第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その五百六十八
―――リングマスターは心が躍る、リスクも承知してはいたが。
観客はなんとも残酷で、サーカス・アーティストの心をくじくヤジも飛ばす。
目当ての花形が代役を立てたと知れば、怒鳴り散らすかもしれない。
そうなれば、百点満点のパフォーマンスであっても満足してくれないものだ……。
「罵声を浴びせられたことは、ないだろうな」
「もちろん。ありませんね」
「サーカスの観客ってのは、そういうのも浴びせてくる」
「黙らせる方法は、あるのでしょうか?」
「あるとも。想像がついているんじゃないか?」
「圧倒的な力で、黙らせればいいだけ」
「その通り。単純明快だが、実際のところ、かなり難しいもんだ。罵声を浴びせられても、気にするな」
「まあ、気にしないと思います」
「いい肝っ玉だぜ。それが、やれるのであれば……次のステップがある」
「どういうものでしょうか?お聞かせいただきたいです」
「観客の罵声でも歓声でも、何でもいい。声を聞くんだ。声の向こう側にある、『態度』ってものを感じ取るようにする」
「態度、ですか」
「育ちの良い君は、その種の力学を感じ取れるだろう。貴族のたぐいは、生殺与奪の権利を幼い頃から行使するものだ。分かるかい?自覚は、あったか?」
「確かに。少しばかり。傲慢であったかもしれません」
「それは社交にとってはともかく、芸術にとっては、とても良いことだ。君の武器だよ。こいつのように、下っ端が染みついちまっている男とは真逆に、天性のスターという者は、横柄で、傲慢だ。才能は、周りを従わせちまう。そういうものなんだ」
「分かりました。傲慢さで、上手く感じ取るとしましょう……ここに集まった方々の、態度というものを」
「言葉とは裏腹のものもある。何なら、沈黙で態度を押し隠すことだって、観客という生き物はやってくるんだ。それらから、態度を読み取り……アーティストってのは、自分を注ぎ込むように行動しなくちゃならない」
―――芸術の理論というものは、いつだって難解さはあったけれど。
人魚にはリングマスターの言葉が、しっくりと感じ取れた。
才能があるということは、どこまでも理不尽なものだ。
百年の努力も、真の天才の一分間に及ばないときもある……。
―――芸術の理論の多くは、体験だからだ。
感じ取る能力が低ければ、読解のための時間は長大なものとなっていく。
その個人差は、とてつもなく広いものだ。
そのうえ、これがまた難しいことに……。
「芸術というものに、我々は命を懸けている。人生を捧げ尽くしているんだ。それでも、なお。この芸術というものは、一種の『くだらなさ』が必要だ」
「くだらない、ですか?」
「その通り。とくに、サーカスのそれは、『くだらなさ』が足りているべきだ。観客は完璧なものを見たいわけじゃない。見たがっているフリもするし、自分だって完璧を見たいと信じたがっているけれど、実際のところはそうじゃない……『オモチャ』だ。『オモチャ』を思い浮かべて欲しい。あれらは親しむための『足りなさ』がある」
「たしかに。どこか、滑稽なものですね」
「『オモチャ』はね、子供たちという観客に、すり寄るような態度がある。完璧さではなく、足りないからこそ。子供たちは想像力を掻き立てられる。完璧な美を作るんじゃない。どこか、粗削りさや、空虚さ……そういう、完璧からやや欠けた何かが、味になる。オレは、そいつを何かしら名づけてみたいんだが……いい名前が、まだ、思いついちゃいない」
「奥義のような、ものですね」
「そうだ。完璧じゃない。観客たちの態度を感じ取ってくれ。観客たちのなかにも、誰一人だって、完璧な者はいない。彼らの欠けた部分と、君が欠けさせた部分が、つながるように。意識してみてくれ」
「ええ。やってみますよ」
―――リングマスターがあれほど多弁になるのも、久しぶりなことだ。
男は驚きつつも、どこか納得している。
人魚の才能に、リングマスターは惚れ込んでいるのだ。
まだ演技を見てもいないのに、才能を見抜けてしまう……。
―――大した才能を持たない者に共通する、不安感が男の心に浮かんでいた。
劣等感だ、自分の周りにいる本物のアーティストたち。
才能ある彼ら彼女らと比べたとき、自分は欠けた部分が多すぎる。
人魚に分けてあげたいが、彼女の才能を汚染してはいけない気がした……。
―――それでも、『不完全ながらの美しさ』みたいなものがあるとすれば。
自分の欠点が人魚の力になることさえ、あるのかもしれない。
そうだとすれば、嬉しいけれど。
それを確かめる術は、今のところ彼の手元にはなかったから……。
―――ほほを叩き、気合いを入れる。
集中するのだ、過剰なそれは視野をせばめもするけれど。
不器用な芸人である自分には、十分だ。
やるべきことは数少ない、ピエロとして舞台に出た以上は……。
「もう一度、ピエロとして……『つなぎ』を持ってくるだけ」
「その通りだ。しくじるんじゃねえぞ!」
「は、はい!レイチェルが、やってくれるんだから!!ボクも、失敗はできません!!」
「……ウフフ。なんだか、気合いが入っていて。可愛いですね」
―――緊張のせいで、引きつった顔だったけれど。
どうにか微笑みとウインクをしてみせる、余裕ぶりたかったものの。
酷評され続けた自分の芸が、今このときに通じるものか分からない。
まして演目が変わったと、ばれてしまうのならば……。
―――自分のせいで、人魚に負担を背負わしてしまうかもしれない。
観客の空気は、今のところ最高だ。
どうやって、ピエロの登場で『つなぐ』べきなのか。
考える考える、感じ取れるほどの才能がないなら考えるしかない……。
―――努力は知識を積み重ねさせるものだから、男に策を与えてくれるときもある。
男がそのとき思い出せたのは、『ちいさなきつね』という昔話だった。
子狐が母狐を騙したケガをさせようとした罠漁師に、いたずらで復讐する物語。
この土地ではどんなちいさな子供たちだって知っている、有名なものだった……。
「レイチェル、ボクが観客に罠を仕掛ける意地悪なピエロの役だと思われるから。君は、ボクを思い切り蹴飛ばしてから、演技に入るんだ!」
「おお。そいつはいい作戦じゃねえか。『ちいさなきつね』のかたき討ち。母親狐の代わりに、若い子が演じると」
「若い子って、言い方は腹が立つけれど。いい作戦ね。私は、まだ若いけれど。母狐になってあげるわ」
「……ふむ。なんとなく、読めましたので。貴方のお尻を、いいタイミングで蹴りつけるとします」
「思い切りだよ!手加減があっちゃ、それだけ流れが悪くなるからね!ボクは、意地悪で憎まれるべき悪役ピエロで、君はちゃんと復讐をしないといけない。みんなを、笑顔にするためには、これが、きっと、いちばんだ!!」
「……自分を、悪者にしてまで、サーカスをしたいんですね」
「あ、ああ。まあ、そうだね。みんなと、やるから。ボクが、足りないなら。君や、みんなが……」
「ふむ。なるほど」
―――『欠けている部分』があった方が、きっと人は引き込まれるのだ。
その理屈をまたひとつ、人魚は読解することがやれた。
頼りないけれど、必死でがんばろうとする努力家の男を見ていると。
ずいぶんカッコよく見えたからで、それはきっと彼の態度に秘めれたもののせい……。
「サーカスが、大好きだからね!!お客さんたちを、笑顔にしよう、レイチェル!!」




