第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その五百七十七
―――エアリアル/空中演技のたぐいは、もちろん難易度の高いものだ。
道具の使い方も、およそ複雑なものであって。
ひとりで理解するのは、さすがの人魚にも不可能だろう。
つまり、誰かが教えてやらなければならない……。
「か、彼女の動きと、カラダに合いそうな布は、あります。シルクの、染色したものが」
「私が使おうとしていたものね。取り寄せに時間と銀貨がかかっちゃった特注品」
「す、すみませんっ。勝手に使ってしまおうとか、言い出してしまって……っ」
「いいのよ。怒るわけないじゃない。お客さんたち、こんなに喜んでいるのだから。もっと、喜ばせてあげたいわ。そのためなら、私の大切な布だって、喜んで差し出すのよ」
―――どれだけ提供できるのか、それがサーカス・アーティストとしての度量を決める。
私たちサーカス・アーティストは、サービス業者だから。
自分を常に差し出しながら、観客たちからも対価を得ている。
プライドもあるけれど、真のプライドの所有者は優先事項というものを知っていた……。
―――サーカスに流れ着いた者たちは、誰しもが笑顔を好む。
自分の笑顔はもちろんのこと、他人である観客の笑顔も大好きだった。
孤独な旅路を経た者も多く、心のなかに意固地な願望を抱く者も多い。
それでも、笑顔を好ましく思うという点では一致していたから……。
「あ、ありがたいですっ」
「いいのよ。まあ。問題は、それよりも……私が、模範演技を見せてあげられないっていう点よね」
「で、ですよね!さすがに、口頭じゃムリだし。り、リングマスターは怪力芸だし……っ」
「役に立たなくて、悪かったな……っ」
「そ、そんな風に言ったつもりじゃありませんけど。い、今は、今は役立たずですよねっ」
「うう。冷静で的確な指摘は胃の腑にこたえちまうぜ……っ」
「わ、私!!とにかく、人魚さんに合った最高のシルクを用意しますから!!ほ、他のことは任せましたあ!!」
「おう!!そっちは任せたぜ!!こっちは……任された……」
―――腕を組むリングマスターだったが、実際のところアイデアは見つけている。
人魚の学習と読解の能力に大きく依存した作戦ではあるが、おそらく問題はない。
エアリアルという『発想』を手渡すことだけに関しては、それで十分だろう。
だが、大きな問題があるから困り顔で腕組みしなければならない……。
「リングマスター、ボクが、やり遂げてみます」
―――リングマスターは大きく開いた右手で、自分の顔面をおおうように握りしめた。
どこかこの展開を、予想していた部分があった。
それがどこか卑怯な気がして、気高い彼は自分を恥じようとしている。
何せ、大きな危険を伴うアイデアなのだから……。
「却下したいが、どうにもこうにも……」
「いい文脈ですよ。ボクは、ピエロとして……子ぎつねを妨害する役回りがある。まだ、その文脈がお客さんのなかにあるから……『ボクが思い切り失敗しても、お客さんは許してくれますし……もちろん、レイチェルにエアリアルというパフォーマンスがあるって、分かってもらえるんですから』。一挙両得というか、まったく問題ないじゃないですか」
「問題は、大ありだ。お前が、エアリアル?アーティストどころか、一般人枠でも、かなりどんくさい方だろうが……エアリアルからの失敗というのは、つまり、高所からの……墜落なんだぞ?」
「ですね。上手に、伝えられない点は、無念ですよ」
「そこじゃねえよ。お前、死んじまうかもしれねえってところだ。死ぬのは、お前だって嫌だろう?」
「も、もちろん、とっても嫌ですよ。レイチェルと、ずっと、サーカスをしていきたいって、思っている矢先なんですから。でも。でも……」
「キャッチしてあげたら、いいじゃない。リングマスターがね。無様に落っこちるピエロの演目のフリをすればいいの」
「それでも、こいつのどんくさい落ち方だとなあ」
「やれるわよ。やってみたいと言い張っているんだから。アーティストのその種の自主的な主張って、リングマスターがくんであげるべき決意だわ。この子も、しっかりと基礎はやっている。歴の長い芸人になろうとしているのよ、大きなケガをしたとしても、致命傷ぐらいは避けられるわ」
「その通りです!死なないように、大ケガしますので!!やらせてください!!」
「……どいつもこいつも、オレも含めて。なんたる欲張りものかね。大ウケの夜で十分なのに、それ以上をやりたくなるなんてよ」
―――リングマスターは理解している、これも人魚の効果だと。
天才の才能が、周りを駆り立ててしまう。
十五才ぐらい若返った気持ちになれるし、先代も先々代もきっと同じ判断をする。
やらせてやればいい、団員がやりたいって言っているんだぜ……。
―――サーカスの因果からは、逃れられない。
地獄のような鍛練の苦しみにも耐えられるのは、最高のパフォーマンスを求めただ。
それがどうしても好きで好きでしょうがない生き物だから、逃げることさえ叶わない。
そもそも逃げたくないのだ、魂を捧げ尽くした道からは誰も逃げられなかった……。
「分かったぜ。骨の一本か二本ですますように!!可能なら、無傷でだ!!」
「はい!!がんばって、やり遂げます!!」
「おうよ!!見事に、無様な墜落をやりやがれ!!オレが、ピエロの胴元の役をして、受け止めながらも、もつれて倒れてやるぜ!!観客に、爆笑をあたえてやる!!」
「がんばりなさいな。ピエロってのは、本当に重要なんだからね」
―――軽んじられるのも、技巧のうちだ。
しっかり者は笑えない、ダメな者ほどヒトの心には笑いの種を植えられる。
サーカスのパフォーマンスを制御する、序列の力学。
それらをしっかりとコントロールするのが、ピエロの役回りのひとつ……。
―――男はメイクの乱れを直してもらいつつ、知識のなかで文脈との和合をデザインした。
『意地悪でお調子者、観客の楽しみを邪魔するピエロ』。
そのイメージを、心に描く。
サーカス・アーティストのいうイメージとは、微細な部分のすべても見通した像のこと……。
―――音楽的な演出の指示を、男は出した。
タイミングの指示も、同じく。
団員たちの全員が、100点だと感じられるほどには上出来だ。
リングマスターはその完璧さが、逆に心配でもあった……。
「最高にいいが、最高に普通でもある」
「……たし、かに……っ」
「人魚の舞台に適しているのかまでは、ちょっと自信が持てん。まあ、妥当だし。お前がやれるパフォーマンスのなかでは、十分だが……」
「では。もっと、上を。レイチェルの包容力のあるパフォーマンスを、活かすためには。あれは、『喜び』だから……その歯止めになる精神的な要素を選択して……つまり、『怒り』だ。ボクは、もっと、嫌われるような動きをした方がいい」
「理論的に、そうだったとしても。それをやるの、辛くない?今夜は、とくに、キツイわよ?」
「問題なんて、まったくないです。レイチェルの演技に、より良くつなげられるなら……」
「……大した芸を持っていないくせに。志は、十分に達人だ。なら、あんたの芸の足しになってあげる。私、登場だけするから……私を思い切り押し倒してから、エアリアル用の布を奪って、逃げちゃいなさい」
「た、立ってるだけでも、痛そうなのに……っ」
「あんたに比べたら、問題ないわ。倒れないように、リングマスターに抱きしめてもらうから。いい舞台装置をやるわ」
「……わかりました。よろしく、お願いいたします」
「ええ。いっしょに、最高のピエロを、やりましょう。しっかりと、観客たちからヘイトを浴びるのよ。その方が、あの子の演技に、挑戦の意味合いを持たせられる。お客さんが成功しないかもって、ドキドキハラハラしているのが、最高にいいものね」
「どいつもこいつも、サーカスの毒にしっかり当たっていやがって。座長業としちゃ、最高にありがたいぜ。よし……布も来たぞ!やるぞ!!」




