第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その四百二
―――レナスに託された女神たちの力は、『人買い』に対して使われる。
命を蘇らせると言われたとき、メダルド・ジーは喜んだろうか。
死を望んでいたとは言わないけれど、自分を交渉のために差し出した。
ビビアナを殺さないという約束を女神イースにさせるため、彼は生贄になったんだ……。
―――その約束を反故にされるリスクを、メダルドならば心配しただろうね。
この男にとっては、何よりも優先されるのがビビアナのことだから。
姪のためならば死ぬことさえも、彼は恐れてはいないんだ。
リュドミナはその事実を理解し、状況を見通すための答えを与えてくれる……。
「不安に思うことはありません。『人買い』よ。あなたと我らが主、女神イースとの契約は守られる。たとえ、あなたが生贄の身分から解放されたとしても。女神イースとその眷属が、ビビアナ・ジーの命を奪うことはないでしょう。だから、その点は恐れなくてもいい。恐れるべきは、そちらではないのですから」
―――安堵しただろうね、自分が生き返るせいでビビアナを死なせることにならなくて。
そうであるとすれば、絶対に生き返るような道を選ばなかっただろう。
だが、リュドミナの言葉は不安も呼んだ。
賢い『人買い』は、自分に課せられようとしている新しい運命におびえもする……。
―――世界の成り行きを、見せつけられることになるのだから。
亜人種と『狭間』たちが、人間族と調和できるのか。
それは大きな課題であり、失敗しないとは断言できないことだ。
千年間、誰も成し遂げていない世界が訪れるなどと……。
―――もちろん、誰にも確約することは不可能だった。
生きることで、背負わせられるのだ。
『人買い』の負の歴史をすべて背負い、死んでしまう。
それはある意味、心地の良い死に方でさえあった……。
「そうだ。お前が、死ぬことを許しはしない。死の安らぎを、享受するのを私は許さないのだ。たとえ、あの魔王と竜が、新たな道を築いたとしても。お前は、その道でも苦しむことになるだろう。変えられない過去が、獣となって。お前を心の内側から、喰い破ろうとするのだ。『人買い』よ、苦しむことが、お前の人生となる」
―――レナスは、正直だったよ。
これは慈悲でもあるし、恨みを晴らすための復讐でもある。
『人買い』ジーの一族は、『自由同盟』が勝利の道を歩むとき。
過去の罪科を背負うことになる、消せない過去がメダルドもビビアナも苦しめる……。
―――『自由同盟』が、敗北の道を辿ればさらに地獄を見るはずだ。
『狭間』が生きられない世界で、『狭間』であることが露呈してしまったビビアナ。
彼女をどれだけの悪意が、殺しにかかろうとするだろうか。
それを目撃するリスクを想像するだけで、メダルドは恐怖にすくみあがる……。
「死は、安らぎですらある。忘れるな。私は……『人買い』のお前に、安易な解決を手渡すことはない。とてつもなく、大きな生きることの苦しみを。お前に、背負わせてもやるのだ。望んだことと、背負う罪科。それらに引き裂かれながら、日々を過ごすことになる。それは、大きな苦しみの時間だ。『カール・メアー』の巫女が、強いるべき行いではない。私は、この期におよんでもなお、完璧ではいられないのだ」
―――剣の力で、意識が蘇りつつあるメダルドは当然だと思っていたよ。
レナスの人生が、どれだけ『人買い』に破壊されてしまってかを見ているから。
この時間も空間も可能性も、すべてが普通ではない場所で。
見せられて、共有してしまっているから……。
―――『人買い』であることの罪深さを、これまでも背負ってきただろうけれど。
レナスの悲劇は、あまりにも『人買い』であるメダルドを苦しめる。
許せなくて、当然なのだ。
それでも、レナスは許そうともしている……。
―――それこそ、奇跡そのものだ。
あれだけの恨みも、あれだけの怒りも。
完全な忘却をすることは、出来なかったとしても十分過ぎる。
レナスはあんな目に遭わされても、正しさよりもやさしさを選べるんだ……。
「それでも。お前は、きっと。私の選択に感謝する。愛する者と、共に過ごせるのだ。生きて、共に。それは、多くの幸福を、お前にあたえてくれるはず。笑顔を見るがいい。お前の愛する娘は、お前の帰還に喜ぶだろう。私の父親は、戻ってはこれなかった。でも、お前は、戻れるんだぞ。バラバラに引きちぎられた、家族とはちがう」
「お前は苦しい戦いの日々を過ごしながらも、大きな幸福を噛みしめられる。どれだけの者に恨まれたとしても。どれだけの悲劇を見ることになったとしても。愛する者のもとに、お前は帰ってやれるのだ。私の家族は、『人買い』と戦いのせいで、バラバラになった。死はやすらぎだが、絶望でもある。戻れぬ者の、椅子を見る。戻れぬ者の声を、聴きたくなる。死が、どれだけ残酷で。厳粛で。さみしいものなのか」
「『人買い』よ。生きて、会うがいい。戻るのだ。これが正しいかは、わからない。でも、これは、私が、成し遂げるべきことだと……信じられる。してやりたいから、してやるのだ。もはや敗北でも、勝利でもない。これは、私の叶えられなかった願い。『人買い』に奪われた切なる願いを、『人買い』よ、罪深きはずのお前に託す」




