第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その五百三
―――アーベルにとっては、新しい運命の始まりだった。
誰にでも師匠というものがいた方がいい、特に若い時にはね。
その一般的な事実を、他ならぬアーベルは理解していた。
彼は自分の実力不足を感じていたから、より強く成長したいんだよ……。
―――メイウェイという軍事的な天才のそばにいれば、成長は大きいだろう。
仲間を殺された恨みを晴らすためにも、この乱世で生き延びる力を得るためにも。
力を蓄えなければならない、そのためにならば何だって選ぶ。
そう決めているからこそ、ここに来たわけだが……。
「浮かない顔を、するものじゃないよ」
「……知っている。だが……」
「帝国の側として、生きてきたわけだからね。先に裏切られたとしても、『自由同盟』側につくのであれば、裏切りの感覚を味わう羽目にもなる」
「……思ったよりも、つらい」
「素直な表現だ。私も、同じ迷いを知っているよ。アドバイスは、欲しいかい?」
「……いや。いらない」
「なら。ただの独り言にしておくよ」
「おい。それじゃ……」
「裏切ったとは、思わないことだ。『正直になった』と考えるといい」
「あんたは、本当にそんな考えをしたのかよ?」
「軽蔑したかな。だが、私の個人的な経験では、そうだよ。多少なりと、裏切り者を見てきたけれど、彼らの全員が、けっきょくのところは『より本当の自分』に近づいて見えた。脅迫に負けたという者たちもいたが、それは少数だよ。人生というものは、作家のつくり話のような複雑さにあふれているものじゃない。裏切るという選択には、およその場合、自らの正直な意志が働いているものだ」
「オレが、『蛮族連合』に従いたいとでも?」
「そうだろうね。ああ、怒らなくていい。怒る権利も、実は君にないんだ」
「あんたが、上官だから?」
「いいや。これが『私の独り言』だからだよ」
「あんた、意外と性格が悪いのか」
「相手に対して、少しは伝え方を考えるのも大人という生き物だからね。だが、私が『意外と性格が良い男』だと認識してくれていたのは、ありがたい。部下になった君について、またひとつ知れた」
「……賢い男ぶっていると、見誤るぜ」
「人を見る目は、観察が養ってくれるからね。知識ではない。これは、実践と経験だけがものを言う。君も、学ぶといい。私は、自分を信用してくれる兵士に、肩入れをする男だと」
「……覚えておく。利用するために」
「それでいい。大いに利用するがいい。君には生き抜いて欲しい。乱世で死ぬ若者は、少ない方がいいからね」
「年寄り臭いぜ、そんな年でもないだろうに」
「君もそのうち、分かってくるよ。自分より年下の兵士が、周りにいると。彼らを死なせたいとは思わなくなる。生き残るほどに、罪悪感が強まりもするからね。彼らは死という最大の貢献を果たしたのに、私は生きている。これは、私の努力不足なのじゃないかとさえ、自虐したくなるのだよ。君にも、近しい感覚があるはずだ」
「……仕えるべき人たちも、仲間も死んだからか?」
「そういう感覚が、『広がっていく』ものだよ。年を取れば、やさしくなれるからかもしれない。だが、私の場合は、確実にそれだけじゃない。死んでいった者たちが、そこら中の土に融け込んでいるような感覚があるんだ。彼らは、私をじっと見ている」
「気持ちの悪いことを、言うなよ」
「それが、私の罪悪感の形ということさ。『まだ生きているのか?』……そういう声が聞こえてくる。『帝国を裏切りやがって』とも言えば、『アインウルフ将軍を説得すべき立場のお前が、何をしているのか』とも怒鳴られるのだ。罪悪感というものは、ことのほか大きくて、重たい。ひとりの男から、自由意志を奪いそうになるほどにね」
―――アーベルは、バハルたちの教えのなかに生きていたから。
やや騎士道が入った考えというものを持って、今まで生きてはこられた。
でもね、メイウェイは生粋の兵士だよ。
騎士と兵士のあいだには、大きな考え方の違いはあった……。
「こういった罪悪感にさらされたとき、私は気がつけたよ。死者たちの声も、正しいのにね。彼らはアインウルフ将軍も信じていただろうけれど、皇帝ユアンダートも信じていた。亜人種を根絶やしにしたがっていた男は少ないだろうが……『人間族第一主義』を実現することで、自分も家族も、そして故郷も豊かになるとは信じていたのだ。その理想のために、死んだ。どれほどの重みだろうか。私は、死した戦友たちを裏切っているのだよ。大勢のね」
―――アーベルは、言葉に困っていた。
反抗心の目立つ少年ではあるけれど、感受性にも優れている。
とくに身分の高くない者同士の、階級的な共感があった。
貴族や騎士たちは、こういうときちょっと違う考えをやれるからね……。
―――ソルジェもマルケス・アインウルフも、自分の選択を疑わない。
どれだけ大勢の命が、何かしらの掲げられた『正義』のために消費されてもね。
気高さという感覚は、本当の意味で迷いはしないものだよ。
犠牲をいとわないわけじゃないけれど、犠牲よりも目的を本能的に信じられる……。
―――『特殊な考え方』ではあって、身分の高さがそれを本能的に許してしまえるんだ。
幼い頃から生殺与奪の価値観のなかに、貴族や騎士は生きているからね。
幼く無力で無価値な自分のために、全身全霊で尽くす手下が周りにいるんだ。
一種の慣れだよ、他者の死でさえも気高さを止めることは出来ない……。
「アインウルフ将軍は、迷ってはいない。ソルジェ・ストラウスもだ。人間族の身でありながら、他種族と共に生きる。人間族を裏切りながら?……彼らはまったく苦悩はしていない。自分が正しいと信じているからだ。世界のすべてが『違う』と叫んでも、彼らは自分たちを貫くことに躊躇もしない」
「傲慢な、ところがある……のかもな」
「プライドや気高さとは、傲慢さのことだよ。死者の声や、周りの声など気にせずに、ひたすらに突き進める者は、なかなかにいない。少なくとも、私や君は後ろ髪を引かれている」
「……あいつらは、違うってか」
「おそらく、君の養父殿もそうだったろう。愛する妻がエルフであり、生まれた娘がハーフ・エルフであっても、そして、養子としてハーフ・エルフの少年を育てたとしても。帝国軍の戦力として、忠誠を尽くした。その道には、矛盾も多いはずだが、彼は迷ってはいない。周りの亜人種たちからは、疑問をぶつけられただろう。君もじゃないか?……帝国は亜人種を迫害しているのに、どうして忠誠心を持てる」
「……ライザ・ソナーズさまに、忠誠を捧げていただけだ」
「そうだろうね。でも、間違いなく彼も『迷っていなかった』。ああいう特性は、騎士や、貴族という『生まれ』の、恩恵みたいなものだ。本当の意味での自由には、気高さがいる。私と君には、彼らと比べて、少ないものだよ」
「……お互い、ろくな生まれじゃないと。周りの、死者の声に、邪魔されちまうほど、弱いってか……」
「まあ、一種の弱さだろう。それだけに、必要な処方もあるのだ。『裏切り』ではなく、真実の自分により近づいたと認識しておきたまえ。それが本当に正しいかどうかは、『関係ない』」
「……は、はあ?」
「必要なのは、戦場で耐えきれるかだけだ」
「嘘でも、信じておけばマシだと?」
「兵士としては、それでいい。罪悪感に囚われた者が、より強くなれるというロジックは、そういうものだ。『何か正しいことで穴埋めしたがる』。それが、組織への忠誠だったり、勝利だったり、努力だったりするだけのこと。アーベル。君は、騎士の気高さを、今のところは持てていない。戦場でしぶとく生きるためには、兵士として振る舞え」
「……命令なら、そうする」
「ならば、『蛮族連合』という言い方は、あらためるがいい。『自由同盟』だ。君が『正しいと思い込むべきこと』は、自らと同じ立場である『新しい同胞』たちのために、死力を尽くすという覚悟だよ。亜人種と、『狭間』と、人間族……すべての種族の共存のために、君は帝国軍という敵兵を殺す。自分も含み、『同胞』を幸福にするためにだ」
「……命令なら、そうする。『自由同盟』……」
「それでいい。概念に、自ら新しい名前を与えて、呼ぶ。それこそが選択だ。私たちのさほど多くはない自由意志を表現する稀有な機会だ。君は、『自由同盟』の兵士となった。これは、君の人生のなかで、多くはなかったはずの自己決定である。そして、おそらく人生で最も重要なものだ。もう一度、言おう。君は、『自由同盟』の兵士となったのだ」




