第四話 『迷宮都市オルテガと罪科の獣ギルガレア』 その三百七十
―――世界の命運を決めるような選択は、やはり普通のプロセスから逸脱するのかも。
女神イースはこのときになって、『カール・メアー』の願望から自由になった。
それはある意味では裏切りでもあるかもしれないけれど、可能性はフクザツだ。
この選択の果てに、待ち受ける『未来』を彼女は信じつつある……。
―――権能を練り上げる、自らに残されていたはずのすべてを。
魂ですらないような、孤児たちの残滓を救うために。
彼女はあの時間の制約のない、心理の世界を作りあげる。
腕を伸ばした、この場所でありこの場所でないすべてに……。
―――それは幸運だとか、偶然だとか。
そういったサイコロを振るような力ではなくて、もっと明確なものだったろう。
この『もうひとつのオルテガ』という空間は、とてもトクベツなんだ。
かつてこの大陸を汚染してきた、『侵略神/ゼルアガ』の権能が届かないところ……。
―――それゆえに、ボクたち大陸における常識とはかなり異なっている点を持つ。
何かというと、魂たちとの親和性だ。
思い出して欲しい、『ギルガレア』はここで何をしたかったのか。
虐げられてきた自分の信徒たち、彼らのために死者たちの都を創ったはずだよ……。
―――ここは映し鏡の逆転した模倣の世界というだけじゃなく、死者に永遠を与える場所。
偶然だなんて、そんな言葉はあまりにも不適格だね。
罪科の獣神と、慈悲の女神。
『ギルガレア』と女神イースの、力と意志は今この瞬間では同じ方向を向いている……。
―――そうだよ、これを形容すべき言葉があるとすればひとつ。
運命というものが、何よりも相応しかった。
もはや『ギルガレア』は死せる存在ではあるけれど、生きていれば力を貸したはず。
滅びゆく魂たちに手を差し伸べる神さまだ、彼は女神イースにも協力したはず……。
―――死は絶対で、永遠ではあるけれど。
その絶対の境界を、この場所ならば少しだけ踏み越えられる。
ゼファーとルルーシロアの、竜の本能が『力』を感じ取っていた。
ウロコが勝手に逆立って、この場所のどこかで何かが変わったことを悟る……。
―――竜だからこそ、知覚することもやれたのだろう。
本人たちにも、言語化するのが難しい感覚ではあったけれど。
『ギルガレア』の開いた、この死者たちの永遠の楽園。
そこに何かが、吸い込まれてくる感覚だ……。
―――地上からか、それとも地上とのあいだにある空からなのか。
どちらかまでは、竜にさえも分からないけれど。
たしかなことがあるとすれば、これに危険性はないということだけ。
何せ、とてつもなく心地良いと竜の本能が判断するような『力』なのだから……。
―――女神イースと『ギルガレア』がしていたことが、何なのか。
ボクには少しだけ、想像がつくよ。
このふたりの神さまたちは、『連れて来た』んだと思う。
いつかどこかで死んでしまった孤児たち、彼らに必要な人たちをね……。
―――誰もが英雄的な歌となり、死後も名誉を残せるわけじゃない。
ほとんどの人たちは、忘れ去れていくものだ。
名もなき孤児たちの、両親たちもそうだろう。
貧しい善人もいれば、裕福な悪人もいたかもしれない……。
―――生きている者も、あるいは死んでいる者もいたはずだ。
いくらこのやさしくて、そして怖い神さまでも。
わざわざ生きている親たちを、殺しはしないだろうけれど。
それでも、この死者たちの都に連れて来たらしい……。
―――魂と呼ぶべきものだったり、あるいは記憶とでも呼ぶべきものだったり。
ジャンが名付けた、『歌』属性の質のなかでもちいさなものだ。
女神イースの名のもとにある、孤児院に捨てたり預けたりしたわけで。
親たちはそれぞれの祈り方で、子供たちのためと別れた……。
―――ある者は、貧困のせいで。
ある者は、飲酒に溺れてしまったせいで。
突然、救われることのない死病にかかってしまって者もいたし。
根っからの悪人で、自分のために子供を捨てた者もいる……。
―――『ギルガレア』が健在であれば、大いなる罰を与えたかもしれない者も。
だが、それはいいのだ。
名前を呼んでもらったことさえない孤児ならば、女神イースが母親代わりになる。
慈悲深くて、とてもやさしい女神さまだからね……。
―――乱暴な手段の救済よりも、この瞬間の方がよっぽどいい顔をしている。
地上から魂と記憶を集めて、それらに彼女は『力』を与えていった。
戦いの果てに、ボロボロに焼き払われてしまった残骸たち。
それらがおだやかな光に抱きしめられるのを、ミアは見ていたよ……。
―――猫耳を、ピンと立たせてね。
お願いするんだ、神さまを信仰してはいないけれど。
今は心の底から、女神イースを応援している。
きっと、『ギルガレア』のおっちゃんもいるだろうと信じてながらね……。
―――燃え尽きていくはずの者たちが、時間のない場所へと向かう。
女神イースは、戦いのときにやっていたように。
それぞれ全員に対して、幻の世界を与えてあげる。
彼女は無数に分かれていき、すべての孤児たちの前に降臨してやった……。
―――ひとりずつ、世界を創って与えてやることにした。
『ギルガレア』の遺産は、女神イースに対してすこぶる協力的だったから。
それは現実とも言い難いが、『不滅の薔薇の世界』のひとつの亜種だろう。
悲しい魂たちのために、せめて安らげる彼らだけの世界を与える……。
―――偽りだと、誰かは言うかもしれないし。
まさに、偽りであるし逃げでもあるかもね。
でも、現実の世界で報われなかった魂たちに。
しかも、かわいそうな孤児たちに対して……。
―――慈悲を司る、やさしい女神さまと。
悪人が大嫌いで、罰を使い世界を良くしたいと願うような獣神さまぐらい。
甘やかして、逃げ場を与えてやってもいいじゃないか。
ここならば、どれだけ傷つけられて救われない魂だって幸福な夢のなかにいられる……。
―――完璧には、なってくれなかった世界から。
ようやく、魂たちは痛みも苦しみもない世界にやって来れた。
ここはとてつもなく自由な、この世界の最果て。
真の楽園を、女神イースは孤児たちのために紡ぎ始める……。
『残された、すべての力を使い……さあ、あなたは。どんな世界が、いいかしら?』




