第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その四百九十
―――学者は真実と遭遇しやすい、それがおぞましいものでも。
安全であるときこそ、人は残酷になれるものだ。
危険であると、互いを恐れて尊重し合う。
いつだって最も邪悪な戦術を生むのは、安全な場所で世界を憂う賢者だけ……。
―――それもまた世界の真実だけれど、リサは迷わない。
自分のしようとしている行いの残酷さを、十分に理解していたけれど。
戦いに勝たなければ、自分だって終わりなのだから。
有用な戦士を、量産しなければならない……。
「理論武装だけじゃ、足りないものね」
―――『人買い』ジーの一族は、奴隷を『教育』する手法でも知られていた。
アダルベルトはその行為に対して、嫌悪感を持っていたのかもしれない。
この貴重な本を、けっきょくは自分の一族に渡すことはなかったからね。
『これがどんな『教育』の効果を持つか想像して、気持ち悪くなったのかも』……。
―――それと同時に、彼が大金や労力を使ってこの本を集めてしまったのは。
幼い頃からジーの一族が行ってきた、奴隷を支配するための教育や矯正。
それらの目撃者だったからと、ボクは考えるよ。
嫌悪していたとしても、『力』というものは魅力的だからね……。
―――リサもアダルベルトも、知っていたんだ。
『本能』というものが人々を支配していて、それは人々に再現性のある行動を強いる。
奴隷たちは『自由』を求めて脱走したし、戦士や兵士は意外と敵を殺せなかった。
それは本能がさせるものだから、時代も土地も関係なく人々に傾向を与えたんだよ……。
―――くだんの本には、『本能しかない動物さえも学習で行動方針を変える方法』だ。
本能を上書きする、あるいは本能を変えてしまう研究していたわけだよ。
本能で『自由』を求める奴隷たちから、上手にその意志を奪い取るジーの一族。
実のところ、本質的では似ている点も多くあった……。
―――アダルベルトは、それに気づいて本を一族に渡すことはしなかったのだろう。
大学半島の気風や文化を知った彼が、奴隷に対して否定的になってもおかしくはない。
アダルベルトは、二世紀前の賢者の遺産が奴隷にも適応可能だと知っていたはず。
だから、ここに封じたままにした……。
―――でも、因果なものでね。
アダルベルトが、もしも奴隷解放論者だったとすれば。
彼の蓄積していた学術本は、彼の理想に報いてくれる。
時を越えて叶えることになるよ、この本の使い方に気づいた学問の徒によって……。
「アダルベルト・ジー。あなたが、生きていたら。きっと、同じことをしたんじゃないかしら。おばあちゃんに……ステイシー学長に、進言したかも。そして、おそらく……おぞましい表情に出会うでしょう。あなたは、『悪魔』と呼ばれたかもしれない。おばあちゃんは、理想主義者過ぎるもの……正義を、信じていられる。でも、私はそうじゃない」
―――自分は、勇敢ではないのだろう。
軍隊や政治を信じるなんて、どこか愚かなことだと考えている。
ヒトの本能さえも、おそらく当てにはならない。
『自由同盟』が一度でも敗北を喫すれば、どこまで瓦解するか……。
―――誰もが我が身は可愛いもので、この千年のあいだ人種差別は無敵だった。
人間族が裏切って、帝国に着くかもしれない。
敗北したとき、理想がどれだけ穢されてしまうのかも歴史は教えている。
今このときは、『科学的には無視すべき奇跡のような時間なだけかもしれない』……。
「私は、科学の方を……信じたい。ヒトの本能が、歴史を紡いのだとするのなら。間違っているもの。私たちは、本能だけでは……この戦いに勝てないと思う。高い理想は、堕ちるのも早い。学生たちは、戦いに負けてしまうと……きっと、失望して。あきらめてしまうわ。だから、勝たないといけない……ううん。勝たせないといけない。おぞましい科学の使い方をしても」
『おねえさん、おばあさんに逆らうんだ。うそをつく気だ。知ってしまった大切なコトを教えない。教えたら、嫌がられるから。でも……『それをした方が、あなたの教え子やソルジェたちが勝ちやすくなる』って信じている』
「ううん。そうしないと、勝てないと思う。だって、新しく生まれた戦力は……殺し合いの性能が低い。何度も殺してきた熟練の戦士とは違う。2パーセントのサー・ストラウスたちとは違うんだ。勝つためには……あの子たちを死なせたり、あの子たちに学友を裏切らせたりしないためには……必要な措置だわ」
―――リサもまた、他の大学半島の学生であった者たちと同様に現実を目の当たりにした。
学生時代は亜人種と人間族の壁が、この半島ではほとんど消え去るというのに。
大人になれば、人間族は亜人種を奴隷として扱うようになっていく。
永遠だと信じ込んでいたはずの友情は、いつの間にか社会からの圧力に屈した……。
『お姉さんにも、いたんだね。お姉さんを裏切ってしまった友達が』
―――リサは賢いし、とても科学的な判断をしてくれている。
ボクは歓迎するよ、戦争に勝つための方法だから。
少しはおぞましさもあるけれど、構わない。
殺し合いとは、そもそもおぞましい行為だし戦士も兵士もそれの執行者だ……。
―――罪深くても、まったく問題ないことだよ。
敗北してしまえば、ボクたちと価値観を共有する者は全滅するのだから。
それに比べれば、どんな罪も空気ほどの重みもなければ。
どんな罰も、恐ろしくはないじゃないか……。
「アダルベルト・ジー。共謀者になろう。あなたが、この本を遺したことも。サー・ストラウスがこれを求めたことも。きっと、きっと……奇跡じゃない。ヒトの意志が向いている方角が、一致していただけ。亜人種が生きていてもいい世界が欲しいのよね」
『よくわからないけれど。お姉さんが、私たちと同じ勝利を願っているのはわかった。だから、応援するよ。やってみればいい』
―――『トリックスター』の加護が、ちいさな手からリサの背中に伝わった。
リサは命じられた仕事を放り出して、自分の意志で化学を選ぶ。
羽根ペンを走らせて、メモ書きをまたたく間に仕上げていった。
『良き戦士を作るための訓練』、本能から学生を変えてしまう科学の処方箋だ……。
「……これは、『心の矯正』、ヒトがヒトを殺したがらない本能を、少しは改善……い、いえ、あるいは、改悪する方法。とにかく、変えられると思う。『条件付け』で、教育し尽くしてやるんだ。そうすれば、学生たちはちゃんとヒトを殺せる。戦争に、勝ちやすくはなれるはずだ。だって、敵を、大勢殺せるんだから」
―――魔法よりも怖い、科学が我々の力となってくれる。
画期的なアイデアというものは、組み合わせと出会えるかどうかだ。
リサは『奇跡的な偶然』などではなく、歴史を越えたヒトの意志の交差点にいた。
彼女はまったくの無実だよ、『自由同盟』と仲間たちの勝利と生存のために……。
「私は、軍隊の殺傷性を……飛躍的に向上できると思う」
―――正しい道を選ぶ、大学半島から送られてくる若者たち。
熟練の戦士からすれば、役立たずのはずだった戦士たち。
彼ら彼女らは、ボクたちの想像以上の『成果』をあげてくれるだろう。
ヒトを殺したがらない本能を、少しだけ克服した状態で戦場に向かうのだからね……。




