第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その三百八十六
「女神イースさま、お話を、していただけるのでしょうか」
『もちろんだ、レナス』
「私に、そ、そのような価値があるとは思えないのです。守れませんでした。弱い。私は、とても……弱かった……」
『十分な強さであった。その人生を、信仰に捧げた者のひとりである。お前には、価値があるのだ』
―――抱きしめてやるために、レナスのそばへと近づいたけれど。
レナスはちいさな悲鳴をあげて、女神イースから離れてしまう。
拒絶しているわけではなく、自分の身を穢れていると思ったからだ。
去勢され犯された体のことを、レナスは恥じている……。
「ど、どうか。私などに、触れないでください。それは、貴方さまを汚すような行いになるんです。それは、それだけは私には耐えがたいのです……っ」
『私は、そのようなことを気にしない』
「ですが!わ、私が気にするのです。私は、とても……穢れている。どうか、近づかないでください。聖なる主よ、私は、それをしてしまうぐらいなら、この剣で自らの首を落とします!」
『……そうまで言うのならば、お前に従うとしよう』
「ありがとうございます!ああ、ああ……女神イースさま……私は、私は、貴方にお会いしたくありました。お守りしたかった。そして、謝りたかったのです。私は……おぞましい竜と竜騎士から、貴方を……」
『お前のせいではない。十分に戦ってくれた』
「ですが。敗北しては、何も意味がありません。私や、私の師であるリュドミナ・フェーレンがしてきたことは……すべて……」
『意味はあった。私は、この世界に降臨できたのだから。お前たちにも会えた』
「それだけでは……足りないのです。女神イースさま……こ、これが最後の機会であるというのであれば……お、お聞きしたいことがございます」
『ああ。問うがいい。すべてに、答えてやろう』
「……ありがとう、ございます。女神イースさま……ど、どうして。どうして、この私に、これほど過酷な運命をお与えになったのでしょう」
『運命ゆえに選んだ。お前の痛みも、怒りも。すべては、私の責任である。あらゆる苦しみと絶望は、私がお前に与えたのだ』
―――その言葉は、レナス・アップルを失望させることはない。
むしろ、その逆だったよ。
自分の信仰の道が、正しかったのだと保証されたからだ。
ただの不幸ではなく、女神イースの与えた試練であれば耐えられる……。
「も、申し訳ございませんでした。貴方さまの御力と大いなる意志を、私のようなヒトの身では推し量ることはできません。疑った、わけではないのです。ただ、ただ……」
『不安であったのだな。安心するがいい。お前こそ、真なるイースの使徒である』
「あ、ありがとう、ございます。その言葉だけで……私は……私は…………」
『……レナスよ。あらゆる問いを許すと言ったはずだぞ。どのような問いでも、ぶつけてくるがいい。お前の問いを、お前の嘆きを……お前の本心を、聞き届けてやりたいのだ』
―――それは、レナスには苦痛を伴う試練でもあったよ。
レナスは自分の『本心』なんて、見たくもないんだから。
どれほどおぞましく汚れているのか、醜く歪んでいるのかを誰よりも知っている。
聖なる者であろうとしたが、それをする権利が自分にあったのか分からない……。
―――リュドミナ・フェーレンの言葉や、自らの覚悟はあった。
だが、自信を持つことは難しい。
過去を消し去ることは、否定することも出来やしない。
心と魂にこびりついているのだ、屈辱と絶望の時間がね……。
―――レナスはね、自分のことが世界でいちばん嫌いなんだ。
なりたかったはずの自分から、あまりにも遠くに来てしまった気がするから。
それでも、女神イースに命じられたら。
どうにかこうにか、勇気が持てる……。
「わ、私は……私は、た、たくさんのおぞましい行いをされてしまいました。お、男として生まれたはずなのに、せ、性器を切り落とされ……ひ、『人買い』ごとき……お、おぞましい男に、犯されました」
『耐えがたい苦痛であったな、レナスよ』
「は、はい。そ、それに。そ、それに……母さん、まで……母を、こ、殺されました」
『助けてやれずに、すまなかった』
「……ど、どんなに……ッ。どんなに、辛かったのか、分かりますか!?わ、私は、あらゆるものを奪われて、み、道を奪われて……な、何かを、夢見る……け、権利さえ、ないように……なかった……で、でも……う、疑えませんでした。わ、私に、残ったのが、残されたのが、貴方への信仰だけだったから……っ」
『権利がある。お前だけに、権利があるのだ。大いなる苦痛を背負ったお前こそが、すべての心をぶつける権利が与えられる。私に、告げてくれ。お前の苦しみが、どれほどのものだったのかを。私は知らねばならない。私の罪と、お前の痛みを』
「…………あ、あ……あ、あんな目に……ッ。あ、遭いたくなんて、あ、ありませんでした!!」
『……ああ。当然である。さあ、レナスよ……こちらに来るがいい』
―――ボロボロと涙を流すレナス・アップルを、ちいさな女神は抱き寄せる。
レナスの心は、複雑な感情たちに引き裂かれそうだった。
自分の運命への不平を述べてしまった、そのことへの恐怖もある。
だが、それと同時に女神イースの抱擁に許されている気もした……。
『さあ、心のままに告げてくれ。お前の本音である。それだけを聞きたいのだ』
「は、は、はい……っ。いやでした。こわかったです。いたかった。かなしい。つらい。なんで、なんで……両親も……う、うしない……さみしかった。だれも、わたしを……ぼくを……りかいなんて、できるはず、なくて……だって、みんなと、ちがうからあ……っ」
―――信仰は、レナス・アップルを確かに救ったんだよ。
もしも女神イースへの信仰心がなければ、心は壊れていたに違いない。
自殺だって、していたかもしれないね。
この信仰心は、絶望のどん底に突き落とされたレナスの唯一にして最大の救いだ……。
―――それと同時に、苦しめてもいた。
人生そのものが、苦しみとなっていたから。
いっそ死んでいた方が、楽だったかもしれないと考えるほどに。
多くの悲劇をその身に受けて、多くの悲劇をその目で見ることになった……。
「た、たくさんの。子供たちが……死んで、いきました。だ、誰もが、殉教の運命を与えられた者たちなんです。つ、つまり……つまり!あ、貴方が、貴方のせいなんです!貴方が、私たちに、こ、こんな、こんなつらい人生と、う、運命を、お与えになった……っ。ひ、ひどいです。ひどいですよ、女神イースさま……うう、うう……っ」
『恨みを、ぶつけてくれ。殉教した子供たちの分まで、お前は、訴えねばならない。私への感情のすべてを、解き放つんだ。それらは、すべて。この私のせいなのだから』
「……い、いやでした!!みんな、と、とても苦しんだんだ。お、親がいる子供たちが、うらやましくて……し、死なないとならない……み、未来がない、私たちは、じ、自分のことが、とてもみじめに、感じられてしまい……さ、さみしくて……心も、体も、ず、ずたずたに痛くて……っ」
『ああ。すまなかった。すべての祈りに、すべての悲しみに。報いをいつも与えてやれたら良かったのに。大いなる試練を、お前たちに与えてしまった』
「……わ、私たちは、す、すべてを捧げたのです。貴方のために、貴方がお作りくださる大いなる平和のために。あ、亜人種どもも、『狭間』もいない……お、おだやかな夏の海みたいな世界を……ほしくて……そ、そのための礎に……『生贄』になるならば、た、耐えられるような気がしていたのに……っ。す、すみません。もうしわけない。勝てなかった。負けてしまった。自分たちが、なさけなくて……そ、それと、それと同時に……っ。あ、あ、あ……っ」
『口にしていいのだ。それを、私は聞くべきなのだから』
「あ、あなたは……ま、負けてしまった、貴方のことを……ゆ、ゆるせそうに、ないんです!!最愛の……最も、敬っている……わ、私たちにとって、ただひとつだけの……救いは。う、失われてしまったのか!?お、おい……おいっ!!こたえて、こたえろ。こたえやがれ……っ。これで、私たちの人生に、本当に価値はあったのかよおおおおッッッ!!!」




