第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その五百六十三
―――目標は明確になった、この人魚の女の子なら理想を形にしてくれる。
天才的な才能に、自分の努力が勝ち取らせた知識を与えるんだ。
心が躍ったけれど、そう言えば。
彼女は本当に、サーカスに来てくれるのだろうか……。
―――分からない、確証はない。
そもそも伝説みたいな種族の人魚は、サーカスを知らないかもしれない。
どうすれば、どうすれば。
ああ、そうだ全てはサーカスの天幕の下にある……。
「こ、こっちに来てくれ!今夜はね、ボクが所属させてもらっているサーカスが、すぐそこで公演しているんだ!あ、そ、それとも。今夜はいそがしいのかな!?だ、だったら、だとしたら。明日でも、明後日でも、明々後日でもいい。今すぐ、み、見てほしいけれど。でも、でも!ずっと、待っていられるよ!すごく、楽しい場所なんだ!君に、知って欲しい場所なんだ!ボクが、人生を捧げている場所なんだ!」
―――そこまで必死に誰かを誘うなんて、彼にとっても初めてだった。
人魚の女の子にとっても、それは初めてのことだ。
才能と力にあふれた自分に、こんな弱っちい者がひるむことがない態度で。
サーカスに行こうと、誘ってくれるとは……。
―――あまりの必死さが、必死さそのものの顔が。
人魚の女の子の心を、手よりも強くつかんでいたの。
笑顔を作って、うなずいてみる。
まるで幼子みたいな笑顔に出会えた、ヒトはこんな笑顔になれるものなのか……。
「さあ、サーカスを見てくれ!こっちだ!!そ、そうだ!?陸は、大丈夫かな!?歩けないなら、ボクが背負うよ!!……って、ああ、すごい。人魚って、二本足にもなれるんだね!!さすがだ!!やっぱり、君は、サーカスに愛されている!!」
「すがたが変わったのに、驚かないの?」
「え?なんで?」
「ヒトは、人間族は、亜人種を嫌うものでしょう」
「知らない。いや、そうなのかも。でも、そんなことは、どうだっていい!ボクは、サーカスを君に見せてあげたいんだ!」
―――興味は尽きない、意味不明な言葉であったはずなのに。
この男には、人種の違いが通じないのだろうか。
誰にでも分かるはず、ヒトは自分たちと異なる部分を嫌うものだ。
人魚であっても人間族でもあっても、お互いは違うという認識に生きている……。
「さあ、いそごう!」
「わ!?ちょ、ちょっと」
「走るの、慣れていないの?それなら、やっぱり、背負うよ!」
「いやいや。あなたの四倍は速く、走れるわ」
「さすがだ!それなら、花形の演技が始まるまでに間に合うね!!」
「なんの、ことだか……」
「もちろん!サーカスのことさ!」
「でしょうね。フフフ。まあ、おかしな人間族に、付き合ってあげましょう」
―――伝え聞く、悪いハナシは数多い。
海の波の底の底まで、地上の残酷さは届いていた。
どれだけの戦いが繰り広げられて、どれだけの悲しい戦死者が海に落ちてきたのか。
どれだけの嘆きに地上があふれて、こぼれるように悲しみは海の底……。
―――きっと、男はそういう世界とは。
別の生き方をしているのかもしれない、そんな誤解が出来るほど。
男は、子供じみた笑顔のままサーカスへと案内してくれる。
まあ、誤解ではあるのだと気づきもしていた……。
―――だって、あれほど悲しそうに泣いていたのだから。
地上は、おそらく悲しみに満ちてはいるはずだ。
男はわざわざお金を払い、自分の一座のいちばんいい席を人魚に与えてくれる。
開園までに間に合った奇跡を、彼は涙のあとがまだ残る笑顔で喜んだ……。
「前座が、大ウケしていたみたいだね。いやあ、やっぱり、ボクじゃない方がいいんだね!お客さんたち、大喜びだ……は、はあ。ち、力不足を、また思い知らされちゃうけれど。でも、お客さんたちが喜んでいて、良かった!それに、君に、最初から本気の公演を見せてあげられる……いや、前座も、あった方が完璧だったけど……とにかく、良かった!!」
―――人魚は不思議だった、どうしてこの男はこれほどうれしそうなのか。
まだ、彼がこの天幕の下に全てを感じ取れるような男と知らなかったから当然だ。
彼にとっての、『世界の全て』がここにあるのだから。
どんなに苦しくて、どんなに絶望したあとでも笑顔になれる……。
―――まして、最高のサーカス・アーティストを見つけたあとならば。
やるべき道が、よく分かった今となっては。
これほどの喜びに、あふれたサーカスはなかった。
司会の芸人が、大げさな玉乗り芸で笑いを取りながら……。
「サーカスが、始まるよ!ああ、君の……君の名前は、そ、そうだ。とっても大切なことなのに、聞いていなかったよ。君の、名前は……」
「レイチェル。レイチェル・ハーロックっていうの。人魚のなかでは、最も古い一族のひとつよ」
「レイチェル・ハーロック。とっても、良い名前だ。それに、ハーロック……伝説の、人魚のお姫さまと結婚した王子の、名前と似ているね」
「どっちも、遠いご先祖さまだもの。似ていて、当然よね」
「そ、そいつはすごいや……っ。でも、ああ、始まる!サーカスを、楽しんでね!」




