第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その四百三十一
―――その発言に、ブッチとシモンは戸惑った。
趣味の悪い冗談だとか、あるいはタイズン流のジョークかもしれないとも考えようとする。
もちろん、タイズンの顔色の悪さから多くを察してしまったけれど。
どうやら、笑えない状況に自分たちはいるようだ……。
「……すまんな。おそらく……いや、間違いなく混乱させてしまっているだろう。オレ自身も、そうなんだ……状況を、完全に把握し切れてはいない。オレは、死んだはず。少なくとも、ドロドロの肉のスープになって、女神イースの素材に使われちまったはずなんだ」
―――饒舌に語られる言葉は、『ルファード』商人らしかった。
演技をしているとすれば、『プレイレス』でも一番の役者かもしれない。
不思議な現象と、ここにいる全ての者が短期間のうちに遭遇してしまっているから。
一種の慣れが生まれていたらしく、ブッチは頭ごなしに怒鳴ることも否定もできない……。
「いいか。普段のオレは、商売敵以外にはやさしい肉屋のオッサンだ。それでも、悪ふざけにはきびしい。でも、その……本気さが、伝わってくる。理解しがたい。いろいろと」
「……そうだろうな。オレ自身もだ。何が起きたのか……いや。おぼろげながら記憶はある。どんどん、それが……アタマのなかで、組み直っていくような感じだよ。帳簿の整理しているような。あるいは、古い日記を読み直しているときのような……分かるか?」
「そういうのは、分かるが。何十年も男をやっていたはずの商人が、いきなり若い女になったと主張する理由は、まったく分からん」
「……とにかく。これは、女神の呪い……みたいなものだ」
「君は、というか、貴方は、女神イースに呪われたと?」
「……そうだ。君は、誰だ?」
「わ、私は……行商人の、シモン」
「……聞いたことが、あるな。お前、もしかして……」
―――冷や汗をかく、シモンがいたよ。
彼は、目の前の乙女をメダルド・ジーだとは信じていない。
だが、ビビアナの一件がある。
祈るような視線で、ブッチを見つめた……。
「……お前、『ルファード』の周りに現れていた商人か?」
「え、ええ。そうだ。私は、シモン。『オルテガ』の商人」
「……たしか、『オルテガ』から流れた品を、買い戻していたらしいな」
「帝国貴族どもに、略奪されたものが多い。芸術作品たち。ああいう品は、失われるべきじゃない」
「……同意するよ。『王無き土地』において、文化的なアイデンティティを示す芸術作品は貴重だ。その時代と、その土地に生きた者たちの、心の代弁だからな」
「若い乙女の発言とは、思えない。まさか……本当に?」
「……メダルド・ジーだ。そのはずだ。女になっている……」
「どういうことだよ、タイズン?」
「私が説明するのはムリだろう。彼……彼女……まあ、とにかく。メダルド・ジーは、私の元を訪れた。約束もなしで、いきなり……」
「……『オルテガ』商人と、ハナシをつけたかったんだ。オレは、亡霊みたいなものかもしれない……いつ、消えちまうか分からん」
「どうしてだよ?アンタは、消えそうなのか?」
「……死んだはずなんだ。少なくとも、バラバラに融けていた……なんで、ここにいるのか、分からん。だが……やることは、ひとつだけなんだ」
「何を、貴方はしたがっているんだ?」
「……ビビのことだ。お前ら、ジーの一族を嫌うはずだからな。ああ、すまんな。オレの精神衛生はよろしくない。端的な言葉になるが、感情的になりたいわけじゃない。混乱しているんだ」
「だろうね。その多弁さは、混乱から来るものだよ」
「……落ちついて話したいが、そうもいかん。このカラダは、借り物かもしれない」
「借り物ってのは、どういうことだよ?」
「……女神イースの生贄になったとき。一緒に、『カール・メアー』の巫女戦士も巻き込まれた。というか、彼女が、女神イース復活の儀式をしたというか……だが、彼女自身も彼女じゃなかったというか……」
―――『カール・メアー』の巫女戦士のひとりは、リュドミナに『寄生』されていた。
一種の洗脳だし、『蟲』の力も併用することで。
それを説明するための知識や記憶は、まだこのときのメダルドには戻っていない。
脳も肉体も『再生する途中』だから、かもしれないね……。
―――学者たちに言わせれば、蝶は生まれ変わる生き物らしい。
さなぎのなかで全身をドロドロに融かして、新しい形に変えてしまうんだよ。
メダルドは、それをして女神イースの一部になった。
今は、おそらくその逆の状態にあるんだろう……。
―――ドロドロに融けていたメダルドが、またひとりのヒトに戻っている最中さ。
だから、記憶も不完全なのだろう。
バラバラにされたパズルみたいなもので、それがまたひとつに統合しない限り。
メダルドは自分に起きたすべての事象を、把握するなんてやれないんだよ……。
―――だが、いずれはすべてを取り戻せるだろう。
そのとき、どんな決断をするまでは分からないけれどね。
メダルドは自分について、覚えていることがある。
明確な意志のもと、彼はひとつの取引をした……。
「……女神イースと、取引をした。オレの命を、奪ってもいいから。オレの心臓をくれてやってもいいから。ビビアナを守ってくれと」
―――シモンの心には、突き刺さる言葉だったね。
自分が殺そうとした乙女の叔父が、目の前にいるんだ。
痛いほどの悲壮さで、共感を強いてくる。
姪であるビビアナのことを、自分の命よりも大切に思っていると……。
―――シモンは、悪人ではない。
むしろマジメな善人だからこそ、故郷のために殺人だってやろうとしてしまった。
ありふれた愛国者であり、時と場合によっては最高に正しい人物のはずだ。
でもね、ビビアナを殺しかけたことで抱えた後悔が膨らみ上がっている……。
―――誰かを殺すという行いは、誰かの大切なヒトを奪うということだ。
どう考えても罪深く、シモンのような普通の男が突きつけられると泣きたくだってなる。
罪深い後悔に、シモンはまた囚われていた。
それと同時に、怖くもなっている……。
―――罪科の獣『ギルガレア』は、罰を与える獣神。
それに遣わされた処刑の使徒なのではないかと、目の前にいる男を疑った。
異常かつ危機的な運命にさらされたときは、多くの者が自虐的になるものだ。
そして、恐怖は神秘を増幅させもする……。
「……オレの願いは、明白だ。ビビのために、命を使う。使ったはずだ。それでも、ここにいる。なぜか、女の肉体で。この娘の魂は、どこにいるんだろう。オレは、彼女の体を奪っているのか。それとも、もうすぐ彼女になってしまうのか……だとしたら、急ぎたい。『オルテガ』の、裏側にいそうな商人たちに、釘を刺しておきたい。いや、分かり合いたい。『ルファード』は、ジーの一族は、『オルテガ』を支配しようとはしないと。だから、ビビを、殺そうとするな」




