第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その五百四十
―――帝国兵は強情だったね、ときどきいるものさ。
筋金入りの亜人種嫌いという者は、いついかなるときも亜人種を信じられない。
ここには人間族の薬草医たちもいたけれど、『自由同盟』と絡んだ時点でダメだった。
『汚染されている』と信じ込むのさ、じつにありふれた誤解である……。
―――ガンコな男だった、刻一刻と生きるための確率は落ちているのにね。
亜人種を汚らわしいと信じているし、自分の体に悪影響を及ぼす薬しか使わないとも。
わずかに動く体を使い、投薬を拒んでいる。
助けるべき負傷者はそこら中にいるからね、状況によればこの男を無視すべきだ……。
―――医療行為を拒むのだって、ある意味では当人の自由ではある。
死にたいのなら、死なせてやるのも個人的には悪い選択とは思ってはないよ。
それでも、リエルがこの男の強情さに付き合ってくれるとは限らない。
カミラがそばにいるんだ、『吸血鬼』という圧倒的な力を持つ者がね……。
「カミラ、その男を押さえつけておけ」
「は、はいっ!」
「……やめろ!オレに、触れるんじゃない!」
「知ったことか。触れられたくないなら、せいぜい暴れてみるがいい!」
「リエルちゃん!ちょ、挑発しないでっ。この人、き、傷が……深いから……」
「はらわたが飛び出るかもしれんな。縫い合わせたばかりの傷が、また裂けてしまうかもしれん。そうすれば、確実に死ぬ。死にたいか?そんな目に遭って死ぬのが、兵士としての本懐だと言うのか?」
「うる、さい……」
「お、お願いっす。暴れないで、押さえつけてはいるっすけど。き、傷口は、本当に深くて……」
―――はらわたが飛び出るなんて、戦場で捨て置くべき深手だったかもしれない傷だ。
止血の秘薬がなければ、この男はもう死んでいただろうね。
それでも、貴重な薬をリエルは使ったよ。
ユニコーン騎兵の槍に突かれて、生き延びた猛者を評価しているのかも……。
「な、なんて、力なんだ……っ」
「カミラは強い。お前ごときでは、どうにもならん。さて、秘薬を使ってやるとしよう。お前の大嫌いな森のエルフの秘薬をな」
「ふざける、な!そ、そんなものを、オレに注射するんじゃない!!」
「い、いい薬なんすよ!?た、たぶん、生き延びるのはそれしかもうないっす……傷はもう縫い合わせているっすけど。それよりも、深い場所で……壊されている。縫えないほどの深さだから!」
―――『吸血鬼』の血を操る力も、万能というわけじゃない。
出血のコントロールがやれたところで、破綻した傷口のすべてが治癒はしない。
傷口なんて縫い合わせるしかないのだけれど、縫えないほどの深さの傷もある。
リエルが発言していた通り、致命傷を負った半死人というのが診断結果になるよ……。
「一か八かなんすよ。もう、生きるためには、これに賭けるしか」
「毒でも、盛る気だろう……っ」
「それをやる価値があれば、やってやるのだがな。お前を殺したければ、この手で殺しているところだ。弱者には、死ぬ権利さえも奪われるときもある」
「うるさい……我々の敗北は、一時的なものに過ぎん。すぐに、明日にでも。お前ら全員を、八つ裂きにするだろう。帝国は、負けないんだ……」
「試してみるがいい。さて、注射の時間だぞ」
「や、やめろ……っ」
「暴れさせないっすよ。縛ってでも、ぜったいに」
「……その通り。押さえておけ、すぐに終わる」
―――リエルの処置も、ずいぶんと手慣れたものだった。
血止めの秘薬を打ち込んで、そのあとに造血の秘薬も打ち込んでいく。
帝国兵の男は、語彙が許す限りの罵詈雑言を叫んでいたけれど。
リエルの表情が変わることはなく、ただ冷静に処置をしていくだけのことさ……。
「不満そうな顔をしているが、薬は打たせてもらったぞ」
「……余計な、真似を」
「はあ。治療を拒むなんて、悪い患者っすよ!」
「誰が、患者だ。オレは、帝国の兵士だ」
「帝国軍の兵士だったとしても、自力で動けない重傷患者っすからね。治療はするっすよ」
「……ふざけんな。毒ばかり、盛っているんだろう」
「アタマに血が回っていないようだな。同じような言葉ばかりほざいている。だが、それでいい。今はアタマに血を使うよりも、生きるために血を使え」
「うるせえ、エルフめ。呪われた、エルフめ……っ」
「呪われたエルフか。我々からすれば、帝国こそ呪われた存在だ」
「我らが帝国は、あらゆる神々から祝福されている……」
「そうだろうかな。もしも、その言葉が真実ならば、お前はこんな目に遭わされているだろうか」
「試すんじゃない。試すな。そうやって、オレを尋問するつもりなんだな……っ」
「お前にそれほどの価値があるとは、思ってはいない。何か特別な地位についているとでも言うのか?」
「オレは、元・『第九師団』だ……ライザ・ソナーズさまの、部下だった」
「ライザ・ソナーズに、忠誠を抱いていると?」
「その通り。曾祖父の代から、オレの家は、ずっと……ソナーズ家に仕えてきた。帝国の建国に、誰よりも貢献した古き名家……」
「私たちを、恨んでいるらしい」
「……その通りだ。お前たちが、亜人種びいきの『魔王』が、姫さまを……っ」
「違うぞ。ライザ・ソナーズを殺したのは、皇太子レヴェータである」
「ウソを、つくな……」
「ウソをついているのは、お前の方じゃないか?信じたくない事実があったとしても、それと向き合え、大人ならば」
「姫さまは、愛されていた。皇太子レヴェータ殿下に……いつも、笑顔で……」
「笑顔を演じられる女と、お前は出会ったことがないのか?」
「うるさい。違う。殺されたんだ。お前たちに……っ。奪われたんだ。姫さまは、栄光ある未来を掴むはずだった……皇太子レヴェータ殿下のお妃に……やがては、こ、皇帝となられるはずの御方の……皇后陛下となられたはず……その未来を、お前らが奪った」
「敵であったのは事実である。ライザ・ソナーズが生きておれば、我々が暗殺しただろう。ソルジェが女を殺すのをためらうのなら、私がこの手で殺したかもしれん。だが、事実は違う。レヴェータは、邪悪な呪術の虜だった。ライザ・ソナーズも、呪術の生贄にされた。道具程度にしか、思われていなかったのだぞ。そんな目に遭わされた女が、本当にレヴェータを愛していたと?それが見抜けぬ女であれば、アリーチェも懐きはしない」
―――世界はそれほど広くはないからね、その言葉に男は反応していた。
ライザ・ソナーズに長く仕えた者であれば、もちろんバハルたちも知っているからね。
エルフの妻を娶った、勇猛果敢な騎士がいたことはこの男も知っている。
その結婚のせいで、バハルが失墜する憂き目に遭ったことも……。
「あんな結婚を、するからだ……誰も、誰も幸せになっていない。バハル殿も……誰も、彼もが……」
「不幸はあった。幼くしてアリーチェは死んだのだろう。まだ生きる喜びも、死への恐怖や未練も知らぬ年のまま」
「『狭間』だから、そうなる……」
「それは違うな。ただの不幸だ。ありふれた、自然のいたずら。無慈悲で、理不尽な。ただの不幸が幼子の命を奪ってしまっただけ。それでも、そのわずかな時間のあいだ。アリーチェは、ライザ・ソナーズに懐いたのだ。『狭間』だからといって、あの人買いの元締めみたいな女は、アリーチェを嫌わなかったのだろう。それも、ライザ・ソナーズの真実のひとつ。お前は、仕えた主の真実を、どこまで否定したいのか」




