第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その四百五十一
―――暴力は不毛なものだと、シモンは主張したくなったが。
若い狂気はいつものように、短慮なものである。
若く貧しい商人は、考える余裕がなく。
ナイフでシモンを斬りつけて、刃が前腕を傷つけた……。
―――痛みは、数秒のあいだはなかったらしい。
ただ強烈な衝撃が、シモンの前腕に当たったように感じただけ。
切れなかったのかと、シモンは安心しようとしたけれど。
すぐさま現実の痛みが、彼の認識に追いついてきたんだ……。
「う、うぐうう……ッ。本当に、斬りつけるとは……ッ」
「あ、当たり前だ!!覚悟がいる。ひるむんじゃない。みんな、立ち止まっているだけでは世の中は変わらないぞ!!」
「……周りを、見てみるといい。落ちついて、深呼吸をするんだ」
「な、何だと……ッ」
「勢いだけで、動くようなものじゃない。周りを変えられる力を使えるのは、一部の英雄だけだよ。私や、君のような……」
「う、うるさい!!」
―――焼け石に水だったよ、ナイフを振り回す若者は激高した。
刃物をコントロールすることは、意外と難しいものだ。
誰かを傷つけたり、殺せたりする機能を持った鋼。
それを手に取ったりすると、心が乗っ取られるときはある……。
―――この若者も、ビビアナを殺しかけたときのシモンと同じ。
本心から殺したかったわけじゃない、でも止まらないときもある。
職人が魂を込めて、長い歴史が姿かたちをあたえたものが武器だ。
こういうものは、シロウトを安易な殺人者に変える……。
―――鋼というものは、ときに鏡よりも語りかけてくる無機物なんだ。
殺して傷つけるためだけにある姿はね、覚悟の足りない魂を支配する。
道具が使われるだけのためにあるなんてことは、ないんだよ。
道具や環境こそが、ヒトの精神も肉体も支配してしまうものだ……。
―――シモンは考えていた、これが一種の罰なのだろうと。
因果応報だという事実も、ちゃんと理解していた。
過ちを犯せば、それ相応の罰を受けるものだから。
ビビアナを殺そうとしたのなら、誰かに殺されかけてもおかしくはない……。
―――おびえていたし、どこか若者の勢いに呑まれていた。
でも、それでもね。
体は心よりも正直者だから、シモンを後ずさりさせている。
斬られる、今度は左の手のひらの肉が深く傷つけられた……。
「や、やめるんだ!彼を殺そうとするな!」
「な、仲間だろ!」
「うるさい!うるさい!!こいつが、甘ちゃんだからだ。こういう甘いヤツを許していたら、オレたちも行き詰まる!!」
「……私を殺したぐらいで、君の人生が良くなると思うのか」
―――正論をぶつけてやるが、どうにも止まりそうにない。
感情的な横殴りの斬撃に、シモンはほほを斬られる。
リーチが長い鋼だったら、死んでいたね。
後ずさりして逃げようとしたが、背後は『オルテガ』の城塞だった……。
―――追い詰められたシモンは、死を覚悟する。
自分はもっと交渉上手だと信じていたが、そうでもないらしい。
戦闘が終わったばかりだったから、もう少し時間を空けるべきだったのかも。
落ち着くための時間が足りたのは、自分だけだったか……。
―――ちょっとしたことで、ヒトの命は失われる。
戦場の近くでは、その傾向が異常なまでに加速した。
ナイフがシモンの腹に、突き立てられてしまう。
大きな衝撃と、暴れるような熱に襲われたよ……。
「ほ、本当に刺しちまいやがった……っ」
「なんて、ことを……」
「う、うるさい!こ、これからは、お、オレが仕切る!!逆らえば、コイツみたいに……」
「同胞を殺そうとするリーダーなんて、目指すべきじゃないと思うよ」
―――死にそうなほどに痛いから、最後に助言をしてやることにしたようだ。
ナイフから手を放して、後ずさりする若者。
それが、つい先ほどの自分とかぶって見えた。
とても滑稽であるし、場違いというか実力が足りない……。
―――震えて、怯えて。
誰かを殺す覚悟さえも足りなくて、実力のなさと対面したくない。
同じ現象だよ、どれほど威圧的になろうとも周りを従わせる能力がなかった。
暴力を使ったリーダーシップは、向き不向きがあるよ……。
「そういうのは、私や君みたいな……ただの商人には、向いていない。覚悟がね、足りないんだよ。怖いだろ。殺すつもりはなかったと、謝罪したくなる。反論さえも、やれはしないんだ。暴走するような勇気も、持てちゃいない……無理は、するものじゃないよ。じゃないと、いつか……大きなしっぺ返しを」
「う、うるさい!!オレと……オレを……分かっているようなふりをするな!!」
―――震える手で、ぶん殴られる。
路地裏の片隅に、腰から倒れていた。
本職の戦士だったら、ナイフを握り直してえぐっていたのに。
この若者は本物の殺人者には、なりたくないらしい……。
―――当たり前だ、そういう生き方をしたかったわけじゃないんだから。
なりたかったのは、冷静で知的な商人だよ。
路地裏で誰かを刺したり殴ったりするような、つまらないゴミじゃない。
シモンは腹にナイフを突き立てられたまま、じっとりと若者を見上げた……。
「それで……本気で、殺すのかな?そういうの、向いていないの、自覚したんじゃないかい?」
「う、うるさい!!挑発するんじゃねえよ!!」
「助言をしているだけだ。感情的になると、いつだって損をする。商いをしていれば、よく分かるだろう」
「年上ぶるな!!説教じみた言葉を、あんたごときがオレにするんじゃない!!」
―――シモンにも悪癖がある、土壇場での度胸があるのさ。
優秀な戦士並みとは言わないが、人並み以上にはある。
だから、そのせいで相手を加害者にしてしまうこともあった。
どこか自暴自棄になって、弱いくせに偉そうな振る舞いをする……。
―――場合においては、度胸も人生に役に立つけれど。
今このときには、必ずしもそうであるとは言えない状況だった。
感情的にさせてしまった若者が、武装していた知人から剣を奪い取る。
それを振り上げると、シモン目掛けて斬りかかっていたよ……。
―――殺されると、覚悟した瞬間。
シモンはいつものように反省した、『次に生かすために』。
ああ、次なんてもうないのかと理解すると。
どうにも怖くて仕方がない、「母さん」と亡くなった母親を呼ぶ……。




