第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その三百八十二
―――幼い頃から、少しは理解していたつもりだ。
しかし、『狭間』の苦しみは理解しているとは言い難い。
貴族の父親と、気高いエルフの魔術師である母親がそばにいて。
結束の強い、傭兵じみた騎士団が守ってくれていたから……。
「私は、『狭間』の子たちの苦しみまでは、知っていなかったかも。ひどい目に遭うんだね。『狭間』だったら、あれだけ憎まれてしまうんだ。悪いこと、してもいないのに」
―――アリーチェは、間違いなく恵まれている。
『狭間』でありながら、周りから守ってもらえた。
『姫さま』も、彼女をかわいがったんだ。
奴隷貿易を仕切っていた、ライザ・ソナーズのことさ……。
―――帝国貴族であっても、こっそりとだが『狭間』を可愛がることさえある。
アリーチェには、不思議に思えた。
例外であるからこそ、率直な疑問をぶつけられる。
どうして、そこまで『狭間』を嫌いなのか……。
『……ヒトは、異質な者を拒むからだ。どれほど取り繕っても、それは本能のように、行動を支配する。同じ種族であつまり、異なる種族を排除する。お互いを分けるようになるのだ。そうすることで、安心を得られる』
―――千年の観察の結果を、端的に女神イースは教えてあげた。
レナスの苦しみの日々を見つめていれば、納得もできる。
地上は人間族と亜人種、そして『狭間』のなかで争いばかりしていた。
それでも、アリーチェは絶望することが不可能だ……。
「だって、私がいたもんね」
―――それは例外ではあったけれど、特別なことだとアリーチェは思わない。
バハルとセリーヌという、偉大な両親のおかげかもしれないね。
彼女は正しい、現実にありふれた現象を受け入れなくてもいい。
彼女は、すべき道が見えた……。
「変えれば、いいだけだもん」
―――世界を変えてしまえばいい、やさしい神さまらしい意見だ。
女神イースは、それがどれほど困難な道なのかを知り尽くしている。
千年のあいだ、世界は変わらなかったというのに。
でも、女神イースも選んでしまったのだ……。
―――ソルジェを妨害する道ではなく、目の前にいる子供たちを助けることを。
それは、事実上の委任に他ならないよ。
苦しみながら、自分を壊していくレナス。
彼女を最も壊してしまったのは、罪なき子供を焼いたときだ……。
―――そういう苦しみは、永遠に残る。
ヒトの焼けたにおいは、記憶の底にこびりついているものだ。
単純なソルジェでさえも、セシルのことを忘れられない。
命の焦げてしまった、あの黒く焼け焦げたにおいを……。
「ああいう苦しみを、背負わせないためにするには。みんなが、もっと仲良くなればいいんだよ。無理じゃないもんね。知ってる。ヒトってね、器用なんだから!」
―――多くの革命家たちや、学者が気づくことさ。
世の中を変えるためには、「分からせてやればいい」と。
アリーチェは、いくつかの考えをまとめた。
そのアイデアのなかには、間違いなく残酷なものも含まれている……。
「『狭間』を、いじめる人たち全員を、千年のあいだ焼いちゃうとか」
―――無邪気な者の罰は、容赦がないこともある。
アリーチェに、大きな悪意はないんだ。
だって、戦士の家で育ったんだからね。
荒っぽいことも、当然のように受け入れられるよ……。
―――『敵』に対して、容赦なんてしない。
それは、むしろ失礼なことだと古い騎士道は説きもしているほどだから。
肝心なことは、それがおそらくある程度は有効だということだよ。
『狭間』に『究極の力』を授ければ、彼らはいじめられなくなる……。
「けっきょくは、力の問題だもんね」
―――戦士としての血は、正しくて乱暴者の発想だ。
その答えに至ったのも、至極当然だろう。
だって、かつて焼かれた罪なき『狭間』の子のそばに。
今の力と意志をもったアリーチェがいれば、レナスを焼き払って止められたから……。
―――悪を、焼き尽くす。
罰をもって、世界を変えてしまう力。
アリーチェは、それが『とても手っ取り早くて有効』である事実を知っていた。
正直なところ、危ないところだったかもね……。
―――アリーチェが、レナスの人生を見ていなければ。
今後は『そういう方針』で、世界を変えるために暴れようとしたかもしれない。
正しいことではある、強くなれば『狭間』も差別されないんだから。
彼女は周りから無条件に迫害され続けるだけの『狭間』ではなく、愛された子だ……。
―――『狭間』の友人たちを持つボクからすれば、それは問題ない選択にも思える。
いじめられていた者たちが、ついに反逆の力を手に入れるなんて正しいことだから。
それでも、そういう選択は血みどろだったろう。
争うだけでは、おそらく解消できない溝がある……。
『力に頼れば、やがて力が尽きたときに、元通りとなる』
「……そっか。そうかも。でも、でも。それじゃあ、どうすればいいのかな?」
『私の選択は、尽きた。亜人種も『狭間』も消し去り、それらの差を失くすという解決方法は』
「それは、私たちからすると、サイアクの解決策だね。お父さんも、怒る。お母さんと出会えなくなっちゃうもの」
『ならばら、お前たちが見つけるべきだ。私の成すべき道ではない。お前や、ソルジェ・ストラウスたちが、どうにかしろ』
「丸投げされちゃった。女神イース、ずるい!」
『倒されたのだ。力でな。敗者を踏み越えて、行くべきだ。勝者たちよ』
「なるほど。それも、たしかにそうだ」
―――戦いについて、肯定的な考えをする。
ちいさくて細い腕を組みながら、アリーチェは歩いた。
泣きながら怒り、壊れながらも女神イースを復活させていくレナスを追いかけながら。
女神イースも、その後を追いかける……。
―――脚に力が、入っていなかった。
追いかけるのも、ようやくだ。
最後の時間が、近づいている。
女神イースは多忙だ、この時間の裏側で多くの子供たちに世界を与えてやっていた……。
―――幸福な、終わり方かもしれない。
母性を強めている女神イースは、アリーチェにも母親めいた感情を抱いた。
女神の先輩として、何か助言をしてやりたくなる。
だが、どうにも難しいことだ……。
『私は、失敗してしまったから』
「そうだっけ?だって、たくさんの子供たちを、喜ばせてあげられてるよ」
『……救われる言葉だな。私は、あんなに必死なレナスたちの願いを、叶えてやれなかったのに』
「戦いは、勝ったり負けたりするものだから。気にしないように。あなたが負けても、あなたを継いだ者が勝てばいいんだもの!」
『私の、後継ぎか……』
―――それは、間違いなく。
目の前にいるのだと、女神イースは直感した。
この戦いは目的を変えて続くのか、どうにも都合がいい解釈でもあるが。
だが、そうだとするのなら……。
『許されるかも、しれないな』
「許されるって、誰に?」
『レナスたちに。私は、裏切ってしまった。期待に沿えなかった』
「みんなで戦って、みんなで負けたんだから、しょうがないよ。みんなの責任」
『……みんなの、責任か』
「そのとおりでしょ。だからね、気にしないの。そんなことで、悩むヒマがあったら、いい答えを考えないとね!」
―――前向きで、純粋で無垢で狂暴でもあるくせにやさしい。
そういう子供そのものみたいなアリーチェは、立ち止まった。
自分と同じ『狭間』を、レナスがまた見つけたからだ。
もちろん、ビビアナ・ジーだよ……。
「『人買い』の娘ごときに!!」
―――運命は、レナスの心を逆なでしたよ。
『人買い』を誰よりも憎み、『狭間』を嫌おうとしている。
そんなレナスにとっては、そのどちらでもあるビビアナは最大の敵だ。
複雑な運命を見ながら、アリーチェは「うーん」とうなる……。
「なるほど。レナスには、どうしても認められないんだね。なるほど、なるほど。でも、でも……でもさ、女神イース」
『どうした、アリーチェよ?』
「なんだかね、このあたりに……答えが、いる気がするの!!」
『答えが、いる……?』
「うん。分かってきたぞー。私が、感じ取ったのは……あの子だもん。ビビアナ・ジーのことを、ソルジェに頼んだの!!」




