第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その四百十五
―――あらゆる罠は、もちろん賢さを狙うものだよ。
ロロカは焦りと疲労に侵食されている敵に、問いかけを与えていた。
経験豊富な兵士であれば、ロロカの戦術の意図を読み切ることもね。
戦いは極端化されたコミュニケーションであり、行いはときに言葉よりも語った……。
―――ロロカは敵を指揮している、ベテランの帝国兵どもを分析している。
連中は戦いに対して消極的であり、命を対価にした勝利を求めてはいないと。
だから、ロロカは伝えているんだ。
『死にたくない者は、逃がしてあげてもいいですよ』とね……。
―――戦場で最も効率的に殺りくが行われるのは、逃げ始めたときだ。
背後から狩り尽くされていくことになるが、それでも多くの者が敗戦を悟れば逃げ出した。
おそらく本能的なものであり、これを否定することは難しい。
統率の取れていた状況とは違って、生命の危機を突きつけられているんだからね……。
―――死を強いるような権力は、この世の中にはもちろんあるんだ。
王さまや貴族の命令で、死ぬまで戦うこともある。
命はたったひとつしかないのに、他人の命令で死ななくちゃならない。
それに逆らうことがあったとしても、誰が責められるというのか……。
―――敗戦の将を見捨てた者は数多く、落ち延びようとした王の首を刎ねた臣下は多い。
兵士たちだって、ひとつしかない命の持ち主なんだよ。
必ず国家や組織や権力のために、死にたがるとは限らない。
軍隊の規律には反するし、社会的な『常識』や『期待』とも違っているだろう……。
―――誰しも、兵士には勇敢であることを望むし期待もするさ。
北方の戦士たちは、戦場で死に歌となれとまで教え込むんだからね。
それでもね、命はたったひとつしかない。
戦場で死ねば、『家族』を養える者がいなくなる……。
―――子供がいる者も、いた。
妻や年老い始めた両親がいる者も、すでに兄弟を戦で亡くした者も。
そうなれば、兄弟の妻子の面倒を見てあげるべきだ。
死がもたらす、本人以上の破滅が見えるのもベテラン特有の感覚ではある……。
―――ロロカはね、『裏切り者になって逃げればいい』と誘っていた。
だから、あえて『逃げ道』を用意しているんだよ。
臆病者になれば、『助ける』と。
負け戦になったとき、多くの者は敵を見つめるものだ……。
―――生殺与奪の権利を持つ者に、媚びてへつらう。
命は、それをする賢さも自由も持っていたよ。
帝国兵どもの一部が、ロロカに屈する。
隊列を維持することをやめて、北東に向かおうと主張し始めた……。
「逃げ道は、用意されている……あちらの将も、消耗したくないんだ」
「無傷では、逃してくれまい……」
「そうだ。それでも、包囲されるまで待っていれば……全滅しちまうぞ」
「……生きて、戻りたい。オレは、もう、七年も故郷に戻れていない!」
―――葛藤と議論を繰り返す敵に対して、こちらは実に落ちついていた。
ユニコーンと馬がいるからね、戦況が動き始めてからでも好き放題に作戦が選べる。
速さは時間に、換えられるからだ。
大半の戦士たちが、馬から降りてリラックスをしていたよ……。
―――でも、帝国兵どもは違っていた。
逃げるか、それともとどまるべきかで議論しているからだけじゃない。
集団の前方に、リエルとたった一頭の馬が歩いて回っているからだ。
疲れていない若馬をリエルが借り、その背のうえで弓を構えていた……。
―――帝国兵どもの前衛は、警戒を解けない。
リエルの宝石眼は、多少の距離が離れていても目立つからね。
翡翠色のかがやきに、敵どもは死を感じている。
何故なら、リエルはときおり矢を射るからだよ……。
―――天高く曲線を描く撃ち方であり、それを見定めることは難しい。
何せ、リエルたちが陣取った東側の上空には強い日差しを放つ太陽がいるからだ。
真夏の太陽のかがやきに隠れてしまう矢は、見つめようとすれば太陽に目が痛む。
強い光に目がくらめば、はるか上空から落ちて来る矢を見定めることは難しい……。
―――リエルは、ひとりずつ敵兵のアタマを射抜いていった。
矢の数に限りがあるから、敵をよく選んでね。
体格のいい敵を、殺すんだよ。
一定の間隔を開けて、偏ることなく……。
―――そうすることで、「不安を与えられる」とガルフから習っていた。
「戦場では死傷者を目撃するたび、誰しもが思いこむ」。
「『次は自分じゃないか』と、不安になってしまうものだ」。
「十人から十五人にひとり、それぐらい割合で殺していけ」……。
―――リエルはそのペースを、順守している。
大勢の敵が『死』を目撃できる範囲で、着実に殺しているんだよ。
「『死』を感じさせてやれ、それがいちばん恐怖を刻み付けられる」。
十人から十五人のあいだで、最前列にいる屈強な敵兵……。
―――逃げるかとどまるかを議論して、身動きが取れないあいだにも。
帝国兵どもは、リエルによる『死』を見せつけられている。
怒りよりも焦りだ、突撃していいと言われた方がマシだ。
リエルは敵の矢が届かぬ範囲から、気楽に粛々と殺しているだけ……。
―――帝国兵どもは、焦りながらも悟った。
逃げ道を与えられたが、議論の時間までは与えられていないと。
だが、それでも『逃げたい本能』と『合理的な不動の戦術』が反発し合う。
焦りと不安と恐怖が募っていくが、それももちろんロロカの策略に含まれていた……。
「議論が煮詰まり、焦りも深くなった。兵士も反発しつつあるでしょう。あなた方は『決め手』が、欲しくなっているはずです。不名誉で犠牲も伴う戦術を採るための、言い訳が欲しい。だから、私が与えてあげます」
―――罠は、賢さにかけるものだから。
ロロカは三つ目の狼煙も、部下に準備させていたよ。
そのディアロスは南から、帝国軍用の狼煙を上げたんだ。
帝国兵どもがそれに気づいたとき、ロロカたちは休憩の動きをやめた……。
―――あたかも、今から突撃するかのような気配だ。
帝国兵どもは、罠にかかる。
ついに東西と南を囲まれたのかもしれないと、思いこんでしまっていた。
まあ、ベテラン兵士どもは真実を見抜いていたかもしれないけれどね……。
―――すべては、ロロカの作った演技である可能性を知ってもいた。
だとしても、兵士の動揺が起きれば問題はない。
「囲まれて、死ぬんだ!」。
「ど、どうするんだよ。あいつらの突撃の威力は、けた違いなんだぞ……ッ」……。
―――帝国兵どもにとって、多くの悪条件が重なっていた。
いいや、正確には連鎖するようにロロカがデザインしていただけのこと。
敵は追い詰められてしまい、自分たちからロロカの差し伸べた手を取っていた。
「逃げるぞ。このままでは、とても戦えない!」……。




