第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その四百五十九
―――あれは女神イースが見せてくれたもので、言ってしまえば。
一種のニセモノではあるってことは、ミアにだって分かっているよ。
でもね、本物だったと信じてもいる。
真実よりも正しい何かがあると、ミアはちゃんと理解していた……。
―――虚構の上に成り立つ本当のことだって、あっていいじゃないか。
何かを許容するように抱きしめてあげると、可能性はちょっと広がっていく。
罪深さと罰の厳格さだけじゃない、何か解放感のある価値観だってあった。
正義は真実よりも、ときどき正しくてもいい……。
―――もちろん、いつだって正義は正しい理由が求められる。
哲学という学問は、正義が正しい理由を考えたものだ。
でもね、現実と歴史がヒトに証明している哲学はただひとつだけ。
あらゆる『正義』は、力が保証してくれるってことさ……。
―――やさしくて怖い女神に仕えた、とてもあわれな者の遺産みたいな願い。
そのおかげで、メダルドが女の体にされて蘇っている。
世の中はとても複雑にして怪奇だったけれど、言えるのはただひとつだけ。
『正義』を保障したければ、敵を殺して勝ち取るのみ……。
―――ミアは、ちょっとだけ大人に成長していきながらも。
猟兵らしさも、リトル・ストラウスらしさも大きくしている。
ソルジェのいる屋敷にたどり着いたとき、ソルジェは会議中だと知らされた。
ミアならば会議のなかに入れる権利は、十分にあるけれど……。
―――今のところ、確実な情報というわけでもない。
トーリー・タイズンの居所を、ソルジェが把握しているとも限らなかった。
商人が政治的な会議に、そうたやすく参加しているとも思いにくい。
タイズンは大商人のひとりだけど、軍事的なリーダーではないからね……。
―――ミアはちいさな腕を組んで、十秒ほど考えたあとで。
会議室のドアの前で、何故か『狼』の姿のまま警備兵をしているジャンを見た。
ジャンはどういうわけか、鼻先を少しだけ天井の方に向けていたんだ。
どこか緊張しているように見えるから、質問してあげることにする……。
「ジャン、何で『狼』に化けているの?」
『そ、それは。み、見張りだからさ』
「見張りなら、ヒトの姿でもいいじゃない」
『そ、そうだけど。いや、その本当は……』
「本当は、何?」
『……じ、実は。か、会議に参加しないかって、言われたんだ。だ、団長から』
「そうなんだ。参加すれば良かったのに」
『だ、ダメだよ。ぼ、ボクみたいな勉強のできないヤツが、ま、まだ、偉い方々の参加する会議になんて出たら……め、迷惑をかけちゃいます』
―――アホを自覚するとき、ヒトは何かをあきらめるものだけれど。
ジャンは少しばかり、知性に対しての劣等感が強めだった。
賢い人々しか会議に参加しなかったとすれば、世界はもう少し上出来だろうに。
数十人の傭兵部隊を足止めするような猛者は、軍事的な会議に参加する権利はある……。
『も、もっと。勉強してから、がんばりたいというか……っ』
「現場で、学ぶっていうのもいい方法だよ」
『で、ですよねっ。で、でも。や、やっぱり……どこかで、怖くて……み、ミアだって、不得意なことはあるよね?』
「……賢さがいるやーつは、苦手」
『ぼ、ボクもさ。だ、だって。が、学校にも行っていないし。文字を読めるようになったのも、さ、最近なんだ。『プレイレス』あたりじゃ、ご、五才の子供だって文字を書けたりするんだよ……っ』
「す、すごい……」
『だ、だよね。だから。ぼ、ボクみたいな難しい単語を、読めるかどうかも分からない未熟者が……か、会議なんて難しいことに参加は出来ないんだ』
「そうかな。お兄ちゃんも参加しているのに」
―――ミアは現実的だし、猟兵として最も長くソルジェと過ごしている。
だから、ソルジェが基本的に北方野蛮人のアホだと知っているけど。
最近のジャンは、ソルジェを神格化するような傾向があった。
森から連れ出してくれた恩人だし、自分の上司でもある以上に……。
―――ソルジェは自らの『君主』であり、自分は『大魔王の騎士』を自覚しつつあるのさ。
そういった自覚が芽生えたせいで、ジャンはソルジェに恥をかかせたくないんだよ。
未熟者はとくにそうだけど、背伸びしたがるものだ。
怖くもある、自分の『弱点』が誰かに見破られてしまうのも……。
『だ、だから。もっと練習してからがいい』
―――若者たちは、いつだって成長しているものだよね。
昔のジャンだったら、もっと黙ったままだった。
今はそうでもなくて、『練習したら会議に参加してみたい』と主張してもいる。
ミアもそれを感じ取り、ニンマリと笑った……。
「そっか。ジャンも、どんどん成長しているんだね」
『そ、そうだと、いいんだけど。じ、実は……』
「じつは、何?」
『……ひ、秘密だよ?そ、その……シャーロンさんになら、た、戦いで勝てるかもと考えているんだよ』
―――ボクのことを軽んじつつある傾向も、増長気味だね。
腕力だけでは埋まらないのが、武術の奥深さだと。
久しぶりに、教えてあげるべきだろう。
まあ、ミアの言葉がジャンに悟らせたけれど……。
「たぶん、三年早い」
―――ボクにとっては、屈辱的な評価でもある。
三年、たった三年で追いつかれるなんて。
このシャーロン・ドーチェを、どういう生き物だと思っているのか。
ジャンの成長速度を、買っての評価だろうけれどね……。
『そ、そうなんだ……っ。もしかしたら、勝てるかもしれないと……はあ』
「今はムリだと思うよ。ジャンもすごく強くなっているけど。詩人さんには、あやつられちゃうと思う」
『あ、あやつられる?』
「誘い込まれるの。詩人さんの思っていた通りに、ジャンは動かされて、チクチクやられる」
『う、うう。想像が……ついちゃいそうです……っ』
「想像できるようになったのなら、ジャンはすごく成長しているの。三年経てば、勝てちゃうかもしれないよ」
―――ボクも鍛練を、しておかなくちゃね。
たった三年で、ジャンに乗り越えられるような壁であっては。
『ルードの狐』の名がすたるし、ジャンのためにもならないだろう。
成長の意志を促すためのも、『手近な目標』は優秀であるべきだ……。
―――ジャンがボクを、『ターゲット』にしてくれているのは光栄だよ。
筋力だけなら人類最強どころか、神々のたぐいにさえ負けない『狼男』。
それに狙われているなんて、猟兵冥利に尽きる。
戦士ならば、そういう生き方をしたいものさ……。
『が、がんばります。きょ、今日は……ひ、ヒトの姿で、衛兵役をやる勇気も出なかったけれど』
「ヒトの姿の方が、暑苦しくなくていいのに」
『あ、暑苦しいっ。だ、だよね。毛皮がモフモフだもんね……っ』
「そーだね。モフモフしてる」
『な、夏には向かないかもだけれど。ひ、ヒトの姿のボクよりは、は、迫力とかあるから。威厳、めいたもの……ちょ、ちょっとはあるっていうか……』
「迫力に関しては、そうかも」
『だ、だよね。良かった。あ、暑苦しく思われてても。迫力があるから、いいやっ』
「うん。納得してあげる」
『そ、それで。ミアは、ど、どうかしたの?団長に、よ、用事かな?』
「あ。そうだ!ジャン!」
『は、はい!?』
『メダルドのおっちゃんのにおい、『オルテガ』からするかな?』




