し始める。
煽るように長い腕を振って、音楽を操り始めた。
サーカスの楽団には、『無名の曲』が山ほどあるなんてまだ人魚は知らない。
でも、音楽の才能がある人魚は理解していた……。
―――熟練の指を持つ者たちが、どんな曲でも自在に弾けるという事実を。
即興こそが、真の音楽だった。
古来、名を持たされた曲よりも。
その瞬間にだけ生まれて、役目を終われば永遠に忘れ去られた曲の方が多い……。
―――音楽家たちは、想像力をすでに与えられていた。
彼らもサーカスの天幕の下で生きた者たちであり、今まで人魚の演技を見ていたのだ。
わずかな時間であったとしても、規格外の天才性は多くを周囲にもたらす。
幸いなことに、人魚よりもエアリアルに対しての知識があった……。
―――楽団は、人魚のためのエアリアル・テーマを創り上げてくれる。
人魚の『喜び』の感情を表現しつつも、妖艶な空中演舞の質も込めた曲。
入りはおだやかな春の海のように、やさしく抱きしめるような動き。
人魚はそれを気に入って、エアリアル・シルクを手で揺らし始める……。
「波と、海か……それを、イメージし合って、伝え合っているんだね。レイチェル、君は、シルクの海のなかを、泳ぎたがっているのか」
―――笑顔の人魚は、まるで空に波を呼んでいるようだった。
遊ぶような陽気さがあり、それと同時に真剣な眼差しは狡猾な狩人。
妖艶を作り出すためには、どちらも有益な感情的な材料だった。
波のように揺れる布を、観客たちは見つめていき……。
―――それらが、螺旋を作るようにねじりをくわえられたとき。
始まりと、出会うのだ。
人魚はシルクの布たちに身を委ねて、高い場所から飛び降りていく。
布を腕と脚に絡めつけ、抱きしめるような力を入れながらひねればいい……。
―――マストに張られた帆で遊んだ経験が、人魚にその制御を完璧なものとさせた。
すべりながらも、それは落下の速度には遠く及ばず。
やがて、人魚の狙っていた場所で止まっていた。
空中に浮かぶような形となると、人魚は子供じみた笑顔になる……。
―――演技指導を考慮すれば、良いタイミングではなかったかもしれない。
妖艶な美女の雰囲気を作っていながら、ここで子供じみた笑顔は。
芸術の構成としては高い評価は得られないけれど、演技ではない感情はかがやくものだ。
心から楽しそうにしていられるのなら、それは他者も自分も幸せに導くものとなる……。
―――その一瞬の笑顔に、観客たちはまた新しく人魚に魅入られていった。
誰もが記憶のなかに、その笑顔を持っているからかもしれない。
誰しもが子供のころ、新たな遊びと出会ったときにそれをするものだから。
やさしくて、そしてどこかさみしくもある気持ちを抱ける……。
―――オトナたちは、夢で故郷を見たときと同じ気持ちになっていたし。
子供たちは『仲間』のすがたを、人魚に重ねてしまうだろう。
ここは遊びの場である、驚異的な技巧で演じる高度な遊びを楽しむ空間だ。
人魚はシルクを腕に巻きつけて、その場でくるくると縦に回った……。
―――海中で波を蹴って、踊りを見せ合うときのように。
人魚の尾ひれではないが、二本足に変化させた脚を使い切る。
空中で回転する人魚の舞踏は、たいまつの光を浴びてかがやくシルクと混じり。
まるで黄金色の海で遊ぶ、子供のようにも見えた……。
「なんて、楽しそうに……」
「踊っているんだ。空中で……」
「エアリアルって、あんなに、踊れるものなのかな」
「もう分かっているでしょう。彼女は、本物の天才なのよ」
―――人魚の大きな蹴りのような動作に合わせて、スタッフも反応した。
『上』にあげろと言われたような気がしていたし、実際その通りだ。
音楽が明白にしていたかもしれない、天幕の高みに伸びるような音調のなか。
スタッフは舞台装置を全力で操って、人魚を高みへと引き上げていく……。
―――エアリアルには、重力の制限は乏しい。
空中から吊り下げられた布にしがみつけるのなら、空を飛ぶような楽しさを得た。
スタッフたちの熟練を帯びた腕力のおかげで、軽やかに伸びる音と混じって。
人魚は天幕の高みへと向かい、浮かぶように飛んで行った……。
「まるで、さっきのジャンプみたいだ。ボクが、入江の星空に見た。レイチェル、君は、やっぱり、とんでもない天才だよ。お客さんたち、おどろきながらも楽しんでいる!ボクは、これを……みんなに見せたかった。見てもらいたかった君の魅力の、ひとつだよ」




