第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その四百九十一
―――リサ・ステイシーの書き上げたメモ書きは、とてつもなく正しかった。
そして、ずいぶんと学術的なものだったから。
のぞき見している『トリックスター』には、ちょっと理解できない。
神さまの特権で、ちょっとだけリサをおしゃべりにすることにしたけれど……。
「相手に対しての『共感』を消し飛ばさなければならないの。同情するから、弱る。サー・ストラウスみたいな英雄や、変わり種は無視。ああいうのは、一般的じゃないもの」
『一般的じゃない。フツーじゃないってコトだね。それは、すごくわかる。ソルジェは、特別なヒトだもの!』
「『共感』を消し去るための、メソッドがある。『心の距離』を設定すること。つまり、帝国軍と、『自由同盟』は『違う』んだって、思い込むように誘導するの」
『とっくに、違うよね。亜人種や『狭間』を、あっちは殺したがっている』
「それを、『おぞましい行為』だと信じる。露骨に言えば、『あいつらこそが間違っていて劣った連中である』。そう言い聞かせるの。そうすれば、私たち『自由同盟』とファリス帝国は、ますます『心の距離』が生まれる」
『嫌い合うカンジだね。ちょっと、怖いカンジもする』
「帝国の慣習を、バカにするの。連中は、けっきょくのところ『プレイレス』の古王朝の文化に嫉妬しているだけで、戦争に勝てただけの破壊者に過ぎないと……『偏見に満ちた物語』を用意すればいい。悪口を言い合えば、その組織同士って、ちゃんと仲悪くなるでしょう」
『そうかもしれないね。悪口は、相手を遠ざける。でも、悪口を言っている人たち同士は、たぶん結び付けている』
「遠ざける。『心の距離』を、設定してあげるのがコツ。これは、帝国軍も使っているわね。『亜人種は劣っている』。人間族第一主義っていうのは、私が見つけた方法を、とっくの昔からやっているの。相手が劣っていると言い聞かせれば、兵士は殺しやすくなれる。帝国軍の、これまでの快進撃が、それを証明してくれているわ」
『じゃあ、帝国軍の真似をするんだ?』
「文化的な価値観を強調するという意味ではね。私たちは、帝国から文化的な意味で距離を大きく開ける。真逆を向けばいいの……まあ、ひらたく言えば。『人種差別』の力を使う。亜人種や『狭間』と共存できないような連中を、『劣っている』と見なすの。実際、そうだと思うし。そう思うべきではあるもの。あっちは、こっちを家畜ぐらいにしか見ていない。いいえ、もっとひどい。駆除すべき害獣だもの」
―――帝国は、そういう意志を隠さない。
リサの分析によれば、帝国軍の強さの要素のひとつは『差別』の力だ。
おそらく正しいよ、『殺したがらない本能』を克服させるには。
相手をヒト以下の劣った害獣だと信じるという方法も、効果的ではある……。
「あちらが、そう思っている。でも、こっちは……」
『お姉さん、やさしくならなくてもいいかも。これは、戦だから』
―――リサ・ステイシーは、いい学者だった。
そして、善良な乙女でもある。
自分の発明に、苦しみを覚えるほどに。
差別主義者と戦うための差別を、彼女は創り上げようと試みている……。
―――誰かを悪く言うのは、『本当の意味で賢明な者』には難しいものだ。
間違ってはいるからだ、でも戦場で勝つためには正しいから困りものだね。
戦に徹する、英雄たちの戦ではなく学生たちただのありふれた凡人のための戦に。
有能な軍だけが、彼らを死地から救い望ましい『未来』に彼女も運ぶ……。
「……次のコツは、自分を正しいと思うこと。信じさせるの。『神聖な大儀』のために戦う者は、間違うはずがないのだと。盲目的なまでの、吐き気がするほどのおぞましい純度で。これも、帝国はやっているじゃない。私たち亜人種を絶滅させて、人間族だけの世界にしたいんだって。それが、連中の力となったのだから」
『うん。帝国軍は、間違っているよ。私たちにとっては』
「私たちは、もっと主張しなければならない。すべての人種が結束し、全員で生き抜ける道を探すのは正しいって……そして、それに反対する連中は、おぞましく、殺すべき、邪悪な、敵なんだって……敵は、そうしている。そうしているから強い。これを、強く自覚できれば。私たちは『ちゃんと被害者』にもなれる。被害者には、復讐して罰を与える権利があるじゃないの」
『殴られたら、殴り返していいもんね!』
「殺されっぱなしで、いいわけないでしょう!!罰を与えるんだ!!それは、私たちが正しいという道を証明するものでもある!!帝国人に、ヒトを見い出さないようにしてやればいい!!」
―――リサは、悲しんでいる。
軍事的な正しさが、リサの愛する日常的な正しさからかけ離れていたから。
それでも、それを選ばなければ絶滅するのは自分たちだ。
悲しいけれど、リサはこの悲しみの正体にさえも気づいてしまっている……。
「私も、弱い。ヒトだから、ヒトの本能が顔を出してしまう。『殺したがらない本能』が、私にも生きているんだ……っ。これは、ダメだ……克服するロジックを与えておかなくちゃ。だって、私は今、考えてしまったもの。『こんな真似して、憎しみに染まりながら敵を殺すぐらいなら、死んでしまいたい』なんてね……『殺したがらない本能』は、殺すぐらいなら自殺まで選びかねない。こんなのは、どうにかしなければ、学生兵士たちは弱くなる」
―――リサは、正しい。
軍事的にも、倫理的にも。
戦場というのは、当然ながら日常からあまりにもかけ離れたものだ。
リサは、どんな手段を講じてでも学生たちを死なせたくないのさ……。
「サー・ストラウスたちが、ちょっとうらやましいわ。帝国の連中も」
『どうして?お姉さんは、とても苦しんでるけれど?』
「彼らは、階級社会だから。私たちは『王無き土地』の市民なの。気高い騎士階級でもなければ、生殺与奪の権利に、幼い頃から慣れしてしんでいる貴族階級でもない。気高いって、身分制度があればね……あれを利用するだけで、『心の距離』を設定できた。『王無き土地』の市民は、それが利用できない。富める者にも貧しい者にも、つながりがある。大学半島では、亜人種にだって学問をやれる自由があった。私たち『王無き土地』の市民は、あくまで平等。それがあるから、この感覚は利用できない」
『むずかしい、つまり……?』
「私たちは、『自分を正しいと信じ込まなくてはならない』、『敵をヒトだと思ってはならない』、『無数の亜人種たち同胞を殺された私たちには復讐して罰を与える義務があると理解しなくてはならない』。とりあえず、このあたりだ……」
『そうすれば、『心の距離』が帝国とのあいだに出来ちゃう?』
「そう。それらを徹底すれば、私たちは自分たちの『殺したがらない本能』に、抑制をかけられるはずだわ。それに、訓練の仕方も変えるの。心で敵との距離を置いたあとは、敵に鋼をぶつけやすくする。『とっさに、敵から攻撃を外そうとしないように』。条件反射で攻撃するように変えればいい」
『どういうことを、企んでいるの?』
「丸を描いた的なんて、もう使わない。人間族の形をした的だけを使う。帝国軍の鎧に、兜に、人間族の姿に、反応して殺意をぶつけられるように訓練するの。その帝国人の姿をした標的には、表情は要らない。ヒトだと思うと、あの厄介な『殺したがらない本能』がアタマを出しちゃうからよ。さて、ひとり言なんて、時間のムダだわ。考えを、まとめるには役立ったかもしれないけれど」
―――リサ・ステイシーは、疲れ果てた顔で歩き始める。
彼女は『自由同盟』と、自分たちの教え子である学生たちを救う大発明をした。
『おぞましいまでの正義』で、自分たちの本能を麻痺させる方法だ。
とても悲しい道でもある、少なくともリサ・ステイシー本人にとってはね……。
「これは、きっと。いばらの道だ。呪われてもいる。かまわない。この『おぞましいまでの正義』だけが、私たちを未来へと導いてくれるから。これは、とても正しい。それなのに。どうして、こんなに、苦しいのか……ッ」
―――善良なる魂は、血を吐きながらも歩く。
彼女は戦場に出て、敵に斬りつける日は来ないと信じていた。
それでも、自分の発明で多くの死が作られることは悟る。
自分がまるで死神になったかのようで、善意を否定してしまったかのようで……。
やさしい彼女は、泣いているんだ。




