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5月2日書籍版発売!!元・魔王軍の竜騎士が経営する猟兵団。(最後の竜騎士の英雄譚~パンジャール猟兵団戦記~)  作者: よしふみ
『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』

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第四話    『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』    その三百九十二


―――習慣というものは、芸術家にとっては貴重なことだ。

毎日だって、それに没頭する時間を作らなくちゃならない。

それはとても難しくもあるよね、毎日欠かさずに何かを行えることがどれだけある?

芸術を愛する者でさえも、それから逃げたくなる日はあるものだ……。




―――ヒトは怠惰な生きものだし、どうしても堕落は心地良いからね。

そういう妨げから、解放されるための数少ない解決策のひとつが習慣に頼ることだよ。

それをしなければ心がすまないように、自分を書き換えていく力がそれにはある。

レナス・アップルは、聖歌と出会って大きく変わった……。




―――幼いころ、天才はちいさな教会でその才能を開花させる。

ピアノの調べに心を弾ませながら、ちいさな口から大きな歌はあふれていった。

周りの人々は、たいへんに驚いたものだよ。

レナスというちいさな少年の声には、聖なる力が宿っていたと本能で悟れたからね……。




―――歌はレナスに与えられた、最も大きな才能だった。

信心深い田舎の人々は、レナスの歌う聖典の物語に涙を浮かべる。

聖歌は女神イースの慈悲や、彼女の起こした奇跡。

信者たちへの約束についてが、描かれているからね……。




―――その聖歌に、不幸に打ちひしがれた者はなぐさめを得ることもあった。

誰もが女神イースから、幸福な運命を与えられていたわけじゃない。

病気になって死んだ者、盗賊に殺されてしまった者もいる。

誰だって幸せになりたかったはずで、努力もしたけれどそうなれるとは限らない……。




―――老いさらばえた人間は、亡くした『家族』を思い出せた。

女神イースを信じていれば、死後の楽園でまた出会えるだろうと。

レナスのやさしくて清らかな声は導きの灯、悲しみの闇を取り払う。

大人になれなかった孫もいたし、魔物に食われた息子もいた……。




―――遠くない未来において、自分はまた『家族』に会えると確信が抱ける。

レナスの聖なる歌声は、人々の心に聖句をやさしく届けられた。

そのことをレナス自身は喜んだし、それと同時に自分の使命だとも感じる。

才能は周囲を尽くさせもするし、縛りもするんだ……。




―――もっと上手に、歌えるようになりたいんです。

レナスほどの才能ならば、当然のことだ。

自分の心さえも、彼の才能は虜にしてしまった。

周りをそうした容易に、とてつもない才能は自分も周囲も奴隷にしてしまう……。




―――それが、楽しいのだから問題はないよね。

レナスにとって、歌うことほどの喜びはない。

大陸を季節といっしょに、巡りながら歌う小鳥たちと同じようなもの。

止まることはなく、どんな日でもレナスは歌の練習をする……。




―――日々の労働で流した達成の汗よりも、もっと異なる充実感だ。

村を訪れたイース教の、宗派も知らない若い僧侶。

彼もレナスの才能に惹かれ、才能に奉仕させられた者のひとりだった。

素晴らしい歌い手がいると聞き、レナスのもとへと現れた……。




―――彼は大きな感銘を受けて、一冊の古い本をレナスに授けることになる。

レナスの世界観は、その本のおかげで大きく変わっていくんだよ。

『歌い方のための訓練方法』だとか、『発音・発生のための学術的研究』。

そんなものが実在するなんて、田舎の村人は知るよしもなかったからね……。




―――旅の僧侶は、多くの信心深い者がそうするように。

『プレイレス』で古流派の学問を修めようと志し、自らの財産をすべて使い果たす。

偉大な知識を多くは得たが、持て余した知識もお土産にしていた。

『女神の言葉をより正しく再現するための歌い方の研究』、その名著だ……。




―――その本をレナスに託すことは、レナスの才能がもたらした現象のひとつ。

僧侶はそうすべきだと、信じていたよ。

だって、レナスの才能以外にこの知識が相応しいとは考えられなくなっていたから。

レナスに読解がむずかしいであろう場所は、村の僧侶に読んでもらうことにした……。




―――声楽が六つの大属性に分かれていて、それらの修練には違いがあるなんて。

レナスは初めて触れる、歌にまつわる知識に夢中になっていった。

自分の大好きな分野は、より大勢の人々も大好きであり。

何百年どころか千年以上前から、研究されていたことを知ると感動するよね……。




―――ボクの場合は、文学だけど。

レナスの場合は、声楽だった。

歌うことを多くの人々が研究し、より良い歌い方のために研鑽を繰り返す。

レナスは自分のしていた我流の努力と、それらを結び付けたなった……。




―――ただ大きな声を出せばいい、という素朴な発想は終わりを告げる。

感性で真似ていた声質ではなく、より学調に適した声質があるのだと。

詞には抑揚があるべきで、それらの使い分けは地域性や文化により多彩さがある。

選ぶべきことと学ぶべきことが多いと、8才の天才は自覚したんだ……。




―――翻訳係となった村の僧侶や、文字を読める老人たちに聞いて回る。

歌い方の本を携えて、多くの発見を求めた。

ひとつの知識を獲得すると、レナスは感動にその身を震わせる。

すぐさま試して、練習を開始したんだ……。




―――『舌の動き方』の章は、レナスの才能を磨くにはうってつけだった。

自覚していなかった点であり、盲点だったと興奮する。

どうしてこんなことに気づけなかったのか、当然だよね。

周りの大人には理解が出来ないだろう、芸術はとても繊細で風変りでもある……。




―――詩想を理解するために、たくさんの本を読むべきだとも知った。

物知り老人の畑を手伝うことにした、老人たちは昔の演劇や物語をよく知っているから。

あらゆる物語には、秘められた意味があるのだと学んでおけば練習も効率的ではある。

どうして老人たちが、その物語を話したくなったのかも探れるようになった……。




―――レナスの才能への献身であったり、夏の過酷な労働へのいたわりであったり。

かつて自分が感じさせられた、心の古傷として残った葛藤だったこともある。

子供たちへの心配や、純粋な祈りでもあればヒマつぶしの寝物語もあった。

多くの物語を吸い取りながら、それの意味を味わえば歌に込める心の方向性も見える……。




―――才能を持った者らしく、レナスと周りの人々はその才能に従事させられた。

大きすぎる才能は、けっきょくのところ本人の所有物でさえなくなるものだ。

本人さえも、才能の従属物になっていく。

その教本にも書かれていたが、自分の才能を知らないレナスは理解できていない……。




―――才能に憑りつかれて、破滅した天才たちの多いこと。

文学の世界なんかでは、珍しくないよね。

人生を悲嘆する主人公が、内省の果てに自分の心の醜さに気づいて自殺した。

そんな悲劇の物語を描いておいて、作者が元気に生きている……。




―――自殺しないと、芸風が完成しないんじゃないか。

自殺もしていな者が書いた悲劇など、誰が説得力を感じるのか。

強い才能は、よく才能の所有者だったはずの者まで生贄にしてしまう。

今のレナスなら、それは誰よりも分かっただろうに……。




―――幼ない頃に、自身の結末を知っていたら怖がっただろう。

歌の才能さえなければ、去勢されることもなかったし。

お母さんだって、殺されなくてすんだのだから。

でもね、才能はおぞましいほどに強力なものだ……。




―――自身の結末を知ったとしても、けっきょくはレナスの習慣は続いただろう。

歌うための訓練を、毎日した。

朝起きた瞬間から歌のことを考えて、よる眠るときも夢のなかでも考える。

レナスにとっては、それが最大の喜びだったから……。




―――楽しいことはね、どんな苦労もさせてしまう。

とてつもない才能もまた、同じように道の奥底へと魂を引きずり込んだ。

悲劇をもたらして、女神イースをこの世界に復活させるほどの才能。

レナスはいつでも、歌うことを求めていた……。





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