第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その四百一
―――最後のときが、近づくほどに。
レナスは何にも囚われなくなった、死ななければ解放されないほど。
生きにくい人生であったことも、『今』では恨んではいない。
この結末に至るためには、すべては確かに必要だったから……。
―――自分たちの行いと、必死な祈りはひとつに集まれた。
すべての選択に、いつでも動機があるとは限らないけれど。
これはただの気まぐれでもなければ、ひねくれ者の天邪鬼がさせたわけじゃない。
慈悲の女神を信じる者たちの全員が、正しさを超えたやさしさを選んだだけのこと……。
「この憎しみと、この怒りもまた。我らが道を示すための意味と価値。もはや、その苦しみを私は振り返る必要はなし。女神と融け合った者よ、聞くがいい。私は『お前』を許そう。お前の罪は、大きい。お前の血を、私は憎むべき立場にあるのだ。どれだけを奪い、どれだけを破滅させたのか。私は、お前を許すべき立場にはありはしない」
「それでも。私を行動させる怒りの熱は、もはやないのだ。お前やお前の血族が犯した罪は、あまりにも多く、あまりにも長いものだろう。その罪科の強さに、お前はいつか内側から食い破られるかもしれない。罪科の獣は、心のなかにこそ君臨するもの。私には、尽き果てぬ恨みをあたえ。それと同時に、この道を歩ませもした。お前にも、苦しみ以外の道を、あたえるだろう」
「罪深い者よ。そして、私が恨むべき者よ。この剣で、切り裂いて。千年の苦しみをあたえるべき者よ。それでも、私がこの本当の終わりにおいて、お前に期待する願いが分かるだろうか?……分からなくても、当然だ。これは、まるで動機と矛盾する、あべこべの行いに見えるはず。私だけでは、至れるはずのなかった答えなのだから」
「生きる時間を、あたえてやろう。それは、けして楽な道でもない。この解放感ある死よりも、はるかに辛い道となるものだ。矛盾じみた、因果に反する道は、あまりにもお前を苦しめる。壊され穢された身で、聖なる慈悲の道を怒りとともに歩んだ私には、誰よりも分かるのだ。お前は生きながらも、変えることのできない過去に、八つ裂きにされ続けるだろう」
「生きることが、救いであるとは限らない。お前の信じようとしている道は、あまりにも過酷なものだ。この世の中は、変革などを期待しない。私たちの千年が証明したように、融和の善意など、本能から生まれた悪意には勝てないものだ。千年の祈りは、ことごとく裏切られた。それでも、よりにもよって、お前が選ぶというのなら……私はこの力を使ってやろう」
「忘れるな。これは間違いなく、罰でもある。お前は見ることになるのだ。はかない希望が、次から次に力尽くに壊されていく瞬間を。心からの祈りが、何かをあたえてくれるとは限らない。命がけの行いも、暴力によって、あっさりと台無しにされる。悪意の芽は、どこからでも生まれ、お前の信じた未来を、打ち崩しにかかるのだ。私たちの千年が、それを保証する」
「聖なる使命と信じていても、それはいずれにしても地獄である。お前の愛が、偉大であろうとも。お前の愛する者たちに、罪などなかったとしても。私のように、敗者となるかもしれないのだ。おそらく、お前は期待しつつも、恐れているだろう。お前の兄の運命が、すでに結末を指し示しているのだから。ヒトは、多くの場合で、やさしくなどないのだ」
「分かっているだろう。この私が、レナス・アップルという者が、どこまでも、やさしくなれるなどとは、今さら自分に期待してはいない。これは、完全なる慈悲ではないのだ。女神イースからあたえられた聖なる任務でもない。究極のやさしさでもなければ、それでいて恨みや憎しみでもない。これをする動機は、どこか意地の悪い私らしいものなのだ…………」
―――レナスのそばで、リュドミナが微笑む。
生者が背負うべき義務もなくなった『今』、リュドミナもまた弟子にならうべきだ。
消えていく亡者たちは、ふたりがかりでその剣を支えている。
ふくれあがった感情のせいで、言葉に詰まってしまった弟子に代わり告げるのだ……。
「……これも、私のすべきこと。レナスに代わり、歌いましょう。あなたは、たくさんの苦しみを瞳に収めることとなる。希望は、異なる正義に属する暴力と、誰の心にもある本能めいた悪意に、壊されていく。千年の日々は、私たちに成すべき道を示しましたが。この道もまた、あなたがたと竜の力により、滅びてしまったの」
「生きてしまうことで、多くの絶望を見るでしょう。あなたの祈りや、あなたの願いは、殺されていく。あなたが心の底から、最も望む未来さえ、不意に破壊されてしまうかもしれません。慈悲深い者であれば、あなたを死の解放のなか、おだやかな眠りにつかせてあげたでしょう。弟子がそうであるように、私もすこし意地悪なの」
「あなたは苦しむでしょう。願いが、力で叶えられたときですらも。過去は、罪科の獣を呼び寄せる。心に噛みつき、罰の苦しみを背負わせる。矛盾にすら見える時を過ごすのは、地獄です。あなたの願いとは裏腹に、あなたが傷つけてしまった者たちに恨まれる。私の弟子ほど、やさしくはない。あなたが奪った可能性に、あなたは必ず復讐されます」
―――可能性、その言葉は牙より鋭くて牙より荒々しく食いついてくるだろう。
すでに大魔王が教えたからだ、「ガンダラが本を読めずにオレより馬鹿なことだってある」。
可能性を奪うということは、そういう残酷で非生産なことだよ。
誰かから奪ってしまった可能性はね、もう戻りはしないんだ……。
―――誰かを奴隷にして、売り払う。
その人にあったはずの、可能性をすべて奪い尽くしてね。
運命を無理やり強いる、とても罪深くて許しがたい行いだね。
神さまだってしない、邪悪な行いだってことさ……。
「敗北であっても、勝利であっても。その生は、地獄のように苦しいものとなるでしょう。その生を、あたえると。私の弟子は言っているのです。あなたは、望みますか?それとも、望みませんか?……もう運命を選択する余地など、ないのです。今回は、いつもと逆になる。運命を押しつけましょう。かつて、『人買い』に苦しめられた私の最愛の弟子が、『人買い』に希望と絶望の運命を、押しつけるのよ」




