第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その五百九
―――『ツイスト』大学の学長である、フラビア・ステイシー。
涼を取るために開け放たれた窓の下で、張りのある声で演説する若者を見ていた。
学問の世界で生きることが許されてきた彼女も、多くの争いを間接的に体験している。
長く生きるという意味は、多くの戦争と出遭ってしまうことでもあったから……。
―――教え子たちのなかにも、大勢の軍人がいたものだったが。
彼らの少なくない数は、やはり戦場で死んでしまっている。
都市国家同士の争いも、散発的には続いてきたからね。
人類の歴史は、基本的に戦いから逃れられはしないものだ……。
「少しでも、死者を減らさねばなりません」
―――学問の戦争利用について、フラビアはあまり乗り気ではないけれど。
この期に及んでは、もはや選択の余地もないと決断している。
積極的に争いに参加するのが、正しい道だったかどうか。
それについての判断は、いつか歴史が下すと彼女は知っている……。
―――勝てば、歴史は評価するだろう。
革新的な選択であったと、フラビアたち現代の学長たちを讃えるはずだ。
負ければ、なんとも愚かな者たちと罵られるだけ。
歴史というものは重みがあるくせに、価値については実に不安定なものである……。
―――フラビアが多くの仕事をこなすことになった理由は、『モロー』にあった。
あそこから解放された奴隷たちが、『プレイレス』全域に戻るための中継地。
それにこの『ツイスト』の港が選ばれたからで、彼女もその役割を名誉だと考えた。
もちろんリスクもある、食料について各都市に催促しなければならない……。
―――事務仕事だけでも、とてつもない量になっている。
学生たちが多くを手伝ってくれてはいるものの、最終的な責任者は彼女だからね。
引退したくなるほど、この夏の激務は彼女を疲弊させていた。
でも、周りの学者たちは『学長になりたい』という主張を控えている……。
「大きなチャンスなんですけれど。私は、今なら、喜んで学長の座を譲り渡すのですがね。選挙も必要じゃありませんよ。私は、余生の送り方を、もう少し気楽なものとしたいと考えていたはずなのですが……」
―――植物についての研究も、してみたかったのに。
さまざまな分野に対して、知的好奇心があるフラビア。
彼女は農業研究に対しても、薬草医や錬金術師の組合にも興味があったのだが。
しばらくは戦争への対策に、追いかけられることになる……。
―――リサが、レイ・ロッドマン大尉と共に現れたとき。
何かしら変化が孫娘に生じたのだと、彼女は理解した。
でも、それが好ましいことかは分からない。
ひとつだけ言えるのは、孫娘は数時間前よりずっと『戦争に興味を持っていた』……。
「学長。レイ・ロッドマン大尉に、新しい船を提供してあげたいんです」
「なるほど。その許可は、すでに出しているはずですよ。しばらく待ってくだされば、船に空きが出るでしょう、大尉。いや、元・大尉でしょうか?」
「大尉で、呼んでくれて結構ですよ。呼ばれなれては、いるので」
「了解しました。では、もうしばらく待ってください」
「船が、余ってないのは知ってはいるんですがね。保険をかけておきたいんですよ」
「保険、とは?」
「……大尉は『西』での争いに、メイウェイが派遣されると考えているようです。大尉にとっては、長らくの友人でもある」
「メイウェイ殿ですか。なるほど。カール・エッド少佐は、『イルカルラ』の軍勢を嫌っているとの報告もありましたが……でも、大尉。予想でしょう?」
「そうそう。まだ予想なんですよね。これから、どうなるかは流動的じゃありますが」
「根拠がある。経験に基づくものかしら?それとも、情報が?」
「前者ですな。情報があれば、素直にお伝えしたいところですが……政治や、軍事というものは、いつだって予想の範囲を越えるものじゃありませんので」
「そうかしら。四週間前まで、『プレイレス』が帝国から解放されると信じていた者は、ほとんどいませんでしたが」
「ああ、訂正しましょう。勝つか負けるかについては、極めて流動的はある。だからこそ、勝つ保険をしていて損はないんですよ」
「ふむ。そうなのかもしれませんね。少なくとも、勝てなければ……大学半島は滅びる」
「それだけではすまないわ、学長……」
「……そう、ね。私は、ちょっと思考に制限をかけてしまっているのかもしれません」
―――フラビアは考える、自分は臆病になっているのだろうと。
当然の傾向だとも、自己診断しながらね。
誰にとっても、背負いきれない責任に対しては消極的になるものだ。
この戦いにもし負けたら、大学半島だけの命運が尽きるだけではすまない……。
「『プレイレス』の運命も、終わるわ。だって、ユアンダートに大きな口実を与えてしまったもの」
「逆らって、しまったから。かつては、『プレイレス』の文化に対して、ユアンダートはリスペクトをしていましたが……今では、良くない印象しか持っていないでしょうね。息子も、『プレイレス』で死なせてしまった。悪夢のような出来事を、彼は忘れないでしょう」
―――息子を戦争で失うのは、とてつもない苦しみを親に与えるものだ。
フラビアは、よく知っている。
古い戦争を記念するように、いくつもの季節で手紙が届いた。
それらの書き手は、息子を戦争で亡くした『ツイスト』大学の生徒の親たち……。
―――悲しみを共有することで、癒しや納得を探しているものだ。
何年経っても、何十年経っても。
戦争に息子を殺された親の感情は、元通りに戻ることはない。
不在の季節が重なるほどに、ありえたはずの未来が語りかけてくる……。
―――命というものは、人生というものは。
なかなかに大きなものであってね、それを奪われるという痛みもまた大きいんだ。
それでも、『未来』についてやれる手段があるのは。
現代だけだった、誰もが学長の座を狙わないのはその重責に怯えているからだ……。
「多くの、苦労を伴うでしょう。優先すべきは、解放された奴隷たちが故郷に戻ること。いつまでも『ツイスト』に大勢の人口を抱えていては、非効率ですし。船を失うのは、痛手ではありますが……見合うだけの価値があるのなら、大尉。あなたに船を与えてもいいでしょう」
「つまり、作戦を説明しろと?」
「具体的なものでなくてもいい。どういう意志のもとに、行動するというのか。それを語ってくれたなら、私も貴重なリソースを、あなたに提供すると言っているのです。納得できないようなものならば、修理の順番をお待ちください、と言い返すだけになる」
「クールですなあ、分かりましたよ。オレが、次の戦いでしたいことについて、お話させていただきますぜ」




