第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その四百二十五
―――ソルジェが決めたターゲットの名前は、マリオ・シェルダンだ。
シェルダンという名について、ソルジェに覚えはなかった。
じつのところ、ボクは知っているよ。
彼らは古くはファリス王国軍の糧食の手配者、食料で財を成した一族だ……。
―――帝国軍が西への侵略を開始したとき、その潮目が変わったのさ。
彼らの扱った糧食の一部が、腐っていたんだよ。
それはユアンダートを激怒させるには、十分な失態だった。
皇帝は、必ずしも旧友たちが頼りになるとは限らないと知ったのさ……。
―――ユアンダートが愛する妻とその一族に、暗殺を仕掛けられた時期でもあったからね。
ああ、レヴェータの母親だよ。
自分の愛する妻さえも、ユアンダートは返り討ちにして生き抜いた。
その壮絶な経験は、周りには隠されていたけれどね……。
―――ユアンダートが極めて神経質になっていたのは、間違いない。
そんな時期に、シェルダンの一族はやらかしてしまったのさ。
疑心暗鬼に陥っていた皇帝は、彼らの行為を「故意ではないか」とすら疑うほどだ。
八つ当たりであり誤解ではあったが、シェルダンの一族は糧食産業から外された……。
―――ソルジェが知らなかったのは、それなりに没落してしまっていたからだよ。
ボクが覚えているのは情報の専門家であり、『ルードの狐』だからだね。
誰にも得手不得手はあるし、感覚で補えるなら知識が足りなくても問題はない。
シェルダンの一族は、糧食産業から離れたときから軍功を目指した……。
―――ユアンダートの怒りから逃れるために、息子を帝国軍の一員にしたのさ。
マリオ・シェルダンは剣術と槍術を幼い頃から習っていた、あくまで護身用のために。
本当は商人になりたかったのかもしれないが、これも乱世ではよくあること。
権力者から恨まれたなら、一族全員が処刑されるケースも数多い……。
―――ユアンダートがそれをしなかったのは、ただの偶然じゃないだろう。
ボクたちが分析するに、妻の一族や王国時代の貴族たちへの配慮だった。
シェルダンの一族と、彼らはつながりがあったからね。
婚姻関係まではなくとも、顔見知りではあったはずだよ……。
―――旧王国の人間関係が、シェルダンの一族をギリギリで破滅から救ってくれた。
マリオは幸運だったかもね、勝ち戦ばかりになる帝国軍に参加したんだ。
糧食商人の一族であったことも、彼の出世を早めてくれただろう。
十大師団の糧食産業や兵站については、それこそ金の卵で金のなる木……。
―――ユアンダートが信用する商人や、貴族たちがそれらを占有していたよ。
究極なまでに完成していて、大陸のどの時代のそれよりも優れていただろう。
でもね、あらゆることが完璧に済んだわけじゃない。
十大師団のために、周りの多くが割りを食うことだってあったのさ……。
―――十大師団に優先される糧食の流れ、それ以外の帝国軍の方が圧倒的に多いのに。
十大師団以外の部隊を指揮する帝国軍人どもは、大きな悩みにぶち当たる。
戦いばかりしていた者が圧倒的多数であり、兵站という輸送の道筋を企画できたとしても。
そもそもの糧食の確保が、何とも難しかったのさ……。
―――とくに、『それほどユアンダートに好かれていない部隊』ではね。
ユアンダートはファリス王国の旧支配層から、距離を取ろうとしていた。
嫌っていたわけではなく、より広大な領土を支配するためには。
『外』の才能を優遇することも、やむを得なかったんだよ……。
―――マルケス・アインウルフ将軍みたいな人物が、典型的な例と言えるね。
最強の騎兵隊を指揮する者を、優遇しないわけにはいかない。
『外』の新しい才能を、上手に活用するためには旧い人間関係は足を引っ張った。
そして、有能な『外』の才能を支配するために必要な哲学がある……。
―――明瞭な哲学でね、つまり『皇帝により従う者は栄えるだろう』ということさ。
ユアンダートに忠誠を誓う者には、多大なメリットがあった。
政治的に対立したり、不忠だったりする者にはその逆が襲いかかる。
『政治的に嫌われた部隊』というのもあってね、シェルダンはもちろんそこに送られた……。
―――『政治的に嫌われた部隊』では、大きな戦に参加させてもらえない。
激戦地に送り飛ばされて死ぬことはあっても、政治的・軍事的に価値ある戦はムリだね。
それでも、シェルダンと『政治的に嫌われた部隊』は相補的な需要があった。
糧食手配の専門家の息子は、この兵站の枯れた部隊に糧食を与えたというわけさ……。
―――おかげで、マリオ・シェルダンはそれなりの出世をしている。
まったく華々しくない軍事的キャリアであるが、幼い頃からの武芸が身を助けた。
決死の激戦地に、二度も送られているというのに生き延びているからね。
一度なら悪運で片づけてもいいが、二度なら運だけじゃなく実力もあったのさ……。
―――マリオ・シェルダンは、そこで勲章を得た。
激戦地で崩壊しそうな兵站に、個人的な商才と献身的な指揮のあげく。
新しい命を吹き込み、露払いの役目を果たすまで飢えさせなかったよ。
マルケス・アインウルフがやって来て、その激戦地を制するまで間をもたせた……。
―――華々しい出世は、見込めなかったけれど。
なかなかの苦労と、十分な実力と経験値を持つ古参の士官となったんだ。
狙ってもいい人材だから、ソルジェからの連絡を受けたあとで。
ボクは『拉致するように』という提案をして、受け入れられることになる……。
―――『ルードの狐』がこっそりしている作戦に、それは相性がいいんだ。
『ファリスの古い貴族と縁がある者を、殺さずに拉致することは』。
可能なら、印象操作を施したいところだよ。
敵の現場に『守備』的な対応をさせるためにも、シェルダンを『裏切り者』にしたい……。
―――意地悪なボクの個人的な好み、というわけでは断じてないよ。
これも政治的かつ知的な駆け引きで、好き嫌いを超えた妥当な判断に他ならない。
ソルジェには詳細を明かさなかったけれど、明かしても許してくれたはず。
何せ、他に手はないほど合理的な意地悪だったわけだしね……。
―――『アルステイム/長い舌の猫』の暗殺者たちは、良い仕事をしてくれる。
拉致や誘拐も、元・マフィアの人々には手慣れた仕事だったよ。
マリオの潜在的な不満や、欲望を見抜くことにも長けていた。
彼が求めていたのは、新天地だ……。
―――見果てぬ地平線にさらされながら、大陸をさ迷ってごらん。
少なからずの男の心に、古く粘り気を帯びた人間関係からの解放を願望させる。
マリオ・シェルダンは、子供の頃からの夢を叶えるかもしれない。
今度こそ商人になる、飛び切り腕のいいね……。
―――ユアンダートは、とてもいい判断をする男ではあるけれど。
あまりにも大きな野心を実行するときは、ほつれも生じるものだ。
完全な客観視をすることは、大陸制覇を成し遂げる男でも不可能だ。
愛する妻から受けた裏切りの毒は、ヤツから確かに完璧さを奪っている……。
―――もちろん、つけ込むよ。
この痛ましい悲劇にだって、不作法に使ってしまう。
これは戦争なんだから、当然じゃないか。
大魔王が知覚で切り裂くなら、狐は姑息なスマートさで影を走る……。




