第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その四百二十九
―――戦は狂気を呼び込むようなところも、もちろんあった。
ある日いきなり食料が買えなくなったり、必要な薬が手に入らなくなったりする。
そうなれば、死活問題だよね。
風邪で死ぬかもしれないし、飢え死にするかもしれない……。
―――戦場は、ある意味では救われている方だよ。
戦の主催者たちが大量に物資を投入してくれるから、戦士には補給がある。
最悪の場合は略奪に走ることだってあるし、戦略的にそれを行う軍も数多い。
誰もが猟兵のような規律を持っているわけじゃなく、多くの場合で残忍だ……。
―――戦士に与える最も『手近な報酬』として、略奪させた戦も多くあるのさ。
『戦利品』という言葉があるのは、とどのつまりは略奪が普遍的な行いだからだよ。
戦の極限状態の、『まだマシな方』がそんなものだ。
補給がいきなり停止した一般市民たちは、どれほど飢えてしまうか分からない……。
―――ヒトは人生に試されるようなときがあって、戦はそれの典型的なものだよ。
肉屋のブッチは、目の前にいる男に同情的でもあった。
それが自分のためになるとは、とても思えないけれど。
あくまでも商人仲間を守る自分でいたいと、考えていた……。
―――もちろん、それはかなりの覚悟を求めえられるものだから。
自分だけで背負い切れるとは、考えてもいない。
もうしばらくすれば、トーリー・タイズンがやってくる。
彼のことも巻き込んで、責任を軽くしようという企みもあったよ……。
「はやく、来やがれ。タイズンめ」
「……そんなに、仲が良かったのかな」
「いいや。そうでもないが。くだんの……」
「カニンガム関連のことか。ストラウス卿の依頼は、タイズン経由……いきなり、肉屋の君に、ストラウス卿が目をつけることはない」
「肉屋を、バカにしてんのかよ」
「そうじゃない。でも、当てたはず」
「まあ、そうだ」
「タイズン。いい商人だ。腕もいいし、顔も広い」
「メダルド・ジーが、タイズンを指名したらしいぞ」
「……それは、つまり……」
「ジーの一族は、商業的な支配を目指してはいなかったということでもある。メダルド・ジーは、理解していたんだろ。『人買い』の罪深さってことを。ヤツは自粛した。表に出れば、失うことが多いと理解していたんだろうよ」
「……つまり、私は…………」
―――シモンが暴挙に出てしまったのは、あくまで『オルテガ』のためだった。
『王無き土地』のならいというか、この土地の歴史において繰り返された諸都市の争い。
『ルファード』から支配されないために、努力することは一般的だ。
歴史はいつも正しいわけじゃないが、再現性は高い……。
―――でもね、メダルドは理解していた。
『人買い』ジーの一族の歴史に、幕を下ろしたのは他でもなくメダルドだから。
多くの事実を知り尽くすには、お互いに時間も機会もなかっただけのこと。
すべてを知っていたら、シモンはきっと帝国や女神イースの戦いにだけ集中したはず……。
「私は、なんて、ムダなことを……」
―――タイズンを指名することで、メダルドは『オルテガ』商人を守ろうとしていた。
侵略者になろうとしていなかったと、すぐに伝わる。
戦は権力と金のためにやるというのに、戦勝で得たそれらに執着しなかったんだから。
メダルドが野心を持っていたのなら、タイズンを重用することなんてないのだ……。
―――タイズンは有能ではあるし、ソルジェに一早く近寄ろうとした商人ではある。
それでも、別に替えが利かないほどの重要な人物というわけでもない。
そもそも、メダルドの方が商才もあるし格も上だった。
シモンは疑心暗鬼に囚われて、『オルテガ』を守るどころか危機に導いていた……。
「死にたくなるよ、なんてことだ。なんて、無様で……なんて害悪なんだ、私は……」
「そういう言い方を、するもんじゃねえ」
「悲劇どころか、喜劇役者のようだ。でもね、演劇の舞台とは違う。私は、大きな、あまりにも大きな間違いをしようとしていた」
「運が良かったな。ジーの一族の娘を、お前は殺さなかった。それで、十分だろう」
「十分なはず、ないよ」
「ああ、そうだな。気遣ったつもりだよ。落ち込んで、追いつめられちまった男には、そういう慰めの言葉をかけるもんだろう」
「君には、分からないよ。この……罪深さは……吐きそうだ」
「吐くなら、外で吐いて欲しいところだね」
「外か……ああ、外に出るのが、怖い。恥ずかしいよ。本当に……」
「見捨てるつもりはないから、安心しろ。追い出しはしない」
「助かる。率直に、言う。みじめで、情けなくて。害悪で、罪深くても……」
「フル装備だな、まったく」
「それでも。死にたくない。怖いんだ。ストラウス卿や。ジーの一族の連中に見つかるのが。罰せられる。どんな罰を?私は、処刑されるべきなのか……ああ、嫌だ。しくじったことは、認めよう。間違いも。でも、歴史を知っている者は、私のように行動したはず」
「だろうな。色々と、掛け違いがあっただけ」
「私の人生が、関わっている。簡単に、言わないでくれ。『だけ』だって?」
「絡むなよ。落ちつけ。深呼吸だ。血圧上げても、良いことなんて、何もねえ」
「……そうだね。そうだ。ああ……聞こえるかい」
「……勝利の歌だな。帝国は、まだ来るだろうに」
「女神を、倒したんだ。それって、すごいよ。伝説的な勝利だ。なのに、私は……こんな肉屋の家で、こっそりとしている。街を守るために、戦ったのに……」
「暴言は、聞き逃す。オレは、オトナだからだ。だが、次、肉屋ごときの家だとか言ったら、ぶん殴る」
「ごときだなんて、言っていない」
「『こんな』とは、言ったから。同じことだろ」
「被害妄想だよ。私は君に感謝しかしていない」
「そいつは、知っている」
「……すまない。気に障ったなら、謝るよ」
「そこまでは、いらん。気持ちは、分かるからな。解放感を得たい」
「ああ……後悔というものは、体と心に、ここまで絡みつく。私は、油の海にでも落とされたみたいだ。羽虫みたいに、油で溺れる」
「虫けらに、自分を例えるもんじゃねえ」
「そうだね。でも、本当に、虫けらだよ、私は」
「困ったもんだ。さっさと来てくれ、人間族の商人同士、タイズンにはげましてもらえ」
―――今日は本当に酷い日だったが、それだけに少しはマシになっているのかも。
窓の外で、夏の暑さにゆらゆらとしている景色。
その先に、待望の人物がやって来たよ。
ひとりきりで来るはずが、同行者がいた点については気に入らないが……。
「カニンガムに、オレを売りやがったんじゃないだろうな……」
「命の危険があると、視野狭窄になるし、どんな間違いをするか分からないからね」
「くそめ。不安にさせるんじゃない」
「一応、書いておこうか。遺書。もしも、裏切られたときのために」
―――裏切るつもりのない巨人族の肉屋も、裏切られない保証はどこにもない。
タイズンの同行者が、自分を暗殺したときのために。
その事実を、口述筆記でシモンに書かせたよ。
同行者は女性だが、女性の暗殺者に殺されかけた早朝があった事実を忘れていない……。
「あいつが、暗殺者だったら。お前も、戦えよ。死にたくねえんだろ」
「うん。でも、そういう短慮さは、いかがなものか」
「うるせえよ。しくじり野郎に、どうして説教されちまうのか……」
「しくじり野郎だから、アドバイスもしたくなる。慎重な判断をしようじゃないか。タイズンだって、カニンガムに従うより、ストラウス卿にしっぽを振っていた方が儲けはいいはずだ」




