第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その三百八十九
―――それを比較して、決めることは不可能だけれど。
世界でいちばん、苦しいかもしれない道を歩んだ子がいた。
とてつもなくかわいそうだから、何かをしてあげたくなったようだ。
分からなくはない、やさしい心はかわいそうな者を見捨てたくはないからね……。
―――これは、とても慈悲深い母性の力さ。
すべての願いを叶えられなかった、路傍の石ころみたいに打ち捨てられた絶望の子たち。
どんな夢でも、どんな願いでも。
ただひとつだけ、叶えてしまえるかもしれない『運命の委任』だ……。
―――まったくもって、何てことをしてくれるのだろう。
そう考えてしまうボクは、心ない男だろうか。
でも、ちょっとは理解して欲しくなる。
だから、自己弁護をひとつだけさせて欲しい……。
「どんな願いでも、いいんだよ。これは幻や夢の力じゃないの。私の力も、あなたに分けているんだから。すべては、あなたが決めてしまっていいことにしたの!」
―――それは、つまりボクたちを破滅させるための願いも含まれるんだ。
『カール・メアー』の化身のような、とんでもない『敵』に対して。
『かわいそうだから』といって、そんな権利を委ねてしまう。
それが、正気じみた行いだと言えるのかな……。
―――子供という存在は、本当に恐ろしいものだよ。
よりにもよって、レナス・アップルに。
『自由同盟』の運命を、ひょいと手渡しているなんて。
レナスの人生に同情はするけれど、それとこれとはさすがに話が別じゃないか……。
―――この場にボクがいたら、アリーチェを止めにかかっただろう。
姉だったら、迷わず殺しにかかっていたさ。
ボクたちの個人的な感情だけじゃなく、『ルードの狐』としての使命のために。
「好きなようにつかってね!」、姉なら発狂しそうな言葉だよ……。
―――「だから子供って、苦手なのよね」。
ドン引きした表情から、その素直な言葉が飛び出るのが容易に想像できた。
冷静沈着で、ヒトの心が少な目かもしれないボクたち『ルードの狐』なら。
この未曾有の危機に、暴力で介入したはずだ……。
―――それが、ある意味ではボクたちの限界だろう。
せいぜい正しいことしか、けっきょくは選べないんだよ。
アリーチェと女神イースは、そうじゃない。
ソルジェに訊いてみたいよ、大魔王の意見をね……。
―――怒るかな、どうだろう。
ちいさな女の子には、甘いから。
それに狐よりも、ずっと変わり者だから。
ボクと姉とは違う結論に、達していたかもしれない……。
「あ。ソルジェには、秘密だよ。ばれたら、きっと、しかられちゃうからね……っ」
―――ささやくようなひそひそ声で、アリーチェはそう言ったんだ。
レナスは聞こえていたけれど、それどころじゃない。
消えていく女神イースの気配と、それと同時に体にあふれる力が圧倒的すぎた。
さみしさと困惑が、レナスの身も心も内側から引き裂きそうになる……。
「め、女神イースっ!!こ、これは……この力は……っ」
『……お前の、好きに使うがいい』
「ど、どう……使えと言うんですっ」
『あらゆる束縛から、解放しよう。私の与えた試練をすべて乗り越えた者よ。今は、すべての義務は燃え尽きた。あとは、ただただ、お前のために……願って――――――』
―――女神イースは、微笑みながら消え去っていた。
その結末を知っていたはずなのに、レナスは苦しみで叫ぶ。
レナスにとって、『すべて』だった者と離れてしまったから。
空を見上げた、夏の空を探した……。
―――もちろん、女神イースはいない。
海で遊ぶ子供たちも、今はもういなくなっていた。
アリーチェさえも、その場にいない。
ただ、ひとりだけレナスだけがいる……。
「こ、こんな……こんな力を託されて……め、命令もなし。む、無責任じゃないか。こ、こんなの……ど、どうしろと……どうしろと、言うんだああああああああああああッッッ!!!」
―――アリーチェは、見送ることにしていた。
女神イースが創り上げたみせた、『それぞれの世界』を。
赤い竜の背に乗って、宇宙の星々を見るのとまったく同じこと。
あのとき見た星のように、それらは命であり記憶であり世界そのもの……。
「ここは、とても特別な場所だから。他の神さまたちに邪魔をされないから。終わらない夢のなかで……みんな、楽しく遊んでね。そこには、女神イースもいるよ。私もね、つきっきりじゃないかもしれないけれど。ずーっと、見守ってくからね。だって、友達だ。いっしょに、遊んだもの。女神イースも、友達。いっしょに、ソルジェにも秘密のコトをした!」
「……『あなた』も、秘密にしていてね。ソルジェには、ちゃーんと、誤魔化しておいてね!」
―――子供だし、女神だけれど。
さすがは女の子ということだろうか、おかげでソルジェには秘密になった。
『トリックスター』に、ケンカを売ることは避けたいものだね。
まあ、すべてはレナスの選択次第だけれど……。
―――どこでもない海岸に、ひとりだけ残されたレナス・アップル。
叫んで探し回ったけれど、最初から知っていたはずだ。
ここは現実じゃなくてもっと異常な場所だし、女神イースは去った。
時間の流れも信用してはならない、百年探しても一秒しか経たないかも……。
―――いずれにせよ、知っていたはずの通りになる。
立ち止まり、海を見つめながら立ち尽くした。
空には無数の星々が、きらきらとかがやいている。
女神たちの力を託されたレナスには、よく分かったよ……。
―――あの星々は、殉教した子供たちの世界だ。
女神たちの力で、現実ではない世界が終わりなく続くだけ。
子供たちは、それぞれの場所で幸せに暮らしていく。
大人にだってなれるし、どんな夢でも叶うんだ……。
―――レナスにも、その子供たちの『天国』と同じものを創り出せる。
『自分のための完璧な夢の世界』、それもひとつの選択だ。
現実で『もうひとつのオルテガ』を落下させることも、選べるだろう。
その結果、レナスは『カール・メアー』の願いを叶えることになった……。
―――でもね、女神イースは『カール・メアー』の願いを聞いたわけじゃない。
レナスの個人的な願いを、叶えてあげるために力を遺したんだ。
それをレナス自身は、誰よりも理解してしまっている。
だからこそ、吐きそうになるほど苦悩していた……。
「ず、ずるいです……それでは、それでは……私だけに、責任があるじゃないですか」
―――『自由』というものの、ちょっとおっかない本質のひとつを味わっていた。
すべてを選べるけれど、すべての責任は自分にある。
ヒトは誰かを頼りたくもあるよね、指導者が必要なときは多い。
自分を信じられないときもあるから、神さまとつながろうともする……。
―――レナスは、すべてを託されていた。
しかも、信仰を頼れないことも理解している。
どんなことでも、していいチャンスだ。
『今後は完璧な人生をやり直してもいい』し、ソルジェに反撃してもいい……。
―――今では、女神イースがソルジェと瞬間の同意を結んだことも知っている。
攻撃よりも、レナスや子供たちに『何かしてあげようとした』事実を。
敗北したことは許しがたいけれど、それでも女神イースの選択だ。
だが、それさえも覆せるんだよ……。
―――とてつもなく『自由』な権利を、レナスは与えられた。
大魔王よりも皇帝ユアンダートよりも、今なら大きく世界を変えられる。
『君』なら、そんな権利を与えられたらどう思うかな?
ボクは狐としての選択をするだけ、迷うことはない……。
―――でもね、それはあくまで自分が好きだからだよ。
クラリスのために生きて、もちろん死ぬことが好きだから。
その前提が異なれば、たとえばクラリスが帝国に殺されていたらどうだろうか。
ボクは彼女を守れなかった自分を許せず、この権利を持て余す……。
―――『自分が嫌いな子』は、自分に権利があるとは思えないんだよ。
自分を許せないから、幻の幸せだって欲しがることもできない。
死んだクラリスと、完璧な夢の世界に彼女を死なせたボクが逃げられるとでも?
仮定の話でさえも、虫酸が走るのにね……。
―――ありえないよ、自己嫌悪はおっかない死の病みたいなものだ。
自分には幸せになる権利がないと、思い込んでしまう。
罪の意識は、罰を求めてしまうものさ。
すくなくとも、レナスはそういう考えに至った……。
―――ボクが、その場にいたら。
こんな苦しみからは、痛みのない一瞬の斬撃で解放してあげたのに。
『自由同盟』の危機を救うためであり、同情すべき君のためだ。
でも、そこは究極に不可侵で指一本届きやしない……。
―――謝罪の言葉をしておくよ、殺してあげられなくてごめんね。
レナス・アップル、君は見つめなくちゃいけない。
どんな選択が、本当に自分を救えるのかを。
困ったことに、この大陸の『未来』は君の手に委ねられてしまった……。
―――君を信じてくれた女神たちのために、しなくちゃならない。
『君自身が誰よりも嫌いな自分を直視して、そんな自分の願いを探す』。
それは地獄の苦行だと、君は理解してしまっているから。
今このときまで、その場にうずくまっていたんだ……。
―――でも、君は誰よりも忠実な女神イースの使徒だから。
彼女のために、考えられる。
世界でいちばんおぞましく、何よりも醜いと思っている自分の心に。
今こそ、出会わなくちゃならない……。
―――とてつもなく不幸な君が、どんな願いを持つのか。
すごく怖いけれど、見守るよ。
君は世界をいくらでも憎めるし、今は女神からも自由なのに。
始めよう、君自身の『仮面』の奥底にある願いの探索を……。




