第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その五百六十五
―――才能は、周りを自分に尽くさせるところがあった。
望もうと望むまいと、人魚にはその才能があるのだと男は確信している。
このサーカスの天幕の下でなら、圧倒的なまでに彼女は輝けるに違いない。
それに男は賭けてみるべきだと思った、まだ彼女の意志を聞いてもいないのに……。
「何か、策があるのなら、やってみて欲しいの。ちょっと、私、ムリそうだからね。お客さんたち、たくさん見に来てくれているもの」
「う、うん。それじゃあ、ちょっと、協力してくれないか」
「リングマスター/団長には、私から口添えしておく。あなたは、実力はないけれど、目は肥えているから。だから、クビにならずに今日までやってこれた」
―――不名誉だと思えるほど、実力もないのも確かだった。
才能はまったくもってない、欠片もない。
だとしても、目だけは肥えているし知識は蓄えられているから。
努力が裏切らない分野に、知識というものがある……。
「そういうしつこさに、賭けてあげるわよ」
「う、うん。絶対に、説得してみせるから」
「そう。それなら、やってみて。珍しいことだけど、期待してあげる」
「期待されるのには、なれちゃいないけど。今回だけは、成し遂げるよ」
―――どうにかこうにか、やり遂げるのだと覚悟を決めながら。
男はお客さんたちの間を抜ける、アーティストだとは気づかれない。
良かった、ショーの邪魔にならなくて助かった。
自分の得意分野である、『目立たない』という点は……。
―――サーカス・アーティストとしては、とてつもなく致命的ではある。
まあ、今夜はそれが苦にならない。
お客さんたちは舞台に夢中になってくれているし、人魚は自分を待っていてくれた。
魔法が解けた絵本の1ページみたいに、泡になって消えてなくて本当に良かった……。
「奇跡みたいな、ものだからね。君と出会えたことは」
「……あら。愛の告白ですか?」
「そ、そう……そ、そそ、そうじゃあ、ないんだけど。で、でも。その、あの、ひ、一目惚れはしていて」
「でしょうね。私の、跳躍に」
「君なら、やれるよね」
「先ほどの方が、やろうとしていた行いですか?」
「動きを、予測していたかな。あのロープの上で、跳んで跳ねて、踊るように回る。華麗に、美しい。キレイで、ワクワク、ドキドキさせるものだ」
「そのような考え方で、跳んだことはありませんが」
「大丈夫。ボクが保証してあげるよ。君のなかには、もうあるんだ。サーカスは、君の心に宿っている。理解力が高いし、何より、ここは……きっと、君にとって、大切な場所になる。才能が、あるんだ。圧倒的な、才能が。入り江で、見たよ。星空で、君は……」
「あれは、あなたのために飛んだだけです」
「今度は。世界のために、飛んでみて。みんな、ね。幸せだとは限らないんだ。辛くても、それでも、みんなどうにか楽しみを得ようと、がんばってここに来るんだ。お金だって、安くはない。貧乏な子たちは、こっそりのぞくようにテントのすき間から……子供を亡くした母親もいる。戦死した恋人との思い出をたどるようにして、ここに来た女の子もいる。親を亡くした孫といっしょに、来たおじいさんも。みんな、みんな。不幸だけど、だからこそ、笑顔が必要なんだ!」
「ああ。そうなのかもしれませんね。だって、貴方は―――」
―――そんなに必死な顔をした人物を、見たことはない。
ここに集まる者たちは、この男にとって他人のはずなのに。
地上に不幸があふれているなんて、当たり前のことなのに。
謎は人魚の心をつかむ、どうしてこの人はここまで他人に笑顔を届けたいのか……。
「お願いだよ。ボクには、どう転んでもできやしない。でも、レイチェル。君になら、やれるんだ。みんなを、がっかりさせたくない。さっきの演技の続きがあると、みんな信じている。期待している。いちばんの演目を見せないで、お家に帰らせるなんて……それは、ダメなんだ。君に、頼るしかないのが、情けないけれど……君なら、やれる。だって、ボクを笑顔にしてくれたんだから」
―――ふむ、と人魚は考えた。
誰かを笑顔にしてあげることが、この男の幸せなのかもしれない。
笑顔でいる者を見れば、何故だか不思議と自分も嬉しい気持ちになれるからかも。
いや、あるいは……。
―――いずれにしても、すべきことは決まった。
笑顔の価値を探るために、やってみよう。
ロープの上で跳躍したことはないけれど、人魚の才能に不可能はない。
むしろ、さっきの人間族は……。
―――ああ、努力をしたのだ。
とてつもない努力をしなければ、人間族の身体能力ではロープの上に立てもしない。
不測の事故さえ読み解けるほど、道具と会話したりもできない。
ここにある芸術たちは、努力に磨き上げられたものばかり……。
「お、お願いだ。レイチェル。君の願いを、言ってくれたら。何だって叶えるから」
「ええ。その言葉、聞き届けましたよ」
「じゃ、じゃあ!」
「やってあげます。貴方の笑顔は、とても興味深い謎がありますから」




