第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その三百九十五
―――歌がどこからやって来るのか、それを問うた者は少なからず。
それと同時に、明瞭な答えを得られた者は多くはいない。
難しいからじゃなくて、すこしばかり理解しがたいからだよ。
レナスは威厳ある父親の声を使い、空を揺らした……。
―――それは彼の実際の父親よりも、ドワーフの職人あたりに似ている。
当然だろうね、この低く揺れる深い音というものは。
やさしかった彼の父親よりも、怒鳴ることが仕事のひとつだと信じる親方仕事に向く。
うなる雷のように、聴く者の腹の底まで揺らしていたよ……。
「あら。それは、ドワーフの歌い方ですね」
「はい。ダメでしょうか?」
「いいえ。私は、その歌い方も好きなのよ」
「そうですよね。この厳父階級の音には、ドワーフのそれが相応しいんですから」
―――人種差別主義者たち、というわけもでないのが難しいところだね。
レナスは短慮と怒りから、衝動的に差別主義めいたものに憑りつかれてはいたけれど。
リュドミナに至っては、そういう感情さえもないんだから。
ただの善意であり、ただの正義の齟齬の結果にすぎないし……。
「ドワーフの歌声は、この音に適しています。よく、学べていますよ。これは、私の祖父が怒鳴っていたときを思い出せます。老いた牧羊犬のように、低くて長く、うなるのよ」
―――ドワーフの声には、そんな感情まで持っていたらしい。
愛する『家族』をも、連想させる音だったと。
純粋な音楽の達人としての価値観も、彼女は有していたわけだ。
もっと邪悪な背別主義者だったら、解釈が楽になっていいんだけれどね……。
―――慈悲のために、殺すなんて。
めちゃくちゃな考えのくせに、とってもやさしい人たちでもあるから困るよ。
『カール・メアー』らしく、ややこしいんだ。
ドワーフの楽団で、オーボエでも演奏すれば良かったかもしれない……。
―――それだけで、彼女は何かの罪科を選ばずに済んだと思う。
ちょっとした違いさ、本当に困ったものだよ。
レナスとリュドミナは、今はとても無邪気だ。
生きているうちに、もう少しと願ってしまうのは生者のおごりだろうか……。
―――今度は女エルフの歌い方を、レナスは真似た。
幻想的なまでに、透明感のあるあの声質だよ。
尼僧として生きようと試みた、男として生まれた者は研究熱心だったわけだ。
最も女らしい声を求めて、研究していたんだね……。
―――それは空の音さ、どこまでも広く透き通りながら響いたハミング。
乙女の音を、レナスは完璧にこなしたよ。
今までで、最も上手に。
リュドミナもとても嬉しそうな笑顔で、拍手をしてくれた……。
「すごいわ。さすがは、レナスね」
「……少々、照れます。どこか、劣等感もあったんです。私は、本物の女にはなれなかったですから」
「いいのよ。それでいいの。だって、そこから……歌はやってくるのだから」
「……はい。私たちらしい、場所だと思います」
―――どこから歌が、来るのかだって。
ボクは答える義務はない、それはもう少し先で出会えばいいのだから。
音楽の師弟は、ニコニコしているよ。
敵として出会ったことは、もうずいぶんと昔な気がする……。
「姫君の声は、用意できたようね。次は、どうするのかしら?やはり……もちろん」
「はい!騎士の声が、相応しいと思うのです」
「お姫さまには、騎士の声がとなりにいた方がいいものね」
「は、はい!」
―――ああ、青臭い恋心の間の抜けたこと。
垢抜けない田舎臭さで、身勝手な妄想を呼び起こす。
リュドミナが恋の猛者なら、気づけたのかもしれないね。
誰かの騎士になりたかった者がひとり、歌い手をやっている……。
―――人間族の男の声だね、力強さと華やかさがある。
それでいて繊細で、お姫さまのとなりにはピッタリかもしれない。
これはきっと、うちの団長さんだとか。
アリーチェのご両親も喜ぶだろう、かつてエルフを娶った騎士がふたり……。
「男性らしくもあり、どこか気品もありますね。あなたは、この声が得意だったのに。いつも、遠ざけてしまっていました」
「は、はい。申し訳ございません」
「いいのよ。許してあげます。『今』このとき聴けたなら、十分ですから」
「はい。どうにか、ギリギリで……間に合いました」
―――はかなき者たちの、無欲なこと。
僧侶はもっと、現世を生き抜き欲深くあった方がいいかもしれない。
こんな歌の生まれ出でる場所で、出会ったからといって喜び過ぎは良くないよ。
その純粋さを、好んでいたから信心深くあれたのかもしれないけれど……。
「次は伝統に従って、大臣賢者の声のはずね」
「もちろんです。選ぶべきは、ただひとつ。不撓不屈、どんな悲しい運命からも岩のように逃げない者たち……」
―――巨人族の男の声さ、決まっているね。
賢さと忍耐を、どの種族よりも合わせ持つと言えば彼らを差し置いてはいけない。
冷静なくせに、温かくて。
それいでいてしぶとく強く、静かに耳へと残ってくれるんだ……。
「幼いころに、会いました。彼は、旅する僧侶の従僕でした。とても重たい荷物を運びながらも、不平のひとつも言いません。まるで、大きな山脈のようなのです」
「あなたは、たくさんの……いいえ。つづけましょう。まだ、足りませんから」
「はい。子供の声を、選びます」
「あら。伝統とは異なるけれど。その順番でも、問題はないわね」
「だったら、良かったです」
「聞かせて。それは、もちろん……」
「ケットシーの女の子を、真似るべきですよね!」
―――豊かに弾む、愛おしい可能性の音域だ。
誰もがその明瞭さと、幻想と現実のあいだを行き来する元気の良さに魅了される。
ミアも、竜騎士姫に使えた名前を捧げた黒髪の乙女もうなずくさ。
ああ、見事な声が空に弾みながら伸びて広がる……。
―――リュドミナも、天才だよ。
彼女の拍手が、レナスの能力を引き上げていく。
ケットシーの呼吸も心音も、口腔の構造も理解し尽くしていた証。
まったくもって、詠唱の長たるや……。
―――さて、最後の声を選ぶべきときがやってきた。
リュドミナの魔法の拍手が止んで、今はただじっと見つめて待っている。
とてつもなく、勇気がいるからね。
歌の生まれ出でる場所から、それを『カール・メアー』の者が探るのは……。
―――ただひとつ、救いがあるとするのなら。
ビビアナ・ジーは、生きている。
かつて殺してしまった者や、すでに死んで女神となった少女とは違ってね。
豊かなる境界の僧侶、男と女のはざまにいる最近のレナスが目指した声……。
「『ハーフ・エルフ』の声は、とても……僧侶らしいのです。私も、目指した場所でした」
―――歌の生まれ出でる場所は、もちろんあるよ。
あらゆる歌い手たちが、ちゃんと伝えて来たけれど。
その意味が、しっかりと伝わったかまでは定かじゃない。
記憶から、いつだって歌が生まれた……。




