第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その四百二十八
―――乱世でなければ、そして亜人種への差別が落ち着いている時期なら。
肉屋のブッチも本業だけで、生きていけるだけの才覚がある。
彼は自分が時代感覚に優れていると認識していたし、実際のところそうだったから。
富裕層の舌が求める流行りの味に、適切な応答を可能としたんだよ……。
「鹿肉が流行れば、それをやった。オレはウサギ料理に合うリンゴだって勉強したんだぞ。マナーに関しての本を、モローのキザったらしい学者から買ったことだってある。輸入だぞ?銀貨、何百枚の先行投資だったことか……」
「君の勉強熱心さには、頭が下がるよ、ブッチ。みんな、君をほめていた」
「うるせえ。上から目線になるなよ」
「なっちゃいない。命の危険があるから、君は焦っているだけ。私には、よく分かるよ。その気持ちがね。おんなじだ」
「そうかい!オレは、ストラウス卿側の男だけどな!」
「……それでも、『オルテガ』商人だ」
「……その言葉は、なかなかにずるいぞ」
「憂き目に遭わされることもある。リヒトホーフェンの統治下では、君たちは厳しかった。でも、私たちもさ」
「亜人種の商人の気持ちは、究極的には分からねえ。オレたちの苦しみを、分かったような気になるな」
「そうかも。多数派であることは、たしかに楽だ。私は、そっちだったのに」
「今じゃ、少し違っている」
「疎外感があるよ。氷にでも閉じ込められた気持ちさ」
「クソ暑い夏の日には、もってこいだ」
「演劇の引用だよ。皮肉のつもりじゃない」
「知ってるさ。勉強熱心な巨人族は、肉屋やっていても、わざわざ詩集も読む。上流階級に取り入るために」
「……ひどいものさ。私は、使い捨てにされてしまった」
「悲劇役者みたいに、肉屋のセリフなんて無視ってことかよ」
「ねえ、ブッチ」
「なんだ、行商人……いや、悲劇役者か」
「そこの水差しから、水をいただいていいかな。全部、飲んじゃうけど」
「勝手にしやがれ。全部……全部か。くそ、まあいい」
―――氷に閉ざされた孤独な男は、汗まみれになりながら水をガブガブ飲んだ。
戦場から帰って来たばかりの男は、当然のことだけど喉が渇いている。
気づけなかったのは、それより心配なことがあったから。
こんなに『オルテガ』市民と商人だらけの空間でも、不思議なことに孤独だ……。
「私ほど、愛国的な者は……そうはいない」
「謙虚かつ、現実的な評価をしているな。みんな、街のために戦っている。オレでさえ」
「でも、メダルド・ジーの姪っ子を、殺そうとはしていない」
「暗殺なんて、お前だってするつもりなかっただろうが」
「……戦争って、怖い」
「当然だ。戦いが始まれば、アタマのおかしいマフィアだけが家を襲いに来るわけじゃねえだろ。リヒトホーフェンに侵略されちまったときは……」
「ひどかったね。とくに、亜人種に対しては……帝国軍め」
「……帝国軍だけじゃねえだろ。となりにいたドワーフのじいさんとばあさんが、地下に自分たちが生き残るための薬と食料を隠していたなんて、仲のいいオレでさえ知らなかった。どっちも、殺されていた。帝国軍のせいだってか?」
―――ガルフが教えた、戦士の職業倫理。
それは戦場で、『人間っぽさ』を維持することにもつながった。
殺し合いが許容される空間では、ヒトはとにかく残酷になりがちだから。
無力な隣人を殺して、財産や食料を奪う者だって生まれるよ……。
―――ガルフは猟兵に、とくにソルジェとシアンに対して強い価値観を植え付けた。
どちらも生粋の戦士であり、軍人であり将の器とカリスマがあったから。
人道的な見地からなどではなく、『弱く』なるからだよ。
略奪を許容して、規律の乱れた軍勢が実力で下回る敵に敗北する光景を見たから……。
―――『自由同盟』の軍勢を指揮するソルジェや、ハイランド王国軍の指揮を執るシアン。
ふたりは略奪を禁止しているからこそ、今のところ上手く行っている。
シアンにいたれば、自軍の略奪者を自ら処刑するほどの徹底ぶりだ。
『虎』の理想は、ガルフの哲学よりも厳しさがある……。
―――戦士でも一般市民でも、同じことだよ。
戦場になれば、過度な狂暴性を発露してしまうものだ。
戦士にとっての最適な狂暴性とは、自由自在に制御された衝動だよ。
難しいけれど、戦場という異常な空間を『普通の価値観』を貫けばいい……。
「誰だって、おかしくなる。そいつが、お前の罪の言い訳ぐらいには、なってくれるだろ」
「いい言葉だね。演劇のセリフよりも、私の心に刺さった」
「博識ぶるなよ、お前は、大人物でもねえんだ。オレが、言えた義理じゃないか」
「ブッチは大した男だ。少なくとも、私にとって……かくまってくれている。自分だって、いろいろと大変なのに」
「貸し、だからな。覚えておけ」
「うん。もちろん。いつか、君のために働くよ。私はね……人種に壁を作りたいわけじゃない。むしろ、逆だよ。こんな……不安定で、自分のことさえ制御不可能な男だが。彼女を、ジーの一族の令嬢を殺そうとしてしまったのは、『狭間』だからじゃない」
「言い訳を、よく考えておけ。自己弁護は、必要になるかもしれん。突き出す、つもりはねえぞ。オレもな。金が大好きだ。自分の家族とこの家を守るためなら、たぶん人殺しもやる。でも、それでも……裏切りはしない。裏切られても、オレはな。こればかりは、時代の流れには乗らない」
「君のような男に、依頼すべきだったのさ。ガラスの親方たちもね。私は、心がとても弱かった。ドワーフの老夫婦から強盗したのは、私じゃないよ。でも、もしかしたら……それをやってしまうような男だったのかも」
「戦争が悪い。オレたち英雄になれん者は、流されるだけだ。忘れろ。いや、やっぱり覚えておけ。いつでも、よりマシな男でいたいと、願うぞ。オレもだ。オレも、それをする。今にも、お前を外に放り出してやりたいような感情と、勝負していられるのは。そういう理由だ。オレたちは、いい年こいた、立派なオトナの男なんだよ」




